15話 失いたくない
魔獣の尻尾によって薙ぎ払われたアルヴィンの身体は、重力を感じさせないほどの速度で弾き飛ばされた。
次々と木々へ叩きつけられるたびにミシミシと骨の砕ける感触が全身を駆け抜け、逆流した血を吐き散らす。
「ガハッ――!」
それでも勢いは止まらず何本もの木々をへし折り、ようやく巨木へ激突したことでその身体は止まった。
ドォォンッ――!
背中に凄まじい衝撃が走り、アルヴィンはその場へ崩れ落ちる。
「ガハッ! ゴホッ――」
視界が揺れ、息を詰まらせながらどうにか立ち上がろうとしたその時だった。
「ア、アルヴィン……?」
「…………は?」
聞き覚えのある声に顔を上げる。
そこには、多くの子供たちを背に庇うように剣を構えたエレノアの姿があった。
「そ、その傷……どうしたのよ」
制服の一部は焼け焦げ、全身には夥しい数の裂傷が走り、左腕は力なく垂れ下がっている。
そんなアルヴィンの姿を見たエレノアは、信じられないものを見るように目を見開いていた。
「なんで……まだこんな所にいるんだ?」
口元を伝う血を拭い、アルヴィンはエレノアの背後にいる子供たちへと視線を向けた。
子供たちは皆、衝撃音と共に突然現れた血塗れのアルヴィンの姿に怯えた視線を向けている。
その中にはロウの姿もあり、血の気を失った顔でアルヴィンを見つめたまま、その場から一歩も動けずにいた。
あのアルヴィンが、ここまで傷を負っていることの意味を理解してしまったのだろう。
ロウは何かを言おうとしたようだが、言葉を詰まらせ口だけがぱくぱくと震わせていた。
「子供たちは無事に見つかったみたいだな」
ロウの傍には、探していたフィンとミアと思しき兄妹の姿もあった。
報告書に記されていた十人の子供たち全員の無事を確認し、アルヴィンはほっと胸を撫で下ろす。
「ロウ……お前、偉かったな。精霊石を使ってくれたことで俺たちはお前を見失わずに済んだ」
ロウの異変に気づいていたアルヴィンは、「大丈夫だ」と伝えるように、折れていない方の腕でそっとロウの頭を撫でる。
だが、それはロウにとって逆効果だったらしい。
アルヴィンの手が頭に触れた途端、ロウは堪えきれずにぶわりと涙を流した。
「お、お前! なんで、こんなにボロボロなんだよ!」
ロウは俯き、何度も目元を擦るように涙を拭う。
だが、潤んだ視界の端にぽたぽたと地面へ落ちる赤い雫が映るたび、本人の意思とは関係なく涙が溢れてきた。
「お前が怪我したってわけでもないのに、なんでそんなに泣くんだよ」
「うるせぇっ! バカッ!」
「バッ! バカは言いすぎだろ……」
ロウはまだ何か言ってやろうとするが、込み上げる感情に喉が詰まり、上手く声にならない。
柄にもなく人目もはばからず涙を流すロウを前に、アルヴィンは困ったように笑うしかなかった。
「ごめんな、心配かけて」
そう言ってアルヴィンはもう一度だけロウの頭を軽く撫でようとした。
その時だった。
魔獣との戦闘で相当な血を失っていたのか、不意に視界が揺らぎ、その身体がふらりと傾く。
「アルヴィンッ!」
「おっと……」
倒れかけた身体を咄嗟に受け止めたエレノアは、自分の手のひらにべったりと付着した血を見て息を呑んだ。
「一体、なにがあったのよ!」
想像以上の出血量に、エレノアの顔から血の気が引いていく。
「いやー、さすが精霊の森だな」
こんな状況にもかかわらず、いつもの調子で軽口を叩くアルヴィンに、エレノアの怒りが一気に爆発した。
「こんな時に何を言ってるの!」
「そんなに怒るなよ……」
エレノアは傷に障らないよう、アルヴィンの身体を支え直した。
