13話 精霊の森の洗礼
空気を裂くような勢いで何かに身体をぐんと引かれた瞬間、景色が一気に流れ去り視界が白く弾けたと同時に、凄まじい速度を保ったまま地面へ叩きつけられた。
ドォオオンッ――。
激突と同時に地面が大きく揺れ、周囲の木々が震えるほどの轟音が森へ響き渡り、その音に驚いた鳥たちが一斉に空へ飛び立つ。
「カハッ――」
肺の空気が強引に吐き出され、アルヴィンの視界がチカチカと白く染まった。
身体中からミシミシと骨が軋む嫌な音が響く。
「カハッ、ゴホッ――」
早く体勢を立て直さなければならない。
そう理解しているのに、叩きつけられた衝撃が未だ体の内側で暴れ回り、肺を押し潰されたような息苦しさのせいで思うように力が入らない。
衝撃の余波で視界は揺れ、身体の軸さえまともに定まらなかった。
「アルヴィンッ! アルヴィン、しっかり!」
脳内へ響く耳鳴りの奥から、エレノアの声が聞こえてくる。
そこでようやく、アルヴィンは安堵したように息を吐いた。
「……エレ、ノア……。大丈夫か?」
「私は大丈夫! それより、アルヴィン、あなたっ――」
エレノアの切羽詰まった声を初めて聞いたアルヴィンは、なぜだか可笑しくなり、自然と笑みを零した。
「ハハッ――そんな声、出すんだな」
ぼやける視界の中、それでもわずかに見えたエレノアの表情は、不安と焦りに駆られているからか、くしゃりと顔を歪め、大きな瞳には涙まで浮かんでいた。
(“氷の女王”が、そんな顔するのかよ……)
「怪我は、ないか?」
「あなたが庇ってくれたから、私はっ――」
「少しは、落ち着けよ……。俺なら、大丈夫だから」
エレノアの涙が、ぽたりとアルヴィンの頬を濡らす。
「でも、血がっ……!」
ようやく身体の内側で暴れ回っていた衝撃も薄れ始め、アルヴィンはゆっくりと身体を起こすと、口元を濡らしていた血を乱暴に拭った。
「泣きやめって……。俺はもう大丈夫だから」
そう言いながらアルヴィンは、エレノアの髪へ張り付いていた葉をそっと払い落とした。
「でも、本当に……死んじゃうかと思って」
目の前でぽろぽろと涙を零すエレノアを見ていると、アルヴィンは再び笑いが込み上げてくる。
「ハハハッ!」
「何笑ってるのよ、こんな状況で!」
「いや、だって……。案外、普通の女の子なんだなって」
「何を馬鹿なこと言ってるのよ!」
学院では誰も近寄ろうとせず、本人もそれを受け入れているせいで、“氷の女王”なんて呼ばれているエレノアが、今まさに目の前で涙を流しているのだ。
「本当に、俺は大丈夫だから。エレノアに泣かれると、どうしたらいいのか分からなくなる」
「っ、ごめんなさい……。取り乱したりなんかして」
エレノアは何度か深呼吸を繰り返し、ようやく落ち着きを取り戻す。
頬を伝っていた涙を拭い去る頃には、そこにはもう“いつもの強い彼女”が戻っていた。
「落ち着いたか?」
「えぇ、もう大丈夫」
「とりあえず、状況を整理するか」
辺りを見渡すと、鬱蒼とした緑がどこまでも広がっていた。
あちこちから動物や鳥の鳴き声が聞こえ、風が吹くたび木々の葉がざわざわと揺れる。
「洞窟を抜けたってことは……ここが精霊の森、で間違いないよな?」
「そうみたいね……」
姿を現さない“何か”に監視されているような感覚に、アルヴィンとエレノアの間へ張り詰めた緊張が走った。
「ここまで来てもロウの姿がないってことは、誰かに連れ去られたってことか」
「でも、こんな森の中でどうやって探せばいいのよ……」
下手に動けば遭難するのは目に見えている。
何が起きるかも分からないこの森で、道を見失うことだけはどうしても避けたかった。
(それに、洞窟からここまで俺たちを叩き飛ばしてきた正体すら掴めていない)
だが、だからといって立ち止まっていても、状況は何一つ変わらない。
「洞窟に戻るのも得策とは言えないわ」
「ま、それもそうだな」
あの終わりの見えない洞窟へ再び戻るなど、それこそ自殺行為に近い。
「とりあえず、今はロウを探すのが最優先だな」
「そうね」
ロウを探すため立ち上がろうとした、その時だった。
前方からドンッ――という爆発音が響き、次の瞬間、火柱が天へ向かって立ち上る。
「あれは! 精霊石!」
「ロウだ! ロウに違いない!」
森の中でひときわ強い存在感を放つ火柱が、この絶望的な状況を覆す希望の光のように見え、アルヴィンとエレノアの表情がぱっと明るくなる。
(アイツ、ちゃんと精霊石を使ったじゃないか!)
「ハハッ! よくやった、ロウッ!」
精霊石の使い方を覚えたロウが、機転を利かせて放った生存の合図。
それを受け取ったアルヴィンとエレノアが、すぐさまロウのもとへ駆け出そうとした、その時だった。
前触れもなく背後から、バキバキバキッ――と木々がなぎ倒される凄まじい音が森に木霊する。
その瞬間、二人の間に凍てつくような緊張が走り、ぴたりと動きを止めた。
「っ――エレノア、動くな」
「えぇ……」
背後にいる“何か”を刺激しないよう、二人は息を潜める。
張り詰めた静寂の中、地を揺らすような足音がゆっくりと迫ってくる。
やがて、グルルルルッ――という低い唸り声と共に、顔を背けたくなるほどの悪臭を孕んだ、生暖かく荒い鼻息がアルヴィンとエレノアの背を撫でた。
(獣か? だとしても、大きすぎる。この森の木を倒すなんて、俺の倍以上はあるぞ……)
まだその時が来ていないだけで、すぐ背後から命を狙われているその現実に、アルヴィンの額へじわりと冷や汗が滲んだ。
「エレノア、合図したらすぐロウのもとへ向かってくれ」
背後の獣に悟られぬよう、アルヴィンはゆっくりと腰に携えた剣へ手をかける。
(子供たちを連れ戻す前に、俺たちがここで全滅するなんて、絶対にあってはならない!)
「で、でも……」
この状況でアルヴィンを一人残すことに、エレノアはどうしても踏ん切りがつかない。
「こんなのがいる森の中で、ロウを一人にできるわけないだろ? いいか、絶対に足を止めるなよ」
だが、迷ったところで二人に残された選択肢などない。
他に打つ手がないことくらい、エレノアも理解していた。
「……わかったわ。あなたを信じてるから」
一瞬の躊躇いが命取りになることを、二人はすでに痛いほど思い知らされていた。
アルヴィンとエレノアは視線を交わし、静かにその瞬間を測る。
「走れっ!」
アルヴィンはエレノアへ合図を送ると同時に、一気に鞘から剣を引き抜いた。
それに呼応するように、エレノアも地を蹴り、木々の間を一直線に駆け抜ける。
「ハハッ……さすがだな」
あっという間にその背は森の奥へと消えていく。
アルヴィンは小さく口角を吊り上げると、剣を構え、ゆっくりと背後の獣へ向き直った。




