母ではない人
「鑑定結果──親子関係は認められない」
橋の上に静寂が落ちた。
私は手にしていた書類を落としそうになる。
「……違う」
震える声が漏れる。
「そんなはずない」
百合子は何も言わない。
ただ静かに目を閉じていた。
私は一歩近づく。
「お母さん」
そう呼ぶと、百合子の肩が小さく震えた。
「嘘なんでしょう?」
百合子はゆっくり首を横に振る。
「嘘じゃない」
涙が一筋流れ落ちた。
「私は……あなたを産んでいない」
その言葉が胸に突き刺さる。
私は息ができなかった。
「じゃあ」
「どうして……」
「どうして私を娘って呼んだの?」
百合子は静かに私を見つめた。
その目は、今までで一番優しかった。
「育てたからよ」
私は固まる。
「あなたが三歳の時」
「本当のお母さんから、あなたを託された」
風が吹き抜ける。
百合子は遠くを見るように話し始めた。
「その人は重い病気だった」
「自分が長く生きられないことを知っていた」
私は涙をぬぐうことも忘れて聞いていた。
「だから私に言ったの」
百合子の声が震える。
「この子のお母さんになってあげて」
百合子は唇をかみしめた。
「私は約束した」
「命に代えても守るって」
私はもう立っていられなかった。
その場に膝をつく。
「じゃあ……」
「私のお母さんは」
百合子はゆっくり頷く。
「亡くなった」
長い沈黙。
「あなたが五歳になる前に」
私は声を殺して泣いた。
今まで知らなかった。
本当の母がいたことも。
その人が最後まで私を愛していたことも。
その時。
蒼が私の膝に手を置いた。
「ママ」
私は蒼を抱き寄せる。
蒼は小さな手で私の涙を拭いた。
「泣かないで」
私は笑おうとした。
でも笑えなかった。
その代わり、百合子へ向き直る。
「一つだけ聞いていい?」
百合子は静かに頷く。
「あなたは私を騙してた?」
百合子は首を横に振った。
「違う」
涙を流しながら答える。
「私は一度も、自分が産んだとは言っていない」
私は思い返す。
確かにそうだった。
百合子はいつも、
「私はあなたの母よ」
とだけ言っていた。
私は勝手に、
「実の母」
だと思い込んでいた。
百合子は静かに微笑む。
「血はつながっていない」
「でも」
「あなたは私の娘よ」
その一言で。
私は立ち上がった。
ゆっくり百合子の前へ歩く。
そして。
何も言わずに抱きしめた。
百合子は驚いたように目を見開く。
「真白……」
私は泣きながら笑った。
「産んでなくても」
「血がつながってなくても」
「私を育ててくれたなら」
涙が止まらない。
「あなたは、私のお母さんだよ」
百合子は堪えていた涙をあふれさせ、私を強く抱きしめ返した。
その時。
年配の警察官の無線が鳴る。
「屋敷班より本部!」
切迫した声だった。
「実験記録の最終巻を発見しました!」
橋の上の空気が変わる。
「最終巻には、最後の被験者が記録されています!」
私は百合子から離れ、無線を見つめる。
警察官が震える声で尋ねた。
「被験者番号は?」
返ってきた答えに、その場の全員が息をのんだ。
「被験者・零ではありません。『被験者・Ω(オメガ)』です」




