見られている
『見てるよ♡』
スマホが床に落ちた。
ガタン、と鈍い音がする。
呼吸が浅い。
背中がじわっと冷える。
見てる?
今?
この家を?
私は反射的にカーテンを閉めた。
窓の外。
暗い住宅街。
雨。
街灯。
誰か立っていても分からない。
「……っ」
怖い。
本気で怖い。
さっきまでの私は、ただ夫に捨てられた女だった。
でも今は違う。
知らない誰かに見られている。
狙われている。
それが現実になった。
「ママ」
紬が小さな声で呼ぶ。
「電気、消して」
私は思わず振り返った。
「え?」
「お願い」
紬の顔は真っ青だった。
慣れている顔。
怖がっているのに、知っている顔。
未来で何度も経験した子の顔だった。
私は無言で照明を落とした。
部屋が暗くなる。
外から中が見えにくくなる。
紬が少しだけ息を吐いた。
「未来でも、最初はこうだった」
小さな声。
震えている。
「写真送ってきて、電話して、怖がらせて」
私はスマホを握りしめた。
怒りと恐怖が混ざる。
誰。
何が目的?
「警察……」
言いかけて止まる。
証拠が弱い。
SMS一通。
非通知。
動いてくれるのか?
「警察行ったよ」
紬がぽつりと言う。
私は固まった。
未来の話。
「でも、“実害がない”って」
苦しそうに笑う。
子どもがする顔じゃない。
諦めた人の顔だった。
「ママ、ずっと怖がってた」
私は唇を噛んだ。
嫌だ。
そんな未来。
絶対に嫌。
「……変える」
気づけば言っていた。
紬が顔を上げる。
「え?」
「そんな未来、絶対に嫌」
声が少し震えた。
でも本心だった。
夫に捨てられて。
不倫相手に笑われて。
知らない男に追い詰められて。
最後に死ぬ?
冗談じゃない。
「私、死なない」
紬の目が揺れた。
涙が溜まる。
「……ほんと?」
「うん」
紬が泣きそうに笑った。
その顔を見た瞬間。
守りたい、と思ってしまった。
変な話だ。
未来から来たと言う謎の少女。
本当の親子でもない。
なのに。
放っておけない。
「今日は泊まって」
紬が固まる。
「……いいの?」
「こんな時間に帰せない」
紬の目から、ぽろっと涙が落ちた。
「……ありがと」
声が小さい。
でも、ものすごく嬉しそうだった。
私は布団を出した。
客用なんてない。
だから、自分の寝室。
私が床で寝ればいい。
「ベッド使って」
そう言うと、紬は慌てて首を振った。
「ダメ!」
「え?」
「ママ、一人で寝ないで」
その言い方が妙だった。
必死で。
怯えている。
「未来で……」
紬が言葉を止める。
「何?」
長い沈黙。
そして、小さく言った。
「ママ、一人の時に泣いてたから」
胸が痛くなった。
見られていたんだ。
未来の私。
きっと、ボロボロだった。
「だから……一緒がいい」
私は少しだけ笑った。
「じゃあ、一緒に寝よっか」
紬の顔が、少しだけ安心した。
──深夜一時。
紬は隣で眠っていた。
寝顔は年相応の子どもだった。
さっきまであんなに怖がっていたのに。
小さな手が、私の服の袖を掴んでいる。
離さないように。
安心したいように。
私は眠れなかった。
天井を見る。
今日一日で人生が変わった。
夫の裏切り。
アイドル妊娠。
未来の娘。
ストーカー。
炎上予告。
そして。
蓮の子じゃない妊娠。
頭がおかしくなりそうだった。
でも。
一つだけはっきりしている。
私はもう、泣いてるだけじゃダメだ。
未来を変える。
そのためにまず。
──星乃ゆめのことを知る。
そう思った瞬間。
隣で寝ていたはずの紬が、急に飛び起きた。
「……っ!」
息が荒い。
顔が真っ青。
「紬!?」
紬は怯えた目で部屋を見回している。
そして。
震える声で言った。
「だめ……」
「え?」
紬の視線が、私のスマホに向く。
充電中の画面。
そこに。
新着通知。
送信者。
星乃ゆめ
メッセージは一言。
『奥さん、少し話せますか?』
紬の顔から血の気が消えた。
「会っちゃだめ……」
小さな声。
でも次の言葉で、空気が凍った。
「その日から、全部壊れ始めるの」




