鍵の音
──ガチャ。
玄関の鍵が回る音。
心臓が止まりそうになった。
私は凍りつく。
……嘘。
なんで?
蓮、鍵持ってる。
当たり前だ。
ここはまだ、私たちの家なんだから。
でも。
今は違う。
怖い。
怖すぎる。
「……っ」
紬の顔が一瞬で青ざめた。
震えている。
「来た……」
小さな声。
怯え切った顔。
私は反射的に紬を後ろへ隠した。
ガチャ。
もう一度。
ドアノブが回る。
でも。
開かない。
──チェーン。
さっき、私がかけた。
玄関の向こうで、小さく舌打ちが聞こえた。
そして。
蓮の声。
「真白」
低い声。
苛立っている。
「開けろ」
私は動けなかった。
怖い。
でも。
何より。
この時間に突然来るのが怖かった。
「真白、聞こえてるよな?」
ドア越し。
すぐそこ。
紬が私の服を掴む。
震えている。
「未来と同じ……」
私は息を呑む。
同じ?
でも。
未来と違うことも多い。
まだ変えられる。
そう思いたかった。
「開けない」
自分でも驚くくらい、小さな声だった。
でも。
ちゃんと届いた。
数秒、沈黙。
そのあと。
蓮の声が少し強くなる。
「話がある」
「明日病院来ないって何?」
「ゆめ、かなり不安定なんだよ」
また。
またそれ。
ゆめ。
ゆめ。
ゆめ。
私は唇を噛んだ。
「私だって不安定だよ」
静かな声。
でも。
自分でも驚くくらい冷たかった。
玄関の向こうが静かになる。
「今日だけで人生壊れた」
少し間。
「なのに、なんで私ばっかり我慢しなきゃいけないの?」
沈黙。
でも。
次に聞こえたのは。
女の声だった。
小さくて。
震えていて。
でも。
どこか作ったような声。
「……奥さん」
星乃ゆめ。
私は息を止めた。
「私、謝りたいだけなんです」
またそれ。
謝罪。
被害者。
健気。
全部同じ。
「赤ちゃんも不安定で……」
ドア越し。
少し鼻をすする音。
泣いてる演技。
でも。
もう分かる。
私は騙されない。
その時。
紬が急に私の服を引っ張った。
「だめ」
小さな声。
でも必死。
「開けたらだめ」
「……何があるの?」
紬の顔が強張る。
言いたくなさそうだった。
でも。
震える声で言った。
「パパ……怒る」
背筋が冷えた。
「怒る?」
紬は頷いた。
「未来で」
少し間。
「ママ、初めて押された」
空気が止まった。
私は何も言えなかった。
蓮が?
私を?
ありえない。
でも。
今日の蓮。
あの冷たい目。
知らない人みたいだった。
その時。
ドアの向こうから。
蓮の低い声。
「真白」
さっきより低い。
苛立ちが混ざってる。
「開けろって言ってるだろ」
ドン。
玄関が揺れた。
紬がびくっと震える。
私は反射的に抱き寄せる。
「大丈夫」
言いながら、自分が震えていた。
すると。
ゆめの声。
小さい。
でも。
なぜか少し笑ってるように聞こえた。
「蓮さん、もう帰りましょう……」
弱々しい声。
守りたくなる声。
でも。
次の瞬間。
ドア越しに、聞こえた。
小さすぎて。
蓮には聞こえないくらい。
でも。
確かに。
「逃げられると思わないで」
私の背筋が凍る。
そして。
──ドンッ!!
今までで一番強い音。
玄関が大きく揺れた。
蓮の声。
苛立ちを隠さない声。
「真白!!」
紬が、泣きそうな顔で私を見る。
震える唇。
「……始まった」
「え?」
紬の目に涙が浮かぶ。
そして。
小さく言った。
「未来で、ママが警察呼べなかった理由」