そして子供たちを連れてこの場から離れようとするが、アルヴィンがそれを制する。
「アイツの狙いは俺だ。俺をここに置いていけ」
「そんなこと出来るわけないでしょ!」
アルヴィンの提案に、エレノアは再び声を荒らげた。
「ほんの少し離れただけで、こんな傷を負ったのよ!? そんなあなたを置いていけるわけないじゃない!」
「この傷で分かるだろ! 今の俺はエレノアや子供たちを危険に晒すだけだ! 子供たちの安全と保護を第一に考えろ!」
言い返すこともできないほどの正論に、エレノアは言葉を失った。
子供たちを最優先すべきだということくらい、エレノアにも分かっている。
それでも、死に近づいているアルヴィンをこの場に置き去りにするという決断だけは、どうしても下せなかった。
「エレノア、分かるだろ? お前がするべきことくらい」
「わ――私はっ!」
真っ直ぐ向けられるアルヴィンの視線から逃げるように、エレノアは目を伏せた。
傷口から溢れた血が、エレノアの手の隙間を伝ってぽたりと地面へ落ちる。
ここまでアルヴィンを追い詰めた怪物がいる精霊の森で、彼を庇いながら子供たちと共に逃げ切ることなど不可能に等しい。
アルヴィンの言う通りにすれば、子供たちは助かる。
けれど、彼を置いてこの場を離れれば、もう二度と助けに戻ることはできない。
「わ、私は……」
「大丈夫だ。俺は一人でも逃げられる。だから、子供たちと一緒に先にライネル騎士団長の所へ向かっててくれ」
(この状況で、俺を見捨てる決断を迫るのはさすがに酷か……)
そう感じたアルヴィンは諭すようにエレノアへ声をかけ、支えられていた腕から離れようとしたその時、まるでエレノアの心の内を代弁するかのように、ロウが震える声で叫んだ。
「嫌だっ!」
予想もしなかった力強い拒絶に、エレノアはハッと顔を上げた。
「アルヴィン兄ちゃんも一緒に帰るんだっ!」
「お、お前……自分が何を言ってるのか分かってるのか?」
アルヴィンの問いに、ロウはキッと睨み返した。
「分かってるっ!」
迷いのない返答に、アルヴィンは思わず顔をしかめる。
「俺は、お前たちの足手まといにしかならない! こんな俺と一緒にいたら、お前だけじゃない、他の子供たちだって危険な目に遭うんだ!」
何を言ったところで、ロウが意見を変えないことは分かっていた。
だが、今の状況ではエレノアやロウたちと共に、あの魔獣から逃げ延びるなど夢物語に近い。
「頼む……俺は、お前たちを死なせたくないんだ」
思わずこぼれたアルヴィンの本音に反応したのは、エレノアだった。
「私だって、あなたを死なせたくない……。失いたくないの」
「エレノア……」
「もう、嫌なのよ……。あなたはいつも自分の命を顧みない。そんなあなたが傷ついて、血を流す姿を見るのは……もう耐えられないの」
すると、アルヴィンの足にぽこんと弱々しい衝撃が走った。
「エレノアお姉ちゃんを泣かすなよ!」
「ロウ……」
「オレは、絶対にアルヴィン兄ちゃんと一緒に逃げる!」
ふと他の子供たちへ視線を向ける。
そこにいた子供たちもまた、ロウと同じ気持ちなのだろう。
誰一人として目を逸らさず、揺るがぬ瞳でアルヴィンを見つめていた。
そんな子供たちを前に、アルヴィンは深いため息を吐いた。
「はぁぁぁぁぁぁぁ……。分かったよ」
観念したようなその声に、ロウたち子供はもちろん、エレノアの表情までぱっと明るくなる。
「…………俺も、一緒に逃げる。助けてくれるか?」
「もちろんよ!」
「当たり前だろ!」
アルヴィンの言葉に、力強い返事が次々と返ってきた。




