王子様、口説く。
怒りに任せて、がつがつと床を踏み鳴らしながら歩く。哀れな床材に罪はないのだが、こうして当たらないとやっていられない。
夜会から一週間がたった。フェリシアは夜会の次の日にはすでに領地に出発していて、挨拶もなかった。
それも怒りを煽ったが、「なぜ挨拶なしに帰った!?」という手紙を勢いに任せて送ったところ、「そのような慣わしがありましたかしら? 病気のウサギがいたので、気になって忘れておりました。申し訳ありません」とのそっけない返事が届いた。
フェリシアにとっては、自分はやはりうさぎごときに負ける程度の存在なのかと思うと、怒りを通り越してむなしくなってくる。
そのうえ、今朝ラズウェルの元に届けられた一通の書簡は、さらに怒りを煽るのに十分な内容だった。
政務の時間まで、まだ間がある。両親は私室にそろっているはずだ。来訪を告げ、部屋に通されると、ラズウェルに向けられた二人の含んだ笑顔に腹が立った。
「花嫁候補の女性を王宮に上げるとはどういうことですか!」
「どういうも何も、そのままの意味です。王宮のしきたりを覚えてもらうために、王族つきの侍女として3ヶ月、こちらに滞在していただくことにしたのよ」
「俺は何も聞いてません!」
「あら、聞くまでもないと思ったのだけど、違ったかしら?」
母にそう問われて、ラズウェルはぐっと黙り込む。
届いた書簡の中身は、ラズウェルの花嫁候補を決定し、城で王女の専属侍女として3ヶ月勤めること、との内容だった。
そこに、女性の名前はひとつしか記されていなかった。
フェリシア・フェルニール
母はただ笑うだけだ。今この話がラズウェルの元に届くと言うことは、夜会の時にはすでに内定していたと言うことだろう。
「不満がある、または望む女性がいると言うのなら考えます。そうでないなら、こうして朝から押しかけてくるだけの理由をおっしゃい」
「俺になんの断りもなく…!」
「あら、今までこちらがいろいろと含みを持って女性を招こうが、気にもしなかったじゃないの。だから誰でもいいのだと思っていたわ。今更断りを入れる必要があって?」
「覆したければ、相応の理由を持ってくるんだな」
痛いところを突かれて、ラズウェルは黙り込む。
勝ち誇ったような両親の顔に、はらわたが煮えくり返りそうだ。
「…フェリシアとの出会いも、あんたらが仕組んだんですか!」
「まぁ、言葉遣いの悪いこと。私達は何も仕組んでなどおりませんよ。フェルニール伯の領地監査に勝手についていったのは、あなたでしょうに」
「それは…っ」
「例え仕組んだことだとしても、フェルニール伯の領地に行くまでの事。その後の出会いは画策したものではありません。あなたが見つけて、あなたの意思で興味を持ったのでしょう? わたくしたちがとやかく言われる筋合いはありません」
母にばっさりと切って捨てられて、ラズウェルは返す言葉がない。
実際には、ラズウェルの性格を考えた上で、領地監査をフェルニール伯爵領へと定めたのは、宰相アレクサンドル・ウォーロックによる計算ではあった。
そこにしっかり乗っかってしまったのは、完全にラズウェルの手落ちに違いない。
「お前をいつまでもふらふらさせておくわけにはいかん。それはおまえ自身よくわかっているはずだ。だが、お前は自覚しつつも先延ばしするばかりで、一向に埒が明かないから、こちらでも手を打たざるを得なかった。われわれも好きでやったわけではない。そこは履き違えるな」
淡々と事実を突きつけられて、ラズウェルにもはや勝ち目はない。
だが、両親の笑みが、とたんにしたり顔に変わる。
「とはいえ…お前になかなかに合いそうな娘だったそうではないか。口説きにかかって2度も逃げられたと聞いたぞ」
「口説いていないし逃げられていません! どこから聞いたんだ!」
「そこはいろいろとつてがあるのよ。気に入っているお嬢さんだから、根回ししたことが余計に気に入らないのでしょう?」
「うるさいな、余計なお世話だ!」
もはや言葉遣いを取り繕うこともせず、ラズウェルは怒鳴った。
くそ、狸と狐がそろうとろくなことがねぇな! と、ラズウェルは内心で毒づく。
「とにかく、これ以上のお膳立ては無用です。後はこっちで何とかします! 一切口出しも手出しもご遠慮願いたい! でなければ俺は今後誰とも結婚はしません!」
言い捨てて、ラズウェルは憤然と両親の私室を後にした。
背中に放たれる二つの高笑いの、なんと忌々しいことか。そして、言い捨てて、まるで逃げるように去る自分の情けなさが腹立たしい。
とはいえ、自分で動くと宣言した以上、さすがに両親もこれ以上の手出しはしないだろう。
「…仕切りなおしだ」
深くため息をついて、ラズウェルは顔を上げる。
華月宮は、王族の住まう建物だ。ラズウェルの出入りは自由だとはいえ、例外もある。
