消えた戸籍
「……どうして俺の名字が、神崎なんだ」
蓮の震えた声が橋に響く。
私はもう一度、出生証明書を見る。
父 神崎 蓮
何度見ても変わらない。
「違う……」
蓮が首を振る。
「俺の戸籍は佐伯だ」
警察官も書類を見つめたまま動かない。
「これは……」
年配の警察官が低く呟く。
「正式な出生証明書です」
偽造には見えない。
押印もある。
病院名もある。
その時。
パトカーへ向かいかけた百合子が立ち止まった。
振り返らずに言う。
「昔の名字よ」
空気が止まる。
「え?」
蓮がゆっくり顔を上げる。
百合子は静かに続けた。
「あなたは十八歳で養子縁組をした」
蓮の瞳が揺れる。
「だから戸籍が変わった」
「嘘だ……」
蓮は頭を押さえる。
「そんな話、一度も……」
「あなたのお父さんは言わなかったでしょうね」
百合子は寂しそうに笑った。
「全部、消したかったから」
「消したかった……?」
「神崎家を」
橋に重い沈黙が落ちる。
私は何も理解できない。
神崎家。
母。
蓮。
私。
蒼。
全部が一本の線で繋がり始めている。
その時。
紬が小さく呟いた。
「だから……」
私は振り向く。
紬は出生証明書を見ていた。
「パパ、ずっと神崎って夢見てたんだ」
蓮が驚いて紬を見る。
「俺が?」
紬は頷く。
「未来で何回も言ってた」
涙を浮かべながら。
「“思い出せない家族がいる”って」
蓮はその場に膝をついた。
震える両手で顔を覆う。
「頭が……」
苦しそうな声。
「思い出せそうで……思い出せない」
その瞬間。
救急隊員が声を上げた。
「先生!」
蒼を診察していた女性隊員だった。
「この子の首です!」
私は息を呑む。
蒼の首元。
服が少しめくれている。
そこには。
小さな三日月型のあざ。
私と同じ。
救急隊員が不思議そうに言う。
「お母さんにも同じあざがありますね」
私は思わず首を押さえた。
百合子が静かに目を閉じる。
「神崎家の子は」
ゆっくりと口を開く。
「みんな、そのあざを持って生まれる」
風が吹き抜ける。
その時だった。
若い警察官が慌てて橋へ駆け戻ってきた。
「大変です!」
息を切らしながら叫ぶ。
「百合子さんの身元照会をしたら、おかしなことが分かりました!」
全員が振り向く。
警察官は震える声で続けた。
「神崎百合子さんは……」
一度、言葉を飲み込む。
そして。
信じられない事実を告げた。
「十五年前に死亡届が受理されています」




