病院へ
『次は、病院で会おう。』
その一文を見た瞬間。
百合子の手からスマートフォンが滑り落ちた。
カラン、と乾いた音が橋に響く。
誰も動かなかった。
「病院……」
私は無意識にお腹へ手を当てる。
赤ちゃん。
蒼。
結衣。
もう誰も失いたくない。
年配の警察官がすぐに無線を取った。
「本部!」
「産婦人科病棟の警備を増員してください!」
「至急です!」
無線の向こうから慌ただしい返答が返ってくる。
「了解!」
「すでに警備員を配置しています!」
しかし。
返事を聞いた百合子は首を横に振った。
「間に合わない」
小さく呟く。
「相手は正面から来るような人じゃない」
橋の空気が再び張り詰めた。
その時。
蓮が私の前へ立つ。
「真白」
私は顔を上げる。
「俺が先に病院へ行く」
真剣な表情だった。
「危険なら、お前たちは来るな」
私は静かに首を振った。
「嫌」
「真白」
「今度は逃げない」
私は蓮をまっすぐ見た。
「蒼も、お腹の子も、私が守る」
蓮は何も言えなかった。
ただ、小さく頷いた。
「分かった」
その時だった。
蒼が私の服を引っ張る。
「ママ」
「どうしたの?」
蒼は橋の下を見つめていた。
「ぼく」
少し考えてから言う。
「病院じゃないと思う」
「え?」
「その人」
「いつも病院って言って」
「違うところに行ってた」
私は息をのむ。
「違うところ?」
蒼は小さく頷いた。
「白いお部屋」
「お医者さんもいた」
「でも病院じゃなかった」
百合子の表情が変わる。
「白い部屋……」
何かを思い出したように目を見開く。
「まさか」
年配の警察官が振り向く。
「心当たりが?」
百合子は震える声で答えた。
「十五年前」
「神崎家には地下の診療室があった」
橋の上が静まり返る。
「表向きは存在しない施設」
「家族しか知らない場所」
蓮が目を見開く。
「地下……?」
「あなたは小さかったから知らない」
百合子は静かに言った。
「でも、あの人はそこで全部始めた」
その瞬間。
若い警察官が走ってきた。
「警部!」
「病院からです!」
全員が振り向く。
「産婦人科に異常はありません!」
私は胸をなで下ろしかけた。
しかし。
警察官は続ける。
「その代わり」
息を切らしながら。
「二十年前に閉鎖された神崎家の屋敷で、人の出入りが確認されました!」
百合子が目を閉じる。
そして。
ゆっくりと呟いた。
「やっぱり……」
私は震える声で尋ねた。
「そこが」
百合子は静かに頷く。
「最後の場所よ」
遠くで朝日が昇り始める。
長かった夜が終わろうとしていた。
けれど。
本当の決着は、まだ始まっていなかった。
その時。
蒼が屋敷のある方向を見つめ、小さく呟いた。
「ぼく、あそこにもう一人のぼくを置いてきた」




