最後の言葉
──本当に最低だな。
その言葉が、耳に残る。
何度も。
何度も。
何度も。
胸の奥に沈んでいく。
痛い。
苦しい。
でも。
涙は出なかった。
代わりに、何かが冷えていった。
「……そう」
私は静かに言った。
電話の向こうで、蓮が少し黙る。
たぶん。
泣くと思ったんだろう。
謝ると思ったんだろう。
今までの私は、そうだった。
蓮を怒らせないように。
嫌われないように。
ずっと顔色を見てきた。
でも。
もう違う。
「私、最低なんだ」
『真白、そういう意味じゃ──』
「そういう意味でしょ」
私は遮った。
「不倫したのは誰?」
沈黙。
「妊娠したって言って離婚迫ってきたのは?」
『……』
「家まで来たのは?」
「私の住所を誰かに漏らしたのは?」
蓮が苛立った声になる。
『それは俺じゃない!』
「でも止めてないよね?」
静かに言う。
「私、脅迫されてる」
「死ねって言われてる」
「家撮られてる」
喉が少し震える。
怖かった。
本当は。
すごく。
でも。
もう隠したくなかった。
「それでも、私が最低?」
長い沈黙。
やがて。
蓮が小さく息を吐いた。
『……ゆめ、精神的に限界なんだよ』
私は目を閉じた。
ああ。
やっぱり。
そこなんだ。
私じゃない。
最初から。
守る相手、決まってる。
「分かった」
『え?』
「もういい」
『真白?』
「病院も行かない」
私は静かに続けた。
「話も、もう弁護士通して」
空気が変わった。
蓮の声が強くなる。
『は?』
「慰謝料も請求する」
数秒、沈黙。
そして。
『……脅しか?』
私は笑いそうになった。
脅し?
どっちが?
「証拠あるから」
『何の証拠だよ』
「全部」
録音。
メッセージ。
家に来たこと。
脅迫。
全部。
『真白、お前……』
蓮の声が少し揺れた。
初めてだった。
焦ってる。
その時。
後ろから、女の声が聞こえた。
小さい声。
でも。
分かった。
星乃ゆめ。
『蓮さん……私のせいですよね……』
震える声。
泣いてる声。
でも。
今の私はもう騙されない。
『私、もう消えた方が……』
蓮が慌てる。
『ゆめ、違う!』
『お前悪くないから』
胸が少し冷える。
すごい。
完璧だ。
男が守りたくなる言い方。
責められてる側なのに、被害者になれる。
そして。
ゆめの声。
小さい。
でも。
確かに聞こえた。
『奥さん、怖い……』
──プツッ。
私は通話を切った。
限界だった。
無理。
これ以上聞きたくない。
部屋が静かになる。
紬が不安そうに私を見ていた。
「……ママ」
私はしばらく動けなかった。
ただ。
ぼーっと床を見ていた。
すると。
紬が、小さな手で私の服を引っ張る。
「でも」
「……何?」
紬の顔が少し曇る。
「未来と違う」
私は顔を上げた。
「また?」
紬が頷く。
「未来のパパ」
少し間。
「弁護士なんて言われなかった」
空気が変わる。
「え?」
「ママ、何も言えなかった」
私は固まる。
じゃあ。
今。
変わってる?
未来が?
「だから……」
紬が少しだけ笑った。
安心したような顔。
「まだ、助かるかも」
その瞬間だった。
──ガタン。
玄関の方から音がした。
私は凍りつく。
「……え?」
紬の顔から血の気が引く。
小さく震えながら。
唇を噛む。
「……来た」
「誰?」
紬の声は、ほとんど泣いていた。
「未来で……ママが一番壊れた日」




