23話 疑惑の一夜
エレノアと寮の前で別れ、自室へ戻ったアルヴィンは、どうにもエレノアとキスをしたという事実が頭から離れず、ベッドにもぐり込んでもなかなか寝つけずにいた。
気分を変えようと何度も寝返りを打ってみても効果はなく、気づけば窓の外は白み始めていた。
「もう朝じゃん……」
普段よりだいぶ早い時間だったが、このまま部屋にいても眠れそうになかった。
気分だけでも切り替えようと簡単に着替えを済ませると、アルヴィンは寮を飛び出す。
「走れば少しは変わるだろ……」
そう呟き、朝のひんやりとした空気を胸いっぱいに吸い込みながら寮の周りを走っていると、不意に背後から誰かが駆けてくる足音が聞こえた。
「あら、ずいぶん早いじゃない」
背後から聞こえた声に、アルヴィンは内心で顔をしかめた。
(なんでこんな時に……っ)
聞き覚えのある声に、アルヴィンはゆっくりと振り返る。
「お……おう、おはよう。エレノア」
「あなたがこんな時間に走り込みなんて、珍しいわね」
その一言に、ドクリ――と心臓が大きく跳ねた。
「そ、そうか?」
「もしかして、あなたも眠れなかったの? 実は、私も少し興奮していたみたいで」
「へっ? こ、興奮?」
「魔獣との戦いを思い出してしまって、なかなか寝つけなかったのよね」
「……そ、そうだよな」
「あなたも?」
「ま……まぁ、そんな感じだな」
(い、言えるわけないだろ! エレノアとキスしたことを思い出して眠れませんでした、なんて!)
魔獣との戦いが原因で眠れなかったエレノアに対し、アルヴィンの寝不足の理由はまるで違う。
心配そうに尋ねる彼女を前に、アルヴィンは後ろめたさから思わず視線を逸らした。
「そんなことより、あなた怪我はもう大丈夫なの?」
昨日までアルヴィンの腕や胸に巻かれていた包帯が全てなくなっていることに気づき、エレノアは思わず足を止めた。
(やば……忘れてた)
昨日、武具店の店主が見立てた通り、魔獣との戦いで負った怪我は全て完治していた。
もう違和感しかない包帯が煩わしく、昨夜のうちに全て外してしまっていたことを思い出したアルヴィンは、どう誤魔化そうかと頭を巡らせる。
「走ってる場合じゃないわよ!」
「走ってる場合じゃないって、もう治ってるんだからいいだろ?」
「治ってるなんて……やっぱりそんなの信じられないわ!」
あの傷の深さをこの目で見ているエレノアは、首を横に振った。
(……まぁ、そりゃそうだろうな)
エレノアが見た通り、アルヴィンの怪我は本来なら完治まで数か月はかかるほどの重傷だった。
それを本人は、怪我を負って間もなく馬に乗り、酒を飲み、そして翌朝には何事もなかったかのように走っている。
信じられないと思うのも無理はなかった。
「信じられないって……怪我した本人が治ったっていってるからもう大丈夫なんだよ」
「で、でも……」
「なら、どうしたら治ったって信じてくれる? 触ってみるか?」
そう言ったアルヴィンはひらり——と服をめくる。
筋肉の形が浮き彫りになった均等の取れたアルヴィンの腹が服から覗かせると、一瞬にしてエレノアの頬が赤くなった。
「人を揶揄うのもいい加減にしなさいっ!」
それだけ言うとエレノアはアルヴィンを残し走り出した。
「……少し強引だったか?」
(ていうか、散々俺の腹なんて見てるだろ)
男の身体を見て年頃の女の子のような純情な反応を見せたエレノアの表情を思い出しただけでアルヴィンもつられて恥ずかしくなり、熱を帯び始めた頬に手で風をおおった。
あれからエレノアの後を追ってみたものの、結局追いつくことはできず、アルヴィンは走り込みを切り上げて朝食を食べるため食堂へ向かった。
適当な席に腰を下ろし、授業までの時間をのんびり過ごしながら辺りを見渡すと、食堂のあちこちから小さな囁き声が聞こえてくる。
まるで、人には聞かれたくない話でもしているかのようだった。
(この前の魔獣の話をしてるのか……?)
