蒼を産んだのは
「蒼を産んだの、ママだよ」
世界が止まった。
私は紬を見つめる。
何も言えない。
息もできない。
「……え?」
やっと出た声は、自分のものじゃないみたいだった。
紬は泣いていた。
でも。
目は逸らさない。
「本当」
小さな声。
「蒼はママの子」
胸の奥が苦しくなる。
蒼。
三歳。
失踪した子。
ゆめが育てていた子。
そして。
私の子?
「そんな……」
ありえない。
だって。
私は知らない。
産んだ記憶なんてない。
子どもを失った記憶しかない。
その時。
紬が首を振った。
「ママ」
涙が落ちる。
「失ったって思わされたの」
空気が凍った。
私は動けない。
「……何」
紬が震える声で続ける。
「病院」
「流産した日」
息が止まる。
「赤ちゃん、生きてた」
心臓が激しく鳴る。
そんなこと。
そんなことあるわけ──
でも。
今までだって。
ありえないことばかりだった。
「ゆめママ」
紬が唇を噛む。
「先生じゃない人と話してた」
「……」
「“この人なら大丈夫”って」
私は頭が真っ白になる。
意味が分からない。
理解したくない。
でも。
紬は続けた。
「そのあと」
震える声。
「ママに、赤ちゃん死んだって言った」
鳥肌が立つ。
私は呼吸が浅くなる。
もし。
もしそれが本当なら。
流産じゃない。
失ったんじゃない。
──奪われた。
その瞬間。
ドアの向こう。
蓮の声。
震えていた。
「……嘘だろ」
掠れた声。
壊れそうな声。
当然だ。
私だって信じられない。
すると。
ゆめが笑った。
小さく。
静かに。
「やっと分かった?」
空気が凍る。
「……ゆめ」
蓮の声。
怒りと恐怖が混ざっている。
「お前、何した」
長い沈黙。
そして。
ゆめが穏やかに言った。
「育てた」
鳥肌が立つ。
「大事に」
少し間。
「ずっと」
その声は。
本当に母親みたいだった。
だから余計怖い。
「だって」
ゆめが笑う。
「私しか愛してなかったから」
私は吐き気を覚えた。
愛してた?
誘拐して?
隠して?
監禁して?
その時。
電話の向こうの男が初めて強い声を出した。
「もうやめろ」
空気が変わる。
男の声が震えている。
怒りだった。
「お前は愛してない」
ゆめが黙る。
男は続けた。
「所有してただけだ」
静寂。
数秒。
誰も喋らない。
そして。
男が言った。
「真白さん」
低い声。
でも。
今までで一番人間らしい声だった。
「蒼くんを連れて逃げます」
私は息を呑む。
「え?」
「もう限界です」
疲れ切った声。
「だから来てください」
その時。
外からサイレンが近づく。
また警察。
誰かが通報したのかもしれない。
男は静かに言った。
「二十分後」
少し間。
「最後です」
通話が切れる。
部屋が静かになる。
そして。
玄関の向こうで。
ゆめがぽつりと言った。
震える声。
初めて。
少しだけ。
怯えているような声だった。
「……あの人が裏切るなんて」
その瞬間。
紬が顔を上げる。
涙だらけの顔。
でも。
どこか希望が見えた顔で。
私に言った。
「ママ、蒼を迎えに行こう」




