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夫を奪ったアイドルの娘が、なぜか私を「ママ」と呼んだ。  作者: 熊猫ぱんだ


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逃げた日

「……逃げたんだ」


空気が止まった。


私は紬を見る。


顔色が悪い。


震えている。


でも。


どこか、思い出したくなかった記憶が溢れてきている顔だった。


「紬……」


私はそっと肩に触れる。


びくっと体が跳ねた。


怖がらせた。


でも。


紬は小さく首を振る。


「ごめん……」


「謝らなくていい」


私は静かに言った。


「ゆっくりでいいから、教えて」


紬が膝を抱える。


涙を拭った。


でも。


止まらない。


「……暗かった」


ぽつり。


小さい声。


「ずっと」


私は黙って聞く。


「時計なかった」


「窓もなかった」


「外、見たことない」


背筋が冷える。


監禁。


そんな言葉しか浮かばない。


でも。


子ども相手に?


何のために?


「誰か、ご飯持ってきてた?」


紬が頷く。


「おばさん」


また知らない人。


「優しくなかった」


小さい声。


「“静かにしろ”って」


「……ゆめは?」


その名前を出した瞬間。


紬の肩が震えた。


怖い。


そういう反応だった。


「たまに来た」


私は息を止める。


「何してた?」


長い沈黙。


紬の唇が震える。


言いたくない。


でも。


ゆっくり話し始めた。


「写真撮ってた」


「……写真?」


頷く。


「“笑って”って」


「泣いたら怒られた」


鳥肌が立つ。


何それ。


意味が分からない。


子どもを隠して。


写真撮って。


何のために?


その時。


紬が急に顔を上げた。


「……あ」


「どうしたの?」


目が揺れている。


思い出してる。


何か。


そして。


震える声。


「ゆめママ……」


少し間。


「“この子は使える”って言ってた」


空気が凍る。


使える?


何に?


「どういう意味?」


紬が首を振る。


「分かんない」


「でも」


目に涙が溜まる。


「怖かった」


私はそっと紬の手を握る。


冷たい。


ずっと怖かったんだ。


未来で。


一人で。


誰にも助けてもらえず。


「逃げたって?」


紬が小さく頷く。


「ある日、鍵閉まってなかった」


「……」


「だから逃げた」


声が震えてる。


「すごく走った」


「怖くて」


「追いかけられると思って」


胸が締め付けられる。


十歳の子が。


一人で。


そんな思いを?


「その後は?」


紬が俯く。


そして。


ぽつり。


「……覚えてない」


「え?」


「気づいたら」


少し間。


「ママのところ来てた」


私は息を止める。


未来から来た。


そう言っていた。


でも。


もしかして。


違う?


その時だった。


ブブッ。


スマホが震える。


私も紬も肩を跳ねる。


また。


知らない番号。


新しいメッセージ。


私は恐る恐る開いた。


そして。


血の気が引いた。


画像。


監視カメラみたいな画質。


暗い。


でも。


分かる。


──私のマンション。


今日。


さっき。


警察が帰るところ。


そして文章。


『時間切れです』


次の瞬間。


ピンポーン。


インターホン。


深夜三時半。


紬の顔が、一瞬で真っ白になる。


唇が震える。


泣きそうな声。


「……迎えに来た」

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