華月宮は、王族が住まう場所であると同時に、王宮に勤める女性の居住棟もある。その居住区画には、王族とはいえ男性は立ち入ることは出来ない。
フェリシアが王宮に上がると知らされてから一ヶ月、待ち望んだ彼女がやってきた。
ただ、ラズウェルは若干逃げ腰ではあったが。
今回のことについて、(意訳すれば)楽しみにしているとの手紙を送ったのに、フェリシアは何の返事もよこさなかったのだ。
なんだかすでに答えが出ている気がする。最後通牒を待つ気分で、ラズウェルは居住区画の入り口に立っていた。
程なく姿を現したフェリシアは、水色に小花柄をあしらったワンピース姿で、流れる白金の髪を、半分だけ上げて後ろで止めていた。
久々に見る姿は変わらず愛らしく、ラズウェルの心を締め付ける。
「久しぶりだな。元気だったか」
「元気ではありません」
いきなりつんとそっぽを向かれて、ラズウェルは弱る。
「話したいことがある。少しだけ付き合ってくれないか」
「…どうせ断れないのでしょう? いいですよ」
とげのある声に引っかかりを覚えながら、ラズウェルは華月宮の奥庭にフェリシアを案内した。
ここは、母がこよなく愛する薔薇園だ。華月宮に住まうものの中でも、限られた人間しか出入りは出来ない。
その東屋に腰を落ち着けて、フェリシアは驚いたようにきょろきょろしているフェリシアを見つめた。
「母の薔薇園だ。自分で珍しい薔薇を探してきては取り寄せて、庭師と共に作り上げた。自慢の庭だ」
「そうですか。すばらしいですわ。領地で見る薔薇もありますのね。これは寒い地域で育つと聞いていましたのに、ここで見られるなんて思いませんでしたわ」
「アクセルが…弟が魔術師でな。魔術で、この株にだけ寒冷な環境を作っているらしい。俺は魔術のことはよくわからんが」
「そうでしたの」
「…手紙。なぜ返事をよこさなかった?」
意を決して切り出せば、フェリシアにじろりとねめつけられる。
「あんな手紙に、なぜ返事を書かなければいけませんの?」
思わぬ強い拒絶に、ラズウェルはたじろぐ。そんなラズウェルに、フェリシアはカッと目を見開いた。
「だって。『来る気があるなら歓迎してやってもいい』とか、『王宮のしきたりは、田舎育ちのお前には理解できないかもしれないが』とか、『せいぜい粗相のないようにな』なんて書かれて、私が喜ぶとでもお思いですの!? わたくし、机の奥底に手紙をしまって、それ以来目にもしておりませんわ!」
と怒鳴りつけられて、ラスウェルは愕然とした。
自分としては、あまりにも浮かれた内容だとフェリシアに引かれるかと思い、なるべく言葉を選んで、手紙を書いたつもりだったのだ。
つまり、『来る気があるなら歓迎してやってもいい』とは、『ぜひ来て欲しい。楽しみにしている』と。
『王宮のしきたりは、田舎育ちのお前には理解できないかもしれないが』とは、『王宮は面倒なしきたりが多くて、慣れるまでには時間がかかるかもしれない』と。
『せいぜい粗相のないようにな』とは、『頑張って勤めてくれ』と。
面と向かって書き記して送るのが気恥ずかしかったため、迷いに迷ってそっけない文面にしたつもりだったが、逆に失礼な言い回しになっていたことにはまったく気づいていなかった。
「違う! 怒らせるつもりで書いたわけではない!」
あわてて声を上げても、フェリシアのすっかり冷め切った瞳は回復の兆しがなく、ラズウェルは焦る。
「あ、あれは言葉のあやと言うかだな! こっちもどう書けばいいのか迷ったんだ! と、とにかく、俺は別にお前に来て欲しくなかったわけでは!」
言い募れば言い募るほど、いいわけめいてきて、フェリシアの目がますます据わる。
「じゃあ何ですの? はっきりおっしゃって」
「あ、う…」
言えるか! なんて怒鳴ることはもう出来ない。そんなことをしたら、逃げられる。
困りきって、ラズウェルは話をそらした。
「嫌だったら、言えばよかったのに」
「断れなかったのです!」
「…何!?」
身を震わせて、フェリシアは叫んだ。それは、どうしようもない怒りと、そして悲しみに満ちている気がして、呆然とする。
フェリシアは、ラズウェルを睨みつけたまま、ぎゅっとワンピースの布地を掴み締めた。
「だって、父が、『もう話は受けてしまった』って。『断るには賠償金が要る』って。それには、それには…!」
フェリシアの瞳が涙で潤む。くしゃりと泣きそうな顔に、ラズウェルはあわてた。
「お、おい!」
「当家のうさぎを全部売り払わなければ、払えないって言うんですものー!」
「んなわけあるかぁぁ!!」
叫んだラズウェルに、フェリシアはきょとんとしてラズウェルを見る。
「お前の親父はどんな嘘をついてくれてんだ! 賠償金なんているはずがないだろうが! 相応の理由があれば、断ったってよかったんだよ! お前、何でもかんでもうさぎと結びつけるのはやめろ! お前の判断基準がすべてうさぎっておかしいだろ!?」
