本当の黒幕
「逃げて!! 本当の黒幕が来た!!」
男の叫びと同時だった。
──キィィィィッ!!
黒い車が橋の上で急ブレーキをかける。
タイヤの焦げる臭い。
白い煙。
警察官たちが一斉に動いた。
「全員下がってください!」
「子どもを守れ!」
私は蒼を抱きしめる。
紬を自分の背中へ引き寄せた。
「ママ……」
「大丈夫」
そう言ったものの、自分でも信じられなかった。
黒いセダンのドアがゆっくり開く。
一人の男が降りてきた。
五十代くらい。
黒いスーツ。
白髪交じりの髪。
整った身なり。
どこにでもいそうな、穏やかな男性。
──なのに。
橋の空気が変わった。
フードの男が震えている。
「……来るな」
初めてだった。
あの男が、本気で怯えたのは。
スーツの男は小さく笑う。
「失敗したな」
静かな声。
怒鳴りもしない。
感情もない。
それが逆に恐ろしかった。
警察官が前へ出る。
「あなた、そこで止まりなさい!」
男は警察を見もしない。
まっすぐ私を見る。
そして。
蒼を見た。
「その子か」
胸がざわつく。
その視線は冷たい。
人を見る目じゃない。
品物を見るような目だった。
「返してもらおう」
私は一歩後ろへ下がる。
「嫌です」
男は少し首を傾げた。
「君には育てられない」
「この子は私の子です」
はっきり言った。
もう迷わない。
男は初めて笑みを消した。
「……そう教えられたか」
その一言に違和感を覚えた。
教えられた?
どういう意味?
その時。
フードの男が叫ぶ。
「真白さん!」
息を切らしながら。
「信じないでください!」
「その人は──」
バンッ!
乾いた音が橋に響く。
誰かが発砲したのかと思った。
違う。
スーツの男が警棒のような物で、フードの男を殴った音だった。
男はその場に倒れる。
「黙れ」
静かな声。
あまりにも静かだった。
警察官が一斉に動く。
「確保しろ!」
数人がスーツの男へ向かう。
しかし。
男は抵抗しない。
両手を軽く上げたまま、私だけを見ている。
「真白さん」
穏やかな声だった。
「あなたは、一つ勘違いをしています」
私は蒼を抱く腕に力を込める。
「何も聞きません」
男は首を振った。
「聞くべきです」
数秒、沈黙。
そして。
橋の上に響く声で言った。
「星乃ゆめは、あなたから子どもを奪った」
私は息を止める。
「だが」
男は続ける。
「命令したのは私ではない」
空気が凍る。
「……え?」
男はゆっくり笑った。
「私も命令されただけだ」
その瞬間。
橋の上にいた全員が黙った。
警察官も。
蓮も。
ゆめも。
誰も動かない。
命令されただけ?
じゃあ。
まだ上がいる?
私は震える声で聞いた。
「……誰に」
男は答えようとした。
しかし、その瞬間。
橋の反対側から、別の車のヘッドライトが一直線にこちらを照らした。
まぶしさで目を細める。
車はゆっくり止まり、後部座席のドアが開く。
中から降りてきた人物を見た瞬間。
蓮の顔から血の気が引いた。
「……そんな」
蓮が一歩後ずさる。
「嘘だろ」
私はその人物を見る。
知らない。
会ったことがない。
六十代くらいの女性。
上品なスーツ姿。
静かな笑顔。
その女性は、私を見るなり優しく微笑んだ。
そして。
まるで昔から知っているように言った。
「久しぶりね、真白さん」




