22話 初めての「ありがとう」
「そろそろ時間ね」
気づけば、武具店の店主に指定された時間が近づいていた。
お茶代まで払おうとするエレノアを半ば強引に制し、自分で二人分の代金を支払ったアルヴィンは、ほっと息をつく。
(払える金額で良かった……)
値段の書かれていない店での会計ほど恐ろしいものはない。
支払いの瞬間まで内心ひやひやしていたものの、思っていたほど高額ではなかったことに胸を撫で下ろした。
会計を済ませた二人が武具店へ戻ると、どこか満足げな表情を浮かべた店主が出迎えた。
「お待ちしておりました」
店主の傍らには、布に包まれた剣とナイフが置かれていた。
その姿を目にしただけで、アルヴィンの胸は期待に高鳴る。
「どうぞ、お受け取りください」
「あ、ありがとうございます」
待ちきれない様子を察したのか、店主は穏やかに微笑み、まずは剣をアルヴィンへ手渡した。
ズシリ——と重すぎず、軽すぎもしない。
手に吸い付くような絶妙な重量感が掌へと伝わる。
アルヴィンは思わず息を呑み、緊張した面持ちで剣を包む布をゆっくりとほどいた。
「これは――」
布の中から姿を現したのは、鈍色の刀身が静かな輝きを放つ一振りの剣だった。
細部に至るまで職人の手で丹念に磨き上げられたその剣は、一目でただの業物ではないと分かる。
(こんな色の剣……初めて見る)
思わず見入っていると、店主が穏やかに口を開いた。
「通常、剣は鉄や鋼で仕立てます。しかし、アルヴィン様は無茶な戦いをなさると伺っておりますので、世界で唯一の硬さを誇る希少な鉱石から鍛え上げた一振りをご用意いたしました」
「そんな……こんな凄い剣を、俺に?」
「ええ。エレノア様たってのご希望でしたので」
店主にそう言われ、思わず動揺を見せたエレノアに、「おやおや」と店主は目を細めると、今度はナイフを差し出した。
「先ほどの剣には及びませんが、軽さを活かした投擲と、近接戦闘の両方に優れたナイフでございます」
店主の言う通り、先ほどの剣に比べれば軽い。
しかし握った瞬間、まるで最初から自分のために作られていたかのように手に馴染んだ。
(本当に凄いな……。こんなに握りやすいナイフ、初めてだ)
「お気に召していただけましたかな?」
「何から何まで、本当にありがとうございます」
ここまで自分の身体の一部のように手に馴染む剣と出会ったのは初めてだった。
胸に込み上げる感動を噛みしめながら、アルヴィンは改めて店主へ深く頭を下げる。
「いえいえ。私は、エレノア様がお選びになった品をご用意したにすぎませんので」
「エレノアも、ありがとうな」
アルヴィンの感謝の言葉を受け、エレノアはゆっくりと歩み寄ると、そっと彼を見上げた。
「私は、あなたを守ると約束したの」
真っ直ぐアルヴィンの瞳を見つめ、静かに続ける。
「だから、あなたも自分の身体と命を大切にしなさい。あなたが怪我をしていないか心配する人が、私以外にも大勢いるの。そのことだけは、忘れないで」
「…………」
エレノアの真っ直ぐな言葉を受け、アルヴィンは一瞬だけ目を伏せた。
「……善処する」
「なら、いいわ」
エレノアの剣の手入れもちょうど終わったようで、二人は店主に見送られながら学院への帰路についた。
夕暮れの街道には、馬の蹄の音だけが規則正しく響く。
互いに言葉を交わすことはなかったが、その沈黙はどこか穏やかで、不思議と居心地が悪くはなかった。
やがて学院の門が見え、馬を降りた二人はそのまま寮へ向かって歩き出した。
「慌ただしい二日間だったわね」
「そうだな」
月明かりに照らされながら、エレノアはたった二日間で起きた濃密な出来事を思い返し、深く息を吐いた。
ようやく落ち着ける場所へ戻ってきたという実感からか、その吐息には肩の荷が下りたような安堵が滲んでいた。
すると、エレノアは何かを思い出したように、アルヴィンの身体に巻かれた包帯へ視線を向けた。
「……折れた骨が治ってるって言われていたけれど、実際はどうなの? 痛みは?」
「ん? あぁ、あの店主の言ってたことか」
武具店で身体を見てもらっていた時のことを思い出したアルヴィンは、折れているはずの腕をぐるりと回してみせる。
「多分、大丈夫なんじゃないか?」
あまりにも他人事のような返事に、エレノアは呆れたようにため息をついた。
「『多分』って……。自分の身体に無頓着な癖、いい加減に直さないと、そのうち本当に痛い目を見るわよ? だいたい、あの魔獣との戦闘だって、骨折程度で済んだこと自体が奇跡に近いというのに――」
