行かないと決めたのに
「未来で、ママが初めて倒れた場所だから」
空気が止まった。
私は紬を見る。
紬は本気だった。
嘘をついている顔じゃない。
怯えている。
本当に、あの日を思い出している顔。
「倒れたって……」
声が少し掠れる。
紬は小さく頷いた。
「病院で」
「どうして?」
紬が俯く。
言いづらそうだった。
でも、ゆっくり話し始める。
「ママ、エコー見せられて……」
胸が痛くなる。
欲しかったもの。
何年も願ったもの。
夫と他の女の子ども。
しかも、ちゃんと育ってる証拠。
それを見せられる。
──壊れない方がおかしい。
「それで?」
紬は小さな手を握りしめた。
「ゆめママが言ったの」
嫌な予感。
紬は震える声で続ける。
「“奥さんが産めなかったから、私が代わりに産みます”って」
私は言葉を失った。
……何それ。
人として終わってる。
「そんなこと……言う?」
思わず漏れる。
でも。
あの目。
昨日のモニター越しの顔。
あれなら。
言う。
絶対に。
「それで、ママ倒れた」
紬がぽつりと言った。
「病院で過呼吸になって」
苦しい。
胸が締め付けられる。
未来の私は、どれだけ傷ついたんだろう。
どれだけ耐えたんだろう。
「……行かない」
私は呟いた。
紬が顔を上げる。
「え?」
「そんな場所、行かない」
怖い。
正直、怖すぎる。
未来を変えたい。
でも。
傷つく未来が分かってる場所に、自分から行けるほど強くない。
その時。
ブブッ。
通知。
また星乃ゆめ。
私は身構える。
開く。
そして。
血の気が引いた。
画像。
──私の家。
マンションの入口。
数分前に撮られたみたいな写真。
そして文章。
『逃げないですよね?』
喉が詰まる。
怖い。
怖すぎる。
続けて。
『赤ちゃんに何かあったら困るので』
意味が分からない。
何で私が責任取る流れなの?
さらに。
最後の一文。
『蓮さんも悲しみます』
その瞬間。
紬が立ち上がった。
「だめ」
顔色が悪い。
「これ、未来にない」
「え?」
「こんなの送ってこなかった」
紬の声が震える。
つまり。
未来が変わってる。
でも。
良い方向じゃない。
悪化してる。
「なんで……」
私はスマホを見る。
その時だった。
着信。
蓮。
少し迷って出る。
「……何」
蓮の声は、苛立っていた。
『真白、お前何した?』
私は眉をひそめる。
「は?」
『ゆめ、泣いてるんだけど』
心臓が冷える。
まただ。
全部私のせい?
『精神的に限界だって』
『赤ちゃんに影響出たらどうすんの?』
怒りで頭が熱くなる。
「私のせい?」
『お前、責めすぎなんだよ』
「責めた?」
思わず笑う。
乾いた笑い。
「不倫されて、妊娠されて、離婚迫られて、家まで来られて、脅されて」
声が震えた。
「私、何された?」
数秒沈黙。
でも。
蓮は言った。
『……ゆめにも事情あるんだよ』
その瞬間。
何かが完全に冷めた。
ああ。
この人、もう駄目なんだ。
私じゃない。
最初から。
守る相手、決まってる。
「蓮」
静かに言う。
「病院、行かない」
沈黙。
そして。
低い声。
『逃げるんだ?』
「違う」
『真白、お前さ』
少し間。
『本当に最低だな』
呼吸が止まった。
最低?
私が?
その時。
隣の紬が、急に顔を真っ青にした。
「……うそ」
「え?」
紬の視線が、私のスマホに向く。
震える声。
「その言葉……」
嫌な予感。
紬が泣きそうな顔で言った。
「未来で、パパがママに最後に言った言葉」




