本当に好きだった人
「さっきの男だよ」
時間が止まった。
私は紬を見る。
「……え?」
声が掠れる。
紬は震えていた。
でも。
はっきり頷いた。
「ゆめママ」
涙声。
「ずっとその人のこと好きだった」
空気が凍る。
じゃあ。
蓮は?
不倫は?
妊娠は?
全部。
利用?
その時。
ドアの向こう。
完全な沈黙。
蓮も聞いている。
絶対に。
そして。
数秒後。
掠れた声。
「……何言ってるんだ」
蓮だった。
今まで聞いたことのない声。
怒りじゃない。
困惑。
崩れそうな声。
「ゆめ……」
長い沈黙。
すると。
ゆめが笑った。
小さい声。
でも。
残酷だった。
「やっと気づいた?」
鳥肌が立つ。
「蓮さん」
優しい声。
昔みたいに。
恋人に話しかけるみたいに。
「あなた、本当に都合良かった」
私は思わず目を閉じた。
聞いていて苦しい。
でも。
止まらない。
「お金もあった」
「仕事もあった」
「私の言うこと何でも聞いた」
蓮が何も言えない。
その沈黙が痛かった。
そして。
ゆめが続ける。
「でも」
少し間。
「好きじゃなかった」
空気が重くなる。
「一度も」
完全な静寂。
私は想像してしまう。
今の蓮の顔。
全部失った顔。
その時。
スマホが震えた。
非通知。
私は迷った。
でも。
出る。
数秒。
無音。
そして。
低い男の声。
あの男だった。
フードの男。
「聞こえてますか」
私は息を止める。
「……何」
男は淡々としていた。
「時間がない」
その瞬間。
紬が真っ青になる。
スマホに向かって叫ぶ。
「やめて!」
男は無視した。
「真白さん」
静かな声。
「今から言う住所へ来てください」
私は眉をひそめる。
「行かない」
即答だった。
でも。
男は少しも動じない。
そして。
低い声で言った。
「あなたの子どもがいます」
心臓が止まった。
「……は?」
男は続ける。
「一人じゃない」
呼吸が浅くなる。
「何言ってるの」
「本当です」
感情がない声。
だから余計怖い。
「紬ちゃんも知ってる」
私は隣を見る。
紬。
顔色がない。
震えている。
そして。
ゆっくり。
頷いた。
空気が止まる。
「……紬?」
涙が溢れる。
小さな声。
「ごめんなさい」
「何が」
紬が泣きながら言った。
「弟」
私は凍りついた。
「……え?」
「いる」
胸が締め付けられる。
呼吸ができない。
「どこに?」
紬が震える指でスマホを指差した。
男の声。
静かだった。
そして。
最後に。
こう言った。
「今夜助けないと、その子は本当に消えます」




