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夫を奪ったアイドルの娘が、なぜか私を「ママ」と呼んだ。  作者: 熊猫ぱんだ


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本当の名前

「『お前は、まだ本当の名前を知らない』って……」


蒼の言葉に、誰も声を出せなかった。


私は蒼を抱き寄せる。


「その人の顔、覚えてる?」


蒼は小さく頷いた。


「うん」


「でも」


唇を噛む。


「いつも暗かった」


「帽子をかぶってた」


「お顔は、あんまり見えなかった」


私はそっと頭を撫でる。


「他には?」


蒼は目を閉じた。


一生懸命思い出そうとしている。


「歌」


「歌?」


「いつも歌ってた」


橋の上に静寂が落ちる。


蒼は小さな声で口ずさんだ。


「ねんねんころりよ……」


その歌を聞いた瞬間。


百合子の顔色が変わった。


「そんな……」


私は振り向く。


「知ってるんですか?」


百合子は震えながら頷いた。


「あの子守歌は」


「神崎家でしか歌われない歌よ」


私は息をのむ。


「じゃあ、その人は……」


百合子は苦しそうに目を閉じた。


「神崎家の人間」


蓮も青ざめていた。


「俺は聞いたことがない」


「あなたは小さかったから」


百合子は静かに答える。


「家を出たあと、その歌は禁止されたの」


年配の警察官が無線機を握る。


「本部」


「神崎家について、過去の関係者を洗ってください」


「十五年前の火災も再捜査を」


「了解」


無線が切れる。


その時だった。


蒼が私の服のポケットを指差した。


「ママ」


「うん?」


「それ」


私は首をかしげる。


ポケットに手を入れると、小さく折りたたまれた紙が入っていた。


見覚えがない。


「いつ入ったの……?」


ゆっくり開く。


中には、一枚の写真。


病院の新生児室だった。


保育器が二つ並んでいる。


一つには「蒼」と書かれた札。


もう一つには名前がない。


番号だけ。


そして写真の裏には、黒いペンで短く書かれていた。


『名前を付けるな』


私は背筋が凍った。


「誰がこんなものを……」


その時。


年配の警察官が写真を受け取り、表情を変えた。


「この写真……」


「どうしたんですか?」


警察官は写真の隅を指差す。


そこには、小さく日付が印字されていた。


撮影日時──今日の午前五時三十二分。


私は息を止める。


「今日……?」


それは二十年前の写真ではなかった。


つい数時間前に、誰かが撮影したものだった。


つまり。


誰かが今も病院に入り込み、この写真を撮っている。


その瞬間。


百合子の携帯電話に、一通のメッセージが届いた。


差出人は表示されない。


本文は、たった一行。


『次は、病院で会おう。』

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