第17話 雨の日のこと
雨が来た。
午後の早い時間から空が低くなっていて、夕方になる前に降り始めた。街道を外れた草地の中を歩いていたから、雨宿りできる場所を探すのに少し時間がかかった。
見つけたのは、街道から離れた場所にある古い農家だった。
屋根が半分、残っていた。半分でも十分だった。壁が3方向ある。床は土だった。雨が吹き込まない向きに荷物を置いた。
雨音が建物を満たした。
最初は細かい音だった。屋根の残骸を叩く音、壁の外の草を叩く音、遠くの木を叩く音。それが少しずつ重なって、やがて一つの音になった。
クラリスは壁に背中を預けた。
セラが向かいの壁に座った。膝を抱えて、屋根の穴から見える空を見ていた。灰色だった。どこまでも同じ灰色だった。
火はない。食料は少し食べた。水は雨が補ってくれる。
何もすることがなかった。
一時間ほど、そのままだった。
クラリスは目録を一度確認した。変化はない。外に人の気配はない。雨の中を動く者がいない。それだけ確かめて、目録から意識を外した。
雨の音が続いた。
セラが膝の上に顎を乗せた。子供の姿勢だった。しかしその顔は何かを考えている顔だった。何を考えているのかは分からない。分かろうとしなかった。
外で雷が鳴った。
遠かった。セラの肩が少し動いた。すぐに戻った。
「クラリスさんは」
セラが言った。
雨音の中だった。
クラリスはセラを見た。セラは膝の上に顎を乗せたまま、屋根の穴を見ていた。クラリスの方を見ていなかった。
「クラリスさんは、もともとどこにいたんですか」
クラリスは答えなかった。
答えられなかったのではなかった。答えようとして、どこから答えるべきかが分からなかった。孤児院か。教会か。もっと別の何かか。どこが「もともと」なのかが、自分でも分からなかった。
セラは答えを待っている様子ではなかった。
顎を膝の上に乗せたまま、ただ空を見ていた。答えが来なくても、来なくていいと思っているような待ち方だった。
雨が強くなった。
屋根の穴から雨粒が落ちてきて、土の床に染みを作った。染みが広がって、隣の染みと合わさった。
しばらくして、セラがまた言った。
「わたしも、覚えていないんです」
前の問いの続きではなかった。つながっていないようで、つながっている気もした。クラリスには判断できなかった。
「覚えていない、というのは?」
「どこにいたか。最初のこと」
セラが膝の上で少し顔を動かした。
「帝都の外縁部にいたのは覚えています。でもその前のことが、あまり」
言葉が途切れた。
途切れたまま、続かなかった。
クラリスは何も言わなかった。何か言うべきかどうかを考えた。考えながら、言葉が出てこなかった。出てきた言葉を、全部手放した。残ったのは雨音だけだった。
セラが顎を膝から離した。両手を床について、少し前に出た。屋根の穴から落ちてくる雨粒を、手のひらで受けた。冷たいはずだった。セラの顔は、冷たいとも暖かいとも言えない顔をしていた。
「痛くないんですよ」
雨粒を受けたまま、セラが言った。
「雨って、痛くないですよね」
クラリスは答えなかった。
答えではなかったからだ。
雨が続いた。
外が少し暗くなってきた。夕方が来ている。しかし雨の日の夕方は、昼と夜の境目がはっきりしない。
セラが手を引っ込めた。服で拭いた。また壁に背中をつけた。
眠そうではなかった。しかし目を閉じた。
クラリスはセラが目を閉じるのを見た。
それから外を見た。雨が降っている。草が揺れている。風が少し出てきた。屋根の残骸が、端の方で軋んだ。
胸元が少し重かった。
取り出さなかった。
夜になった。
セラは眠っていた。
雨はまだ降っていた。強さは変わっていなかった。止む気配はなかった。
クラリスは暗い建物の中で、雨音を聞いていた。
何も考えていなかった。考えようとしたが、何も来なかった。目録が視界の端に薄く広がっている。動きはない。周囲に気配はない。
ただ、雨が降っていた。
クラリスはそれを、聞いていた。