そう思い耳を澄ませてみるが、「魔獣」という言葉はどこからも聞こえてこない。
(……やっぱり、情報統制されてるのか)
そんなことを考えながら周囲の話に意識を向けていると、不意に背後から肩を組まれた。
「久しぶりだな! アルヴィン」
「っ、お前ら!」
振り返ると、そこには王都護衛の任務を終え、学院へ戻ってきたガルドとレイの姿があった。
だが、二人ともどこか意味ありげな笑みを浮かべている。
「おいおいおいおい……」
にやにやと口角を吊り上げたガルドは、アルヴィンの肩を組んだまま隣の椅子へ腰を下ろした。
一方のレイも静かにアルヴィンの横へ立ち、その逃げ道を塞ぐ。
「ど、どうしたんだよ……そんなににやけて」
長い付き合いだからこそ分かる。
ガルドとレイがこんな表情を浮かべる時は、大抵ろくでもないことが待っている。
嫌な予感に頬を引きつらせるアルヴィンを見て、ガルドはわざとらしく大きなため息をついた。
「いやさぁ、俺たち、この前王都から帰ってきたんだよ……」
その言葉に、レイも静かに頷く。
「すっげぇ疲れてたから、『レイ、どっかで飯でも食って帰るか』って話になってさ。二人で王都を歩いてたんだよ」
もったいぶるようなガルドの話しぶりに、アルヴィンの背中を嫌な汗がつうっと伝った。
(待て待て待てっ! コイツ等……もしかして!)
「そしたら……お前たちを見かけたんだよ。なんか気になって後をつけてみたら、二人で酒場に入っていくだろ? だから、出てくるまで待ってたんだよな? レイ」
「あぁ」
嫌な予感が確信へと変わり、アルヴィンはごくりと生唾を飲み込んだ。
「そしたら、お前ら一晩中酒場から出てこねぇじゃねぇか。……さぁ、俺たちにも説明してもらおうか?」
「お前ら、見張ってたのかよ!」
「見張ってたなんて、人聞きが悪いだろ」
すると、それまで黙っていたレイが、ガルドに続くように静かに口を開いた。
「それだけじゃない。昨晩、門限を過ぎてもお前が部屋へ戻ってこなかったから外を見ていたら、お前とエレノアが寮の入り口で楽しそうに話している姿も見た」
「なんだって!? 門限を過ぎてたのにか?」
ガルドは目を見開き、驚きの声を上げる。
次々と突きつけられる証拠に、アルヴィンは思わず頭を抱えた。
(そうだった……俺の隣の部屋はレイだった。しかも、あいつの部屋の窓からは寮の入り口が見えるのを忘れてた……!)
「エレノアとアルヴィンは犬猿の仲だって噂で聞いたのに……いつの間に仲が深まったんだよ」
「深まったって……何か誤解してるだろ」
「いいって、俺たちに隠し事はなしだろ? で、実際どこまで進んだんだよ」
ガルドの問いに忘れかけていたはずの、ローザの店で起きた出来事が再び脳裏をよぎり、アルヴィンは思わず言葉を詰まらせた。
「……な、何もねぇよ」
ただからかってアルヴィンの反応を楽しむつもりだったはずが、返ってきた反応が図星をついてしまったようで、レイと共にガルドは目を丸くし、衝撃と共にアルヴィンの肩から手を離してしまった。
「マジなのかよ……」
「……だから、そういうんじゃねぇって」
アルヴィンは小さく息を吐き、熱くなりかけた頭を冷やす。
(コイツら……本当に余計なことしやがって)
これ以上墓穴を掘るまいと気持ちを切り替え、アルヴィンはこの話を続けるつもりはないとばかりに、二人をじろりと睨みつけた。
「お前ら、そろそろいい加減にしろよ?」
「え、ちょっと待て……。冗談のつもりだったんだけど」
「い、いつからそんな関係に……」
予想外の反応に、ガルドとレイは揃って目を丸くした。
からかうつもりで口にした一言が、まさか図星だったとは思ってもみなかったのだ。
「しつこいな。俺とエレノアは、お前らが勝手に想像してるような仲じゃねぇよ」
うんざりしたように息をつき、アルヴィンは肩に置かれたガルドの手を払いのけて席を立とうとする。
その時だった。
食堂の入り口から担任のクラウスがこちらへ一直線に歩いてきて、アルヴィンの前で足を止めた。
「アルヴィン……お前に客だ」
「俺に?」
「あぁ、そうだ。一緒に来い」
心当たりのない呼び出しに首を傾げながらも、アルヴィンはクラウスの後を追って食堂を後にした。




