第5話 道中の礼砲
翌朝の街道は、霧が薄かった。
隊列は夜明けとともに動き始めた。先頭のエルトの馬車が石畳を鳴らし、難民たちがその後ろに続く。クラリスは後方から全体を見ていた。目録が視界の端にある。昨日の戦闘で充填された輪郭がいくつか増えている。今日のところは使わずに済むかもしれない。
セラがクラリスの2歩後ろを歩いていた。
昨日からずっとその距離だった。近づくでも離れるでもなく、2歩。クラリスが立ち止まれば止まる。歩けば歩く。声はまだない。
1時間ほど歩いたところで、セラが止まった。
立ち止まったのではなかった。足が、止まった。自分でも気づいていないような止まり方だった。視線が街道の前方、木立の続く緩やかな斜面の上に向いていた。
クラリスはそれを横目で見た。
「少々、お待ちいただけますか」
静かに、穏やかに言った。セラに向けて。
セラは答えなかった。ただ、視線が街道の先から動かなかった。
クラリスは隊列の先頭まで歩いた。
「エルトさん。止まってください」
「何か?」
「念のため」
エルトは何も言わなかった。しかし手を上げた。隊列が止まった。
クラリスは街道の先を見た。霧の切れ間に、木立が続いている。鳥の声がない。朝のこの時間に鳥の声がない斜面は、何かがいる。
目録の輪郭が、わずかに増した。
魔素だ、とクラリスは思った。どこかで集めている。まだ遠い。詠唱前の予備充填か、あるいは複数の魔法使いが同時に動き始めているか。
右手が自然に後ろへ回った。安全装置を外す感触があった。
斜面の上から、声が来た。
笑い声が複数。昨日の略奪者とは違う数だった。多い。木立の間に人影が見え始めた。10人は超えている。先頭に立つ男が腕を上げた。
「荷物を置いていけ。それで見逃してやる」
クラリスは動かなかった。
隊列の中で、誰かが息を呑む音がした。老夫婦が身を寄せ合った。従者の1人が後退りした。
目録の輪郭が増していく。魔素が集まっている。斜面の上に魔法使いがいる。1人ではない。クラリッサの記憶が人影の配置から読んだ。3人か4人。それぞれが別の魔法を構えている。節が重なれば、クロスで来る。
P90の輪郭が一段、増した。
引き金にかかる指に力が入った。
先頭の男が踏み出した。
クラリスは銃口を上げた。
男が止まった。P90の銃口が自分に向いていることは分かっても、それが何かは分からない。細い筒。魔道具にしては形が違う。魔素反応がない。男の顔に、混乱が走った。
詠唱が始まった。
斜面の上から、複数の声が重なった。クラリッサの記憶が魔法を分類した。火系が2つ。風系が1つ。火系の方が節が多い。先に仕留める順番が決まった。
目録の充填が加速した。
クラリスは走った。
斜面を3歩登った時点で、銃口が魔法使いの1人に合った。引き金を引いた。連射。短く2発。魔法使いが崩れた。魔素が散った。散った魔素がP90に吸い込まれていく感触があった。
2人目の魔法使いが節を上げた。
クラリスはすでに横へ出ていた。銃口が追う。引き金。2発。崩れた。充填が来た。
3人目が詠唱を中断した。逃げようとした。
風系の魔法が中断されたことで魔素が宙に散った。その魔素もP90へ流れ込んだ。
斜面の下で、剣を持った男たちが動いた。
7人か8人。隊列の方へ向かっている。クラリスは斜面を下りながら銃口を向けた。
銃声が、朝の街道に響いた。
乾いた連射音が木立に反響して、何発も鳴ったように聞こえた。動いた男たちが順番に止まった。全員ではなかった。3人が反転した。走って逃げた。クラリスはその背中を見た。追わなかった。
沈黙が来た。
霧が薄く漂っていた。
隊列の中から、誰かが声を上げた。
女の声だった。何を言っているのか、最初は分からなかった。
「何もしていないのに、何もしていないのに人が倒れた」
繰り返していた。同じ言葉を何度も。エルトが女に近づいて肩に手を置いた。従者たちが互いを確認し合っていた。
老人が、街道の上に倒れている男たちを見た。
「魔法か?」と老人が言った。
誰も答えなかった。
エルトが振り返った。クラリスと目が合った。エルトの顔に、昨日とは違う何かが浮かんでいた。恐怖ではない。昨日の困惑でもない。もっと複雑な何かだった。言葉を探しているようだった。
クラリスは戦闘後の動作に入った。
目録を確認した。魔法使い3人分の魔素が入っている。使わなかった分の輪郭はそのままだった。倒れた者たちを確認した。息のある者、ない者。それぞれに片膝をついた。目を閉じた。
いつもより短かった。隊列の中で人が見ている。長くすることができなかった。
立ち上がった時、視界の端に動きがあった。
密偵の男だった。
隊列の外れで、小さな動作をしていた。手のひらを合わせて、何かを押しつぶすような動き。一瞬で終わった。魔法の痕跡はない。魔素も動いていない。
魔法ではない伝達手段だとクラリスは判断した。
確信になった。
男はクラリスの視線に気づいていない。隊列の中に戻り、荷物を整え直していた。普通の動作だった。普通に見えすぎていた。
追い詰める理由はなかった。今ここで動けば、男が持っている情報の流れが変わる。誰に送っているのか。何を送ったのか。泳がせておく方が、分かることが多い。
クラリスは目録を確認する振りをして、男から視線を外した。
隊列が動き始めた。
エルトが馬車の上からクラリスを見ていた。
何か言おうとして、止めた。




