12話 幻惑の洞窟
ガサガサと木々を揺らす音に、ロウはびくりと肩を震わせ、それと同時にアルヴィンとエレノアはロウを庇うように前へ出た。
息を押し殺すような重い沈黙が続く。
やがて、今はまだ何も起きないと判断したアルヴィンが、声を潜めながらエレノアとロウへ声をかけた。
「……とりあえず、ここから離れよう。ロウ、お前は絶対に俺たちから離れるなよ」
ロウはその言葉に、何度も強く頷く。
「細かい説明は移動しながらにしよう。ロウ、道案内を頼めるか?」
「わ、わかった……」
アルヴィンとエレノアはロウを守るように間へ挟み込み、再び精霊の森へ続く洞窟へ向かって歩き出した。
突然降りかかった“死”と隣り合わせの状況に、エレノアもロウも緊張で言葉を失っていた。
だが、その重苦しい沈黙に耐えきれなくなったのか、アルヴィンがコホン――とわざとらしく咳払いをする。
「精霊って、伝説扱いされすぎて実感がないけど……実際には存在するんだ」
アルヴィンの言葉へ真っ先に反応を示したのはロウだった。
だが、アルヴィンを見上げるその表情には、明らかな苛立ちが滲んでいる。
「それ、さっきも聞いた。この状況で何なんだよ、急に……」
「べつに急にじゃないだろ? 危険な状況なのは変わらないんだから、少し肩の力を抜けよ」
「この状況で、そこまで普通に喋れるのはあなただけよ……」
エレノアもロウと同じ気持ちらしく、命が懸かったこの状況でも普段通りの態度を崩さないアルヴィンへ、呆れたような視線を向けていた。
「俺の精霊についての話を聞いておけば、もしかしたら今後役に立つかもしれないだろ?」
「そんなのごめんよ。こっちは精霊なんて未知な存在と遭遇したくないのよ」
「なんだよ。貴重な体験かもしれないだろ?」
頭上で繰り広げられる、緊張感のあるのかないのか分からない二人の会話に、ロウはうんざりしたように眉間の皺を深くした。
「わかったよ! 聞けばいいんだろ?」
観念したようなロウの返事に、アルヴィンはにやりと口角を吊り上げた。
「やっと聞く気になったか。最初から素直に聞いとけばいいのに」
心底嫌そうな表情を浮かべるロウを気にも留めず、アルヴィンは意気揚々と精霊について語り始めた。
「いいか? まず精霊は、“火”“水”“風”“土”の四属性に分かれる。ほら、見てみろよ――」
そう言ってアルヴィンは、エレノアとロウへ渡した石や木の枝を指差した。
視線を向けると、それらはまるで自然そのものが宿っているかのように、赤、青、緑、黄色の淡い光を揺らめかせていた。
「さっき投げた石もそうだけど、それは“精霊石”って言って、精霊の力に触れた石が、精霊と似た力を宿したものなんだ。稀に木の枝なんかも力を宿すことがある。まぁ、本物の精霊の力には遠く及ばないけどな」
アルヴィンの説明を受け、渡された石や木の枝の正体をようやく理解したエレノアとロウは、それらをじっくりと見つめる。
「あー……ちなみに、強い衝撃が加わると力が暴発するから、扱いには気をつけろよ?」
アルヴィンが慌てて説明を付け加えた、その時だった。
ロウのまだ小さな手のひらから、ぽろりと木の枝が零れ落ちる。
運悪く、その枝からは赤い光が漏れ出していた。
もし地面へ落ちれば火柱が上がる。
しかも、この至近距離でその炎を浴びれば、最悪の場合――死ぬ。
「なっ――」
一瞬でアルヴィンとエレノアに緊張が走った。
いち早く反応を見せたエレノアだったが、さらに運悪く、その手にはまだ石と木の枝が握られている。
「アルヴィンッ!」
次の瞬間には、アルヴィンの体が動いていた。
咄嗟に腕を伸ばし、地面すれすれのところで木の枝を掴み取る。
「あっっっぶな…………」
木の枝がしっかりと手の中に収まっていることを確認し、アルヴィンとエレノアは張り詰めていた緊張を吐き出すように深く息を吐いた。
「良かったな。丸焦げにならずに済んで」
アルヴィンはエレノアとロウを見上げながら、緊張が抜け切ったふにゃりとした表情で呟く。
だが、ロウは自分が起こしかけた事態の重大さを理解したのか、顔色を青ざめさせながらカタカタと身体を震わせていた。
そんなロウへ、アルヴィンはまるで何でもないことのように声をかける。
「悪かったな。最初にちゃんと説明するべきだった」
アルヴィンはロウと視線を合わせるように膝をつき、真剣な表情で言葉を紡ぐ。
「確かに、これは危険な物だ。でも、この“いつ何が起きるか分からない状況”で、お前を守ってくれる武器でもある。怖かったとは思うけど、万が一何か起きたら、怖がらずに精霊石を使ってくれ」
アルヴィンの真っ直ぐな言葉に、ロウは覚悟を決めたような表情でこくりと頷いた。
「よし――なら、これはその時まで大事に持っておけよ」
アルヴィンは手にしていた木の枝をロウへしっかりと握らせる。
受け取ったロウは、それを大切そうにズボンのポケットへしまい込んだ。
「少しは落ち着いたか?」
「もう、大丈夫だ!」
