気になる子
食堂はあるけれど、流石に王族は一緒に食べられないので専用のサロンが用意されていて、幼なじみたちもそこに集まっていた。
といっても今は窓際に椅子を引き寄せて固まっているせいで、あまり格式ばった雰囲気はない。
昼食を終えたテーブルの上には使用済みの食器がすでに下げられ、代わりに温かい紅茶だけが残っている。
いつもそうだった。
以前も、前の時も、ここで昼を過ごしていた。
「俺、朝礼でおかしいと思ってそこで反論したんだけど」
「して、どうなったの」
「朝一番の授業で先生に当てられた」
「…答えられなかったの?」
「うるさい!朝一番は頭が動かないだろ!」
レオガルドが椅子の背もたれへ盛大にもたれかかる。
セレナは特に表情も変えず、紅茶を一口飲んだ。
「頭が動かないなら予習しておけばよかった」
「そういう話じゃねえんだよ!」
「そういう話だと思う」
「フィオナ!お前も何か言えよ!」
名指しされたフィオナは、窓の外に向いていた視線をようやく戻した。
「うん、まあ…予習は大事だと思うよ!」
「お前まで!?」
「だって本当のことじゃない」
「裏切り者!」
ヴァンがため息をつく。
「はいはい、騒がないの。食後ぐらい静かにしたらどうかしら」
「俺はいつだって静かだ!」
「全然静かじゃないわよ」
笑い声が上がる。
フィオナも釣られて笑いかけて——ふと、手元のカップへ視線を落とした。
温かい紅茶の水面が、わずかに揺れている。
ユリウスがこちらへ向けた笑顔が、一瞬だけ白金色の輝きに溶けていく。
どうしても思い出してしまう。笑顔で消えていった、あの瞬間を。
「そろそろ教室戻ろうか。午後の授業まで、まだ少し時間あるけど」
ユリウスの声に、フィオナはカップから顔を上げた。
「そうね」とヴァンが立ち上がる。
みんながそれぞれ席を立ち始める中、フィオナも腰を上げた。
「ごめん、お手洗いだけ寄ってから行く。先行っててくれる?」
「分かったわ、迷子にならないのよ!」
ヴァンの声を聞きながら、フィオナはサロンを出た。
****
角を曲がった瞬間、誰かとぶつかった。
「─っ!」
相手が勢いよくよろける。
「ごめんなさい!前を見てなくて!」
慌てて手を伸ばしかけた瞬間、フィオナより先に動いた人間がいた。
すっと影が差して、よろけた少女を支える。
深い青緑の髪をした少年だった。
いつからそこにいたのか、まったく気が付かなかった。
少女が体勢を立て直す。
真っ直ぐな長い茶色の髪。ぱっつりと切り揃えられた前髪。淡い緑色の目。
フィオナと同学年だとは思うが、とても小柄だった。
「大丈夫…?本当にごめんなさい」
少女はこちらをちらりと見た。
「…平気」
それだけだった。
短く、平坦な声。謝罪を受け取ったのかどうかも、表情からは読めない。
もう一言かけようとした時、青緑の少年が先に口を開いた。
「怪我はしとらんですか?」
穏やかな声だった。少し独特な発音で、少女へ向けた心配の声。
「ない」
「それやったらよかったです」
少女へ笑顔を向けて、それから少年はちらりとフィオナの方へ深紫の目を向けた。
一瞬だけ。感情のない、ただ確認するような目だった。
それきり視線は少女へ戻る。
「参りましょか」
少女が静かに頷く。
二人はそのまま歩き出した。
フィオナはその場に立ったまま、二人の背中を見送った。
なんだったんだろう、とぼんやり思った。
感じが悪いとか、そういうことではなく。
ただ二人の間に、最初から割り込める隙間がどこにもなかった。
****
教室へ戻ると、みんなはすでに席についていた。
「遅かった」とセレナが顔を上げる。
「ちょっと、人とぶつかっちゃって」
「怪我は?」
「私は全然。向こうの子がよろけちゃったんだけど、大丈夫そうだったし…」
フィオナは席に腰を下ろしながら、何気ない口調で続けた。
「ねえ、同じクラスに長い茶髪でぱっつん前髪の子いる?目が緑で、小柄な」
