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銃弾と祈りのシスター  作者: 猫じゃらし
第5章 魔力がなくとも
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第36話 大和、最後の一撃

 クラリスの背中が見えた。


 セラは耳栓を両手で押さえながら、その背中を見ていた。


 シスター服の背中だった。黒かった。風が来て、裾が少し動いた。それ以外は動いていなかった。石のように静止していた。右腕の先に、黒い板の輪郭が滲み出していた。まだ形が定まっていなかった。揺れていた。


 3キロ走った。


 セラの足はまだ動いていたが、感覚が薄かった。石混じりの地面を走り続けた足の裏が、じんじんとしていた。息が整ってきたのはつい今しがただった。


 荒野の向こうに、男が見えた。


 遠かった。小さかった。しかし確かにこちらへ向かっていた。歩いていた。


 クラリスは動かなかった。


 右腕の黒い板が、少しずつ形を持ち始めていた。


 セラには分からなかった。何が起きているのか。ただ、クラリスが今完全に無防備だということだけが分かった。後ろからでも横からでも、何かが来たら。



 気配があった。


 右側だった。


 荒野の草もない地面に、影が動いた。人の影だった。修道院の方向ではなかった。ローブを着て剣を持っていた。


 クラリスに向かっていた。


 セラは考えなかった。


 走った。


 魔力ゼロで。理由も計算もなく。ただ、クラリスの前に立った。



 魔法だ。剣を持ちながら詠唱していた。放たれた魔法がセラの左肩に当たった。


 地面に倒れた。




 クラリスは音で気づいた。


 倒れる音だった。


 右腕の感覚が揺れた。召喚の精度が乱れた。乱れた、という感覚が走った瞬間に。


 三層が、ざわついた。


 クラリッサの感情が動いた。理沙の計算が止まりかけた。クラリスの意志が揺れた。


 三層全てが、セラへ傾いた。


 セラ、という言葉が、声にならないまま内側を通った。


 

 収まった。


 ざわついた波が来て、引いた。引いた後に残ったのは、静かな判断だった。


 今、できることを。


 右腕の感覚を取り戻した。召喚の精度を戻した。左手でP90を取り出す。出しっぱなしだった。召喚は必要ない。


 刺客が次の詠唱に入っていた。


 左手のP90を向けた。引き金を引いた。


 詠唱が止まり刺客が崩れた。


 右腕の感覚がまた定まった。


 召喚を続けた。




 セラが倒れている場所を、視界の端に置いた。


 動いていた。完全には倒れていなかった。左肩を右手で押さえながら、地面に膝をついていた。致命傷ではなかった。


 今は、それで十分だった。


 荒野の向こうに男がいた。まだ歩いていた。距離が縮まってくる。しかしまだ3キロ圏内には入っていなかった。


 左手のP90を収めた。


 双眼鏡を取り出し目に当てる。


 男を確認した。


 距離——3.1キロ。


 方角——北北東、2度の誤差。


 理沙の計算が走った。砲弾初速780メートル毎秒。砲弾重量1460キログラム。風速と風向。目標の移動速度と方向。着弾予測点の導出。


 右腕の黒い板に、数値が入力された。意識してではなかった。計算が終わった瞬間に、手が動いていた。


 「0.02秒の誤差も、許しません」


 声に出ていた。気づかなかった。理沙の言葉だ。最期の言葉と同じ言葉が、今この荒野で零れた。



 セラを確認した。


 膝をついたまま、耳栓を押さえていた。こちらを見ていた。目が合った。


 セラが頷いた。


 クラリスは前を向いた。


 召喚が完了した。



 46センチ砲が、荒野の空気に根を張った。黒い板の座標が確定していた。



 発射。



 砲口から、火柱が吐き出された。


 直径46センチの白煙が空へ向かった。衝撃波が荒野の地面を叩いた。クラリスのいる位置まで、くぐもった重低音が来た。足の裏から地面の振動が伝わった。



 沈黙が来た。


 荒野が静かになった。


 男はまだ歩いていた。こちらへ向かっていた。何が来るか知らなかった。音速を超えた砲弾は、探知魔法にも引っかからない。


 3秒。


 3.85秒。



 爆音が来た。


 腹に響く爆裂音だった。3キロの距離だ。耳栓越しでも圧が来た。地面が小刻みに震えた。荒野の土埃が舞い上がった。爆風がかすかに届いた。シスター服の裾が揺れた。


 男がいた場所に煙が上がった。



 煙が収まるまでクラリスは動かなかった。


 双眼鏡で確認した。


 煙の中に何もなかった。


 1460キログラムの砲弾が直撃していた。どんな結界も運動エネルギーは防げない。100年以上の不死が砲弾の前に崩れ去った。


 46cm三連装砲が収束する。右腕の重さが消えた。


 懐中時計を左手に握ったままだった。親指で蓋を閉じた。


 胸元に戻した。


 振り返る。



 歩いた。


 走らなかった。ただ、歩いた。


 セラが地面に膝をついていた。左肩を押さえていた。クラリスが近づく足音を聞いて、顔を上げた。


 クラリスは膝をついた。


 地面に膝をついた姿勢で、セラと目線を合わせた。


 初めて会った時と同じ姿勢だった。硝煙の中で、震えているセラと初めて目線を合わせた時と同じ姿勢。


 「怪我はありませんか?」


 まったく同じ第一声だった。


 セラが目を開けた。


 薄緑の瞳がクラリスを見た。


 少しの間があった。


 「……クラリス様」


 「はい」


 「終わりましたか?」


 クラリスはセラを見た。左肩を押さえた手に、血がにじんでいた。痛いはずだ。それでもセラは聞いた。自分のことより先に聞いた。


 「はい」


 クラリスは答えた。


 「終わりました」


 荒野に煙が残っていた。


 朝の光の中で、煙が細くなっていった。

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