出ちゃだめ
「出ちゃだめ!!」
紬の悲鳴みたいな声に、手が止まった。
スマホは震え続けている。
知らない番号。
でも。
そんなの、よくある営業電話かもしれない。
間違い電話かもしれない。
なのに紬の顔色は、異常なくらい悪かった。
「お願い……出ないで」
小さな肩が震えている。
怯えていた。
本気で。
私はスマホと紬を見比べた。
「……理由、教えて」
紬は唇を噛んだ。
言うか迷っている顔。
でも着信は止まらない。
五秒。
十秒。
やがて諦めたように紬が言った。
「その電話、ゆめママのファン」
「え?」
「……違う。本当はストーカー」
背筋が冷えた。
「どういうこと?」
着信が切れた。
静かになる部屋。
でもすぐに、また鳴る。
しつこい。
紬が耳を塞いだ。
「未来で、その人がママを壊したの」
「私を?」
意味が分からない。
私とアイドルのファンが何の関係あるの。
「パパとゆめママのこと、ネットに出たの」
紬が震える声で続ける。
「最初は誰も信じなかった。でも少しずつ噂になって……」
私は息を呑む。
不倫。
妊娠。
人気アイドル。
もしバレたら大騒ぎになる。
「そしたら、ゆめママのファンが怒って」
紬が顔を上げた。
その目が、少しだけ潤んでいる。
「ママのせいにされたの」
心臓が重くなる。
「……私の?」
「うん。『嫉妬した妻がアイドルを潰そうとしてる』って」
言葉を失った。
そんな。
被害者なのに。
「家、特定されて」
「え……」
「死ねっていっぱい来た」
喉が詰まる。
冗談じゃない。
そんなこと。
現実であるの?
でも最近、芸能ニュースで見たことがある。
SNS炎上。
誹謗中傷。
住所特定。
「その電話の人」
紬がスマホを見た。
「一番しつこかった人」
また着信。
三回目。
私は思わず背筋を伸ばした。
怖い。
でも。
もし本当に未来の話なら。
知った方がいい。
「出る」
「だめ!」
紬が泣きそうになる。
「お願い、まだ早い!」
「でも、このままも無理」
私は通話ボタンを押した。
耳に当てる。
数秒、無音。
そして。
男の低い声が聞こえた。
『あ、奥さん?』
鳥肌が立った。
気持ち悪いほど馴れ馴れしい声。
「……誰ですか」
男が笑う。
乾いた笑い。
『いやー、よかった。繋がって』
嫌な予感しかしない。
『俺、ゆめちゃんのファンなんだけどさ』
紬の顔が青ざめた。
『変なことしないでくれる?』
「……何の話ですか」
『離婚』
声色が変わった。
ぞっとするくらい低い。
『お前さ、邪魔なんだよ』
全身が固まる。
なんで。
どうして。
まだ誰にも話してない。
不倫も。
妊娠も。
なのに。
『ゆめちゃん妊娠してんだろ? 空気読めよババア』
血の気が引いた。
知ってる。
どうして。
蓮?
それとも、星乃ゆめ?
誰かが漏らした?
『ファンはさ、みんな応援してんだよ。真実の愛』
吐き気がした。
真実の愛?
既婚者との不倫が?
『いい歳してしがみついてんなよ。不妊様』
息が止まった。
その言葉。
何より刺さった。
不妊様。
ネットで見たことがある。
子どもができない女を嘲笑う言葉。
指先が冷える。
『早く離婚しろ。じゃないと──』
男が笑った。
『もっと面白いことになるよ』
プツッ。
電話が切れた。
私は動けなかった。
スマホを持つ手が震えている。
怖い。
怖い。
怖い。
なんなの。
なんでこんなこと。
まだ離婚もしてない。
なのにもう、私は悪者?
紬がそっと近づいてきた。
「……最初は、電話だけだった」
私はゆっくり顔を上げる。
紬の顔が泣きそうだった。
「でもだんだん家に来るようになって」
「……」
「ママ、外出れなくなった」
苦しくなる。
未来。
本当にあるの?
だって。
さっきの電話。
時間も。
内容も。
当たりすぎてる。
私はソファに座り込んだ。
頭が追いつかない。
離婚。
不倫。
妊娠。
未来。
ストーカー。
炎上。
全部が一気に来て、息が苦しい。
その時。
ブブッ。
またスマホが震えた。
今度はメッセージ。
非通知のSMS。
私は恐る恐る開いた。
そこにあった写真で、血の気が引く。
私の家。
今の家。
マンションの外観。
ついさっき撮ったみたいな角度。
そして、一言。
『見てるよ♡』
「……っ」
スマホを落とした。
紬が顔を強張らせる。
「もう始まってる……」
「え?」
紬の声が震えた。
「未来より、早い……!」




