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銃弾と祈りのシスター  作者: 猫じゃらし
第2章 死神のシスター
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第11話 紋章の答え

 翌朝、男の方から来た。


 外縁部の路地を歩いていた時だった。人の流れの中で、向かいから歩いてくる人影が見えた。中心部に近い服装をした、中年の男。帝都の商人に見える格好だったが、歩き方が違った。目的地を知っている者の歩き方だった。その目的地が、クラリスだった。


 五メートルの距離で立ち止まった。


 「少しよろしいですか?」穏やかな声だった。「昨日、アルダー商会の前でお目にかかりましたね」


 クラリスは表情を動かさなかった。


 「あなたが私をご存知かどうかは分かりません」男が続けた。「しかし私は、あなたが持っているそれを、知っています」


 視線が胸元に落ちた。


 懐中時計の位置だった。



 男の名はヴィンセントといった。


 書物を扱う商人だと言った。帝都の中心部に近い場所に店を持っていると言った。クラリスはそれを聞きながら、クラリッサの記憶の中を探った。ヴィンセントという名前に引っかかりはなかった。しかし顔立ちに、何かがあった。骨格の形。目の間隔。鼻梁の高さ。クラリッサの記憶の中の誰かと、どこかが重なる気がした。誰なのかは出てこなかった。


 「その懐中時計は」ヴィンセントが言った。「ヴァルシュタイン侯爵家の紋章です」


 クラリスは答えなかった。


 「あなたがその時計を持っているということは……」ヴィンセントが一拍止まった。「無関係ではない、ということになります」


 「何の話をされているのですか?」


 「100年前の話です」ヴィンセントは路地の奥を一度見てから、声を落とした。「立ち話は避けたい。私の店に来ていただけますか」



 書物商の店は、中心部と外縁部の境目あたりにあった。


 古い建物で、棚に書物が並んでいた。埃の匂いがした。ただし埃の積み方が均一ではなかった。よく触られている本と、触られていない本がある。見せかけではないが、全部が商品というわけでもない店だった。


 セラを入り口近くの椅子に座らせた。


 クラリスはヴィンセントと向かい合った。


 「100年前の話、とおっしゃいました」


 「ヴァルシュタイン侯爵家が処刑された年のことです」ヴィンセントは棚から一冊を取り出した。古い書物だった。「私の家系は、その真相を代々語り継いできました。王太子の子孫として」


 クラリッサの記憶が動いた。


 王太子。その言葉が引っかかりの正体だった。100年前、幼いクラリッサが遠目に見た顔があった。王宮の回廊。父に連れられて行った時に、一度だけ見た。若い男の顔だった。今のヴィンセントとは年が違う。しかし骨格が、目の間隔が、あの顔と重なった。子孫だから似ている。それだけのことだった。


 「あなたの家系が、なぜその時計を知っているのですか?」


 ヴィンセントは少しの間、書物の表紙を見ていた。


 「あなたが何者かを確かめてから、答えるべきかどうか迷っています」


 「確かめようとしていたのですね。ずっと」


 「はい」ヴィンセントは顔を上げた。「帝都に入った日から。あの路地で目が合った時、まだ確信が持てなかった」


 クラリスは何も明かさなかった。


 ただ聞いた。


 「その時計が確信をくれました」ヴィンセントは続けた。「あの紋章は、処刑の直前にオスカー侯爵が打った最後の手のはずでした。次に目覚める者へ届くように、と」


 胸元で何かが重さを増した。



 「帝都の公文書館に」ヴィンセントが言った。「100年前の侯爵家に関する記録があります」


 「見ることはできますか?」


 「今は難しい」ヴィンセントが声をさらに落とした。「聖典騎士団の関係者が閲覧を制限しています。特定の時代の記録が、一般には届かないようになっている」


 聖典騎士団。


 その名前が、今日初めて形を持った。クラリッサの記憶の中に、かつてその名前があったかどうかを探った。あった。100年前には異端を取り締まる宗教的な武力組織として存在していた。形が変わっているとは思っていたが、今もその名前で動いているとは確認できていなかった。


 「制限されているだけで、記録は残っているのですね」


 「残っているはずです。ただ、制限区画への立ち入りには」


 「分かりました」


 クラリスは立ち上がった。



 公文書館は帝都の中心部にあった。


 クラリッサの記憶が建物の輪郭を知っていた。100年前にもあった場所だった。形が変わっていたが、丘の上の位置は同じだった。


 昼の時間帯に動いた。人が多い方が動きやすい。


 正面からは入らなかった。クラリッサの記憶が裏