「分かった、分かったって! 次からは本当に気をつけるから」
小言がまだ続きそうな気配を感じたアルヴィンは、エレノアの言葉を遮るように口を開いた。
「ほら、もう寮に着いた」
話しているうちに、二人はいつの間にか寮の前まで来ていた。
「あら、いつの間に」
すると、アルヴィンは改めてエレノアを見つめる。
「今回の件、巻き込んで悪かった。俺が無茶をしたせいで、エレノアを危険な目に遭わせた」
珍しくしおらしいアルヴィンの態度に、エレノアは一瞬だけ目を丸くしたが、やがて柔らかく微笑んだ。
「……急に何を言い出すのかと思えば。私がこうして学院へ生きて帰ってこられたのはあなたが一緒だったからよ。危険な道だと理解した上で、あなたについて行くと決めたのは私。だから、お礼を言うのは私のほうよ。私たちを護ってくれて、本当にありがとう」
その言葉を聞いたアルヴィンは、呆気にとられたようにぽかんと口を開いたまま固まった。
そんな彼の見慣れない表情が可笑しかったのか、エレノアは思わずくすりと笑う。
「また変な顔をしてる。そんなに私、変なことを言ったかしら?」
エレノアの笑い声で我に返ったアルヴィンは、どこか戸惑ったように呟いた。
「『ありがとう』なんて……初めて言われた」
その一言に、エレノアの表情がぴくりと揺れ、真っ直ぐアルヴィンを見つめ、静かに微笑んだ。
「……なら、これからは私があなたにたくさん『ありがとう』を伝えるわ」
「え……」
「そうね……まずはさっきも伝えたけど、昨日は護ってくれてありがとう。あなたの剣を選ばせてくれてありがとう。行きつけのお店に連れて行ってくれてありがとう」
「ちょ……ちょっと待てよ」
アルヴィンの動揺をよそに、エレノアは続ける。
「私に気を使ってくれて、屋台の食べ歩きをさせてくれてありがとう」
「ちょっ! 本当に、待ってくれ……急にどうしたんだよ」
エレノアの言葉を遮ったアルヴィンの顔は耳まで真っ赤に染まっていた。
慣れない「ありがとう」を立て続けに浴びせられ、さすがの彼もたじたじになっている。
気恥ずかしさからか、心なしか体温まで上がっているような気がした。
「急だったかもしれないけど……まだあるわよ?」
「まだあるのかよ!」
きっぱりと言い切るエレノアに、アルヴィンは動揺を隠せず声を上げた。
「当たり前じゃない」
「も、もう十分だから……ありがとうな」
「そう?」
アルヴィンは早くなった鼓動を落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。
そんなアルヴィンの様子に、エレノアの頬がつい緩んだ。
「本当に言われなれてないのね」
「初めてだって、さっき言っただろ? 俺をからかってどうすんだよ」
「からかってなんかないわよ。全部本心よ」
「なっ——」
すると、女子寮の屋上に建てられている鐘が鳴り響き、二人に門限の時間を伝えた。
「あら、もうそんな時間だったのね。今日はゆっくり休みなさい」
「お……おう」
エレノアの言った「全部本心」という言葉が頭の中で繰り返されているアルヴィンは、心ここにあらずといったように気の抜けた返事を返した。
「おやすみ。また明日」
「おやすみ……」
エレノアが女子寮の中へ入っていく姿を見届けると、アルヴィンは大きく息を吐き、その場にへたり込んだ。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ……。なんなんだよ、まったく」
ほんの数分の出来事だったはずなのに、エレノアの掌の上で思うがまま転がされていた自分の姿を思い返し、再び深いため息を漏らす。
「……俺、普通でいられたよな?」
うずくまったまま、誰にともなく問いかける。
『……………………』
「だよな? そうだよな? 俺、頑張ったよな?」
返事を待つように、アルヴィンは夜空を見上げる。
『………………………………』
「そうだろ? 酒に酔った勢いでキスされるなんて、誰が思うんだよ……」
すると、不意に昨夜の出来事を思い出したのか、アルヴィンはそっと自分の唇に触れた。
「……すげー、柔らかかったな」
『…………』
「うるせぇな。初めてだったんだから仕方ないだろ?」
アルヴィンは照れ隠しをするように頭を掻くと、もう一度深いため息をつき、重い足取りで反対側にある男子寮へと向かった。