「あなたが知らない子がいること自体、珍しい」
セレナにそう言われてから少し間があった。
口を開いたのはヴァンだった。
「…アメリア・ルナミニスじゃないかしら。このクラスで、子爵家の親戚で親が亡くなって引き取られたって噂されてるのをさっき聞いたわ」
「同じクラスなんだ」
「えぇ、出欠の時に名前は聞いたはず。あまり目立たない子だったけれど」
「アメリア、か」
フィオナは少し考えるように視線を落とした。
「どうしたの?ぶつかった以外に何かあった?」
「ううん…なんでもないけど」
「なんでもないって顔じゃないわよ」
ヴァンの指摘に、フィオナは苦笑した。
「なんとなく、気になって。うまく言えないんだけど」
レオガルドが半分興味なさそうに肘をついた。
「そんな子いたっけ?」
「青緑の髪の男の子も一緒にいたよ。従者みたいな感じだったけど」
「ふうん」
「もしかしたら、何か体が弱いとかがあるのかも。そういう場合には従者が傍につくことが許されてたはずだよ」
ユリウスが言ったきり、それ以上は広がらなかった。
フィオナもそれきり、言葉を探すのをやめた。
うまく言えない、というのは本当だった。
ただなんとなく、気になった。それだけだった。
****
午後の授業が終わって、教室にざわめきが戻り始めた頃のことだった。
荷物をまとめながらふと顔を上げると、扉付近にアメリアが一人で立っていた。
男の子が近くにいない。待っているのかもしれない。
その時、ユリウスが何気ない足取りで近づいていくのが見えた。
「アメリアさんだよね。僕、ユリウスって言うんだ。同じクラスだし、よろしくね」
いつも通りの、穏やかな声だった。
誰に対しても同じ温度で話しかける。それがユリウスという人だった。
アメリアはほんのわずかだけ、ユリウスの方を見た。
「…えぇ」
それだけだった。
小さく会釈して、そのまま扉へ向かって歩き出す。
ユリウスは一拍おいてから、こちらへ戻ってきた。
「…珍しい子」
セレナがそう言って手を止めた。
「ユリウスにあんな態度とる人、初めて見た」
「そう?」
「あなた、大体誰に話しかけてもそれなりに返ってくるでしょう。第二王子だし」
ユリウスは困ったように首を傾げる。
「なにか、嫌なことしたかな」
「してないと思うけど」とヴァンが答える。「ただ…そういう子ってことじゃないかしら」
レオガルドが鞄を肩にかけながら口を開いた。
「感じ悪くね?ユリウスが話しかけてんのに」
「レオガルド」
フィオナは即座に声を被せた。
レオガルドがむっとしてこちらを向く。
「なんだよ」
「話したりするのが苦手なだけかもでしょ。廊下でぶつかった時も、ちゃんと返事はしてくれたし…悪い子じゃないと思うよ」
「…まあ」
「フィオナの話を聞いてなんとなく気になって急に話しかけたのは僕だしね」
とユリウスが言い、それ以上は誰も何も言わなかった。
フィオナはもう一度、アメリアが出ていった扉の方へ目を向けた。
悪い子じゃない、というのは本当にそう思っている。
ただ、どこか、近づけない感じがした。
壁というほど強くもない。
ただ最初から、そこに誰かを入れるつもりがないみたいな。そういう静けさだった。
****
帰り支度を終えて廊下へ出た時、渡り廊下のあたりに小さな人影が見えた。
アメリアだった。
隣には廊下でもそばにいた彼がいる。
距離があるので、声は聞こえない。
アメリアが何か短く言って、少年がそれを聞いていた。
少年はただ、少しだけ間を置いてから静かに頷いた。
それだけだった。
仲が良い、というのとも少し違う。
言葉が少なくても、二人の間には通じているものがあるみたいだった。
二人が角を曲がって見えなくなるまで、フィオナはなんとなく目で追っていた。
なぜか、あの二人のことが気になっていた。
夕暮れの光が渡り廊下を染めていく。
なんとも言えない気持ちのまま、帰るため歩き出した。




