第31話 セラへの真実
宿に戻ったのは夕暮れの後だった。
セラが部屋で待っていた。クラリスが扉を開けた時、セラは窓の近くの床に座って、膝を抱えていた。顔を上げた。クラリスを見た。それから、クラリスが持っている文書の束を見た。何も聞かなかった。
「ただいま戻りました」
「おかえりなさい」
それだけだった。
クラリスは文書を机の上に置いた。上着を脱いだ。椅子に座った。セラがまだ床に座っていた。
「夕食を取りに行きましょうか」
「……うん」
2人で食堂へ行った。リードはいなかった。王国軍への連絡があると、昼のうちに宿を出ていた。食堂には他の客が数人いた。2人は隅のテーブルに座った。パンとスープを頼んだ。セラはスープを半分ほど飲んで、止まった。
「クラリス様」
「はい」
「何か、見つかりましたか?」
クラリスはパンをちぎる手を止めた。セラの目が真っ直ぐだった。今日一日、ここで待っていた目だった。
「見つかりました」
「……そうですか」
セラはスープの椀を見た。それ以上は聞かなかった。聞かないことを決めた顔だった、とクラリスには見えた。
食事を終えて、部屋に戻った。
リードが戻ってきたのは、夜になってからだった。
廊下で短く話した。文書を確認してもらった。リードは内容を読んで、しばらく黙った。
「これを、王国はどう扱いますか?」
クラリスが聞くと、リードは「上に渡します」と言った。「ただ、すぐには動けないと思います。証拠の確認に時間がかかりますので」
「分かりました」
「あなたは、次にどう動くつもりですか?」
クラリスは廊下の窓の外を見た。王都の夜の明かりが散っていた。
「今夜、セラに話します」
リードが少し間を置いた。
「全部、ですか?」
「はい」
またリードが黙った。今度は長かった。
「……分かりました」
それだけ言って、リードは自分の部屋へ戻った。
部屋に入った。
セラがベッドの端に座っていた。眠る前の姿勢ではなかった。起きて待っていた。
クラリスは椅子を引いた。セラと向き合う位置に座った。
何から話すか、昼のうちから考えていた。順番を何度か変えた。最初に懐中時計の話をするか。最初に家系の話をするか。それとも、オスカーの研究から始めるか。
どこから始めても、最後に行き着く場所は同じだった。
セラは鍵だった。100年前から、そのために生まれた家系だった。戦争で家族を失って、瓦礫の中を生き延びて、クラリスと出会ったことに、最初から意味があった。その意味を、今夜伝える。
伝えることで、セラの過去が変わる。変わる、というより重さが加わる。加わった重さを、10歳かそこらの子供が受け取る。
その重さを渡すことが、正しいかどうか。
昼のうちから考えて、答えは出なかった。今も出ていなかった。
ただ、セラには知る権利があった。それだけは、揺らがなかった。
「セラ」
「はい」
「あなたに話しておかなければならないことがあります。長くなりますが、聞いてもらえますか?」
セラが背筋を伸ばした。
「聞きます」
話し始めた。
最初にオスカー・フォン・ヴァルシュタインという人物のことを話した。100年前の帝国の侯爵。魔力ゼロの者にも固有の力があるという理論を持っていた研究者。その研究が組織に危険視されたこと。処刑される前に、研究を残そうとしたこと。
セラは黙って聞いていた。
次に懐中時計の話をした。オスカーが娘に渡した形見であること。処刑後に協力者が回収したこと。その協力者の家系が、100年間時計を守り続けたこと。
セラの目が、少し動いた。
「その家系というのは?」
クラリスは少し間を置いた。
「あなたの家系です」
セラが息を止めた。
「あなたのお父さん、お母さん、その前の世代も、ずっと守ってきました。戦争で亡くなる前まで」
セラの手が膝の上で、ゆっくりと握られた。
クラリスは止まらなかった。
懐中時計がクラリスの手元に来た経緯を話した。瓦礫の中で見つけたこと。最初は何かわからなかったこと。旅の途中で少しずつ意味がわかってきたこと。
それから、学者の書斎での話をした。セラが資料に触れた時に起きたことを、そのまま話した。手の甲に浮かんだ紋様のこと。本人には見えていなかったこと。老人が震えていたこと。
「……わたし、気づいてなかった」
「はい。見えていなかったと思います」
「あの、温かい感じは」
「封印が、あなたに応答していました」
セラの目が赤くなっていた。泣いているわけではなかった。泣く前の目だった。
クラリスは続けた。
オスカーの研究資料の暗号はセラの血統を鍵にして封印されていたこと。セラ自身が、100年前に設計された解読の鍵であること。それはオスカーが協力者の家系に託した権限であること。
「つまり」
セラが声を出した。かすれていた。
「わたしは、最初から——」
「はい」
「クラリス様と、会うことになっていたんですか?」
「そうとも言えますし、そうではないとも言えます」
クラリスは少し考えてから続けた。
「ただ、あなたがわたしと一緒にいることには、100年前から繋がっている理由がありました」
セラが俯いた。
泣いていた。声は出なかった。肩が小さく動いていた。
クラリスは待った。
止まらなかった。話すべきことがまだあった。告発状のこと、冤罪の構造のこと、今日見つけてきた文書のことを、必要な部分だけ話した。全部ではなかった。今夜渡せる量を選んだ。
セラはずっと聞いていた。泣きながら聞いていた。
話し終えた。
「これが全部、本当のことです」
セラが顔を上げた。目が赤かった。頬が濡れていた。
しばらく、何も言わなかった。
部屋の外で、街の夜の音がかすかにしていた。
セラが息を吸った。
「それじゃあ、わたし」
少し止まった。
「最初からクラリス様と一緒にいる理由があったんですね」
泣いていた。笑っていた。どちらも本物だった。
クラリスは何も言わなかった。
セラの言葉が部屋の中にあった。クラリスはその言葉を、ただそこに置いたままにした。何かを加えなかった。加える必要がなかった。
セラが眠ったのは、それから少ししてのことだった。
泣き疲れたのか、布を被った後すぐに呼吸が深くなった。亜麻色の髪が枕に広がっていた。
クラリスは立った。棚から予備の布を取った。セラにかけた。
それから、セラの顔を見た。
口が動いた。声は出なかった。
100年前から、ありがとうございました。
セラは眠っていた。聞こえていなかった。それで良かった。
クラリスは窓際の椅子に戻った。
懐中時計を取り出した。今夜2度目だった。昼間に一度、話す前に確かめていた。
蓋を開いた。
紋章の下に、魔法文字があった。前夜に全文を読んだ文字だった。今夜も読んだ。
「次に目覚める者へ」
「あなたは、ここまで来ました」
蓋を閉じた。
胸元に戻した。両手を膝の上に重ねた。
セラの呼吸が聞こえた。
「続きを、します」
今度も、声には出なかった。
夜半を過ぎてから、廊下に出た。
リードの部屋の扉を、3回叩いた。
しばらくして扉が開いた。リードが出てきた。眠っていたようだったが、目が覚めていた。
「あなたは彼女に全部話したんですか?」
「はい」
リードが廊下の壁に背をつけた。
「それが、正しいと思いますか?」
「わかりません」
クラリスは答えた。
「ただ、彼女には知る権利がありました」
リードが少しの間、クラリスを見た。何かを言おうとして、言わなかった。
「……おやすみなさい」
「おやすみなさい」
扉が閉まった。
廊下に一人になった。
クラリスは部屋に戻った。椅子に座った。窓の外に王都の夜があった。セラの呼吸がまだ聞こえた。
それだけで、十分だった。