「どうしてですの? だって、当家のうさぎは、すべて売り払えば数千万のお金になりますわ。そんなことをしたら、実家が傾きます。両親も、使用人たちも、領民も、みんなが貧困にあえぐのですよ!? 黙って見てはいられませんわ! 判断基準にするには十分な理由になると思います!」
「だから、しないって言ってるだろうが…」
ラズウェルは頭を抱えてしゃがみこむ。「あら? そうなんですの?」なんて、無邪気に首をかしげるフェリシアを見やって、ため息をつく。
こんな反応をするくらいだ。きっと、望んでいなかったに違いない。フェリシアを手に入れたいとは思うが、彼女を傷つけてまで、というのはもちろん、本意ではなかった。
「そんなにいやなら、帰ってもいいんだぞ」
「え?」
ラズウェルは、ゆっくりと立ち上がった。まっすぐにフェリシアを見ると、そのアメジストの瞳は、臆することなく見返してくる。
その、媚びも思惑もない、ただひたすらにラズウェルだけを見つめる瞳が、欲しい。
「お前は、納得していないんだろう? 無理強いは、したくない」
欲しいけれど、その瞳が曇るのは、ラズウェルを見てくれなくなるのは…嫌だ。
「それでいいんですの? ラズ様は、どうなんですの?」
けれど、そう問い返されて、ラズウェルは口をつぐむ。フェリシアの瞳は揺らがない。ただ、ラズウェルの真意を望んでいる。
「だって私、まだラズ様から何も聞いていないんですもの。そうかと思えば、あんな手紙ですし。…私は、望まれていないのであれば、帰りたいです」
一瞬躊躇して、そのときにはわずかに瞳が揺れた。
望まれていないのなら、帰りたい。ならば、その逆ならどうだ?
「では、俺が望めば、ここにいてくれるか?」
「その前に、ちゃんと説明してください」
途端に、つんと唇を尖らせて追求された。それだけで、観念したような気分になってしまう。まったく、どこまでもフェリシアには弱い。
「その、だな。いろいろと聞きたいことも話したいこともあったんだが、とりあえず手紙を書いてみようとは思ったんだ。だが、その、女性に手紙を書くということがなくて、どう書けばいいものかと悩んだんだ、これでも!」
「…それで?」
がりがりと頭をかき回すラズウェルにも、追及の手を緩める気はなさそうだ。興味深々に覗き込まれて、追い詰められているような気がする。
「その、だから! 歓迎しているとか、楽しみにしているとか、頑張れとか、俺がすごく喜んでいるように見えて引くだろうが! だから、そうは見えないように気を使って…」
「私は、嬉しいですけれど」
「…は?」
ラズウェルの言葉をさえぎって、フェリシアがきっぱりと言った。思わず、ぽかんとして彼女の顔をまじまじと見れば、フェリシアは呆れたようにため息をつく。
「というか、ラズ様、気を使う方向が間違っています。それも、はなはだしく」
「悪かったな!」
どうやら、自分は思い違いをしていたらしい。女性と付き合ってきた経験値と、好きな女性を振り向かせるための経験値は、まったく別物のようだ。こうして呆れられているのが何よりの証拠だ。
それとも、…相手が、フェリシアだからか?
不意に、フェリシアが目をそらした。
「…ラズ様のおそばにいるのは、嫌ではありませんから」
小さくつぶやいた頬が、うっすらと朱に染まる。それに、フェリシアはさっきから、ラズウェルのことを「ラズ」と呼ぶ。
近しいもの以外には呼ばせたことのないそれが、フェリシアの声になると、どうしようもない熱を伴って、耳をくすぐる。
「また微妙な言い方を…」
そう言いつつも、ラズウェルはフェリシアのたおやかな手をそっと取った。
「フェリシア、正直に言う。お前がこの場にいることに、俺の意思は介在していない。だが…都合がよかったと、ラッキーだったとは思っている。お前が花嫁候補になったことが、俺は、どうしようもなく嬉しいんだ。その…だから、まずは俺のことを近くで見て、知ってくれ。俺も、お前のことが知りたい」
遠まわしでなくていい。取り繕わなくていい。ごまかしてはだめだ。言い訳なんか、この娘には通用しない。だから、今度こそ、言葉を選ぶ。自分を隠さない、ありのままの言葉を。
「はい」
そうすると、視線を戻して、フェリシアがまっすぐラズウェルを見上げた。そのアメジストの瞳は、激しくラズウェルの心を騒がせる。
「嫌なことや、気に入らないことがあれば言え。なるべくお前の望みはかなえたい。ここで不自由になるようなことはさせない」
「はい」
どういえばいいのかわからない。ラズウェルは、フェリシアの小さな手を握る指先に力を込めた。
「来てくれて、感謝する。…大切にする」
「…はい」
ラズウェルを見上げたフェリシアは、輝くような笑顔を浮かべて、うなずいた。
ここで一旦完結にします。
読んでくださってありがとうございました。