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銃弾と祈りのシスター  作者: 猫じゃらし
第三章 鉄の聖女、現る
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第25話 鉄の聖女と呼ばれた日

 次の街に着いたのは夕方だった。


 空が赤く染まり始めている。石畳が夕光を吸って鈍く光っている。その上を、クラリスとセラとリードの三人が歩いた。リードは終始無言だった。朝からずっとそうだった。何かを言おうとするたびに口を閉じる、という動作を繰り返していた。


 セラが少しだけクラリスの後ろを歩いていた。





 宿に荷を置いて、すぐに街へ出た。


 目的があったわけではなかった。ただ、動いていないと情報が集まらない。理沙の思考回路がそう判断した。平時でも目録は視界の端に薄く広がっているが、昨日とは違う感触があった。46cm三連装砲塔の輪郭は灰色に霞んだままだった。充填は尽きていた。次の機会まで、また時間がかかる。


 市場を歩いた。食料を買った。


 声が聞こえてきたのは、食料品の露店が並ぶ一角だった。



 「……空から来たんだと」


 「神罰だろう、あれは。魔法じゃない。詠唱も何もなかった」


 「帝国の大部隊が丸ごと消えたって聞いた。消えたんだぞ。煙と一緒に」



 露店の主人と客が話していた。野菜を手にしたまま、どちらも手を止めていた。クラリスは立ち止まらなかった。歩きながら会話の端を拾った。


 リードが隣に並んだ。声を低くした。


 「昨日の報告が前線から届いたようです。速い」


 「前線にいた人間が街に戻ってきているのでしょう」


 「噂の方が速いようですが」


 クラリスは答えなかった。


 別の露店の前でも声が聞こえた。今度は老人二人が立ち話をしていた。


 「魔法でないなら、何だというんだ」


 「分からない。分からないから怖いんだ」


 一人がそう言って首を振った。もう一人が何か低く呟いたが、そこまでは聞こえなかった。






 街の外れに、古老がいると聞いたのはリードからだった。


 「話をしておきたい人物がいます。記録師の老人で、戦前からこの街にいます。街に入った時に、前線から戻った兵士と話す機会がありました。その兵士が、老人が何かを言っていたと」


 「どんなことを?」


 「それが」


 リードが少し間を置いた。


 「鉄の聖女、という言葉を使ったと」


 クラリスの足が、ほんの一拍だけ遅れた。


 「……会いに行きましょう」



 老人は街の外れ、古い石造りの建物の一室にいた。暖炉に火が入っていた。部屋は狭く、棚に書物が積み上がっていた。


 老人は最初、クラリスを見てしばらく動かなかった。シスター服と、それから薄紫の瞳を見た。


 「……座りなさい」


 クラリスは礼を言って椅子を引いた。セラは入口近くに立ったまま動かなかった。リードが壁際に控えた。


 老人は話し始めた。声は低く、ゆっくりとした速さだった。



 「100年前に、記録が残っている」


 老人は積み上がった書物の一冊を引いた。開くことはしなかった。


 「ヴァルシュタイン侯爵家という名前を知っているか?」


 クラリスは少し間を置いてから答えた。


 「聞いたことがあります」


 「帝国の貴族だ。100年前に処刑された。魔力のない一族だった。処刑された令嬢のことを、当時の民衆が呼んだ言葉がある」


 老人がクラリスを見た。


 「鉄の聖女、だ」


 暖炉の音が、しばらく続いた。


 クラリッサの記憶が動いた。処刑台の朝だった。冷えた空気。石畳の感触ではなく、その直前に、誰かの声が聞こえた気がした記憶。聴衆の中から上がった声なのか、それとも記憶の中で歪んだものなのか、もう区別がつかなかった。記憶はそこで止まった。


 クラリスは老人から目を離さなかった。


 「その言葉が、今また出てきたと聞いて」


 老人が続けた。


 「あの朝、処刑台で立っていた令嬢の話は記録に残っている。泣かなかった。震えなかった。俯かなかった。ただ静かに前を見ていた。詠唱も魔法も何もなかったのに、民衆の中で何かが生まれた。名前を、つけずにはいられなかったんだろう」


 「それが昨日のこととどう繋がるのですか?」


 「繋がらなくても、人は同じ言葉を選ぶ」


 老人は書物を棚に戻した。


 「魔法でない力が、魔法使いを超えた。それを見た者は、昔も今も、同じ言葉しか持っていない。鉄の聖女、というのはそういう言葉だ」


 クラリスは黙っていた。


 クラリッサの記憶が揺れていた。しかし表情には何も出なかった。






 宿への帰り道、リードが口を開いた。


 「聞かせてください」


 クラリスは前を向いたまま待った。


 「昨日のことです。あなたは……何のために戦っているんですか」


 セラが後ろを歩いていた。風が石畳を渡った。


 クラリスは少しの間、答えなかった。答えを探していたわけではなかった。言葉にする順番を整えていた。


 「守りたいものがあります」


 リードが顔を上げた。


 「それだけで、十分だと思っています」


 リードは何も言わなかった。問い返さなかった。クラリスの言葉の後ろにあるものを測るように、しばらく前を向いて歩いた。


 「……そうですか」


 それから、また黙った。



 宿に近づいた頃だった。


 リードが足を止めた。


 「クラリスさん」


 静かな声だった。視線が街の壁に向いていた。


 クラリスも足を止めた。


 壁に、文字があった。石灰のようなもので書かれていた。粗い字だった。しかし読める。



   鉄の聖女



 どちらが先に書いたのか。今日の話が街に届くよりも、もう先にあったのか。それとも今夜誰かが書いたのか。クラリスには分からなかった。


 「死神のシスター」と書かれていた壁を、帝都近郊で見たことがある。あの時と同じ構図で、クラリスは立ち止まっていた。


 しかし今度は、少し長く見ていた。


 老人の声が頭の中に残っていた。名前を、つけずにはいられなかったんだろう。


 「どっちが本当ですか?」


 声がした。


 セラだった。クラリスの隣から、壁の文字を見上げていた。緑の瞳が文字と、それからクラリスとを交互に見た。


 クラリスは答えなかった。


 ただ、歩き始めた。





 その夜、クラリスは宿の窓から街を見た。


 灯りが点いている家がある。消えている家がある。戦争が長引いて、街の人口はもとより少ないのだとリードが言っていた。それでも人がいる。生活がある。昨日のことを話しながら、今日の夕飯を食べた人間がいる。


 目録が視界の端に薄く広がっていた。充填の余韻はもう消えていた。46cm三連装砲塔の輪郭は、昨日と同じ——グレーアウトのまま、灰色に霞んでいた。


 廊下で音がした。リードの足音だった。遠ざかっていった。


 セラが寝返りを打った。毛布の中で規則正しく息をしていた。


 クラリスは窓から目を離した。


 胸元の懐中時計に触れた。取り出しはしなかった。ただ、指先でその重さを確かめた。蓋の内側に刻まれた言葉が、触れた指先越しに何かを返してくるわけではない。


 分かっていて、触れた。


 「鉄の聖女」という言葉が、100年前と今の両方にあった。その事実だけが、静かに残っていた。


 窓の外で、風が街路を通り過ぎていった。

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