110番
──最悪。
その声は、小さかった。
でも。
はっきり聞こえた。
今までの弱々しい声じゃない。
泣いてる声でもない。
冷たい。
苛立ってる。
本音。
私は凍りついた。
……やっぱり。
この人、演技してた。
ドアの向こう。
数秒、沈黙。
そして。
蓮の焦った声。
「ゆめ?」
しまった、と思ったのか。
次の瞬間。
また弱々しい声に戻る。
「……ごめんなさい、私のせいで」
鳥肌が立つ。
切り替え早すぎる。
怖い。
本当に怖い。
その時。
電話の向こう。
警察の落ち着いた声。
『住所を教えてください』
私は震える声で住所を伝えた。
『今、相手は玄関の外ですか?』
「……はい」
『危険を感じますか?』
私はドアを見る。
大きな音。
怒鳴り声。
脅し。
怖い。
でも。
それ以上に。
もう蓮が何するか分からない。
「怖いです」
正直に言った。
『分かりました。すぐ向かいます』
その瞬間。
玄関の向こうで。
蓮の声が変わった。
少し低くなる。
「真白」
怖いくらい静かだった。
「……警察呼んだの?」
息が止まる。
聞こえてた。
私は答えない。
でも。
沈黙が答えになった。
数秒。
静かだった。
次の瞬間。
──ドン!!
今までで一番強い音。
玄関が大きく揺れた。
紬がびくっと震える。
「真白!!」
蓮の怒鳴り声。
「ふざけんな!!」
「ゆめ妊娠してんだぞ!!」
「警察なんか呼んだらどうなるか分かってんのか!?」
私は反射的に後ずさる。
怖い。
本当に怖い。
電話の向こうの警察が、少し声を強めた。
『ドアから離れてください』
『絶対に開けないでください』
私は紬を抱き寄せながら離れる。
その時だった。
ゆめの泣き声。
「……もう帰りましょう」
弱々しい声。
でも。
私は見逃さなかった。
モニター。
ゆめが、ちらっとスマホを見た。
そして。
小さく舌打ちした。
一瞬。
本当に一瞬。
泣いてない顔。
冷たい顔。
苛立ってる顔。
でも。
すぐ戻る。
「私が悪いんです……」
蓮が慌てる。
「違う。お前悪くない」
「全部真白が──」
そこで。
遠くから音がした。
──ウゥゥゥゥン。
サイレン。
小さい。
でも近づいてる。
紬が顔を上げた。
「……来た」
ドアの向こうも静かになる。
蓮が舌打ちした。
「……は?」
ゆめの声。
小さい。
でも焦っていた。
「蓮さん、まずい」
空気が変わる。
初めて。
向こうが焦ってる。
私は震えながら、モニターを見る。
蓮が険しい顔をしていた。
そして。
ゆめ。
さっきまで泣いてたのに。
──無表情。
冷たい目。
そのまま。
まっすぐモニターを見た。
私と目が合った気がした。
そして。
小さく口が動く。
今度は、はっきり見えた。
「覚えててくださいね」
背筋が凍る。
直後。
エレベーターの音。
廊下の向こうから足音。
男性の声。
「警察です」
その瞬間。
蓮の顔色が変わった。