アルヴィンに尋ねられたロウは、気を引き締めるように力強く答えた。
「冷たい空気が流れ始めたから、洞窟はもうすぐそこだろう。頼りにしてるからな、ロウ」
気を取り直した三人は再び歩き始める。
進むにつれて冷たい空気は徐々に強まり、やがてアルヴィンの予想通り洞窟の入り口が姿を現した。
山の一部が削られてできたその洞窟は、人の不安を煽るような不気味さを漂わせていた。
入り口の先には濃密な暗闇が広がっており、一歩足を踏み入れれば、数歩先さえ見えなくなる。
「何か、灯りが必要ね……」
「みたいだな」
アルヴィンはしばらく考え込むように顎へ手を当てていたが、不意に何かを思いついたのか、落ちていた木の枝や枯葉を集め始めた。
「何をしているのよ」
エレノアとロウが不思議そうにその手元を覗き込む。
すると、ただの木の枝と落ち葉だったものが、アルヴィンの手慣れた動きによって、あっという間に松明へと姿を変えていった。
「精霊石も、使い方を少し工夫するだけで便利な物になるんだ」
そう言いながらアルヴィンは、木の枝の先へ括り付けた枯葉の近くで、赤く光る精霊石同士を静かに打ち合わせた。
パチン――と乾いた音が響いた瞬間、赤い火花が弾け散り、その一つが枯葉へ触れる。
すると、まるで眠っていた炎が目を覚ましたかのように、淡い火がゆっくりと燃え広がっていった。
「よし、これで多少は明るくなっただろ」
アルヴィンは残りの松明にも火を灯す。
橙色の明かりが、三人を待ち受ける洞窟の暗闇をじんわりと照らし出した。
心なしか、エレノアとロウの強ばっていた表情が少しだけ和らいだ。
揺れる松明の明かりで周囲を照らしながら、三人は慎重に洞窟の奥へと足を踏み入れる。
ピチャン――と水滴が落ちる音だけが、洞窟内へ不気味に響いていた。
ふと、アルヴィンが足を止める。
「なぁ……洞窟に入ってから、だいぶ経ってるよな?」
その言葉に、エレノアに続いてロウも足を止めた。
「……確かに、そうね」
アルヴィンの言う通り、洞窟へ入ってからかなりの時間が経っていることは、エレノアも感じていた。
手にしている松明は半分ほど燃え尽き、入り口から差し込んでいた陽の光も、もう見えない。
それなのに、未だ洞窟の出口へは辿り着けず、三人は暗闇の中を延々と歩き続けていた。
「こうも暗いと感覚が狂うな……」
「でも、さっきより緑が増えてるから、そろそろ出口に近いはず……」
アルヴィンとエレノアは何か手がかりを探そうと辺りを照らす。
だが、松明の火はすでに弱まり始めており、大した発見は得られず結局、二人の会話も憶測の域を出ない。
「なぁ、精霊の森へ行く時って、いつもこの洞窟を通ってるんだろ?」
アルヴィンたちは、洞窟に慣れているロウへ話を聞こうと振り向いた。
だが、そこにロウの姿はなかった。
つい先程まで隣を歩いていたはずのロウが、一瞬にして姿を消していたのだ。
さっと血の気が引いたアルヴィンとエレノアは、慌てて辺りを見回す。
「ロウッ!」
「ロウ! どこにいるのっ!」
だが、いくら名前を呼んでも返事はなく、二人の声だけが不気味な洞窟内へ虚しく響き渡る。
「エレノアッ! あまり離れるな!」
名前を呼ばれ、エレノアははっと我に返った。
気づけば、もう一つの松明の灯りが遥か遠くに見えている。
「アルヴィンッ! そこにいるの?」
「あぁっ! いいか、ゆっくり戻って来い!」
それほど離れたつもりなんてなかった。
だが、数十歩ほど進んだ先で、ようやくエレノアはアルヴィンと再会することができた。
突如として襲ってきた異常事態に、二人は背中を合わせながら周囲を警戒した。
「ロウの姿が消えたぞ」
「気配も感じられないわ……」
「やっぱり、この洞窟は何かおかしいな……。人が一瞬で姿を消すなんて、あり得るか?」
「外部から何かしらの干渉を受けているのかしら……。これも、精霊の力?」
「干渉か……。精霊に直接感覚を狂わせる力があるなんて、どの文献にも載ってなかったはず――」
そこまで言いかけたアルヴィンは、はっとしたように言葉を止めた。
一方、考え込んでいたエレノアも、脳裏を過った一つの可能性に目を見開く。
「…………毒?」
「そうか! 毒か!」
二人の声は、ほとんど同時だった。
「確か、幻覚や幻聴を引き起こす毒草があったよな!」
「え、えぇ……。その毒草を燃やした煙を吸えば、確かにそういう症状は現れるわ」
「もし仮に、草花を操れる精霊がいたとしたら、毒草の効果まで操れるんじゃないか?」
「無いとは言い切れないわ……」
この状況下で導き出した精霊の新たな可能性に、アルヴィンは目を輝かせた。
「だよな! 新しい発見だ――」
「あなたね――」
その時だった。
二人の足元へ、するりと蔓のようなものが這い寄りその存在に気づいた瞬間、全身へびくりと緊張が走る。
だが、反応するには遅すぎた。
二人の身体は凄まじい勢いで引き寄せられ、次の瞬間――ドンッ! と全身を砕かれるような衝撃に襲われた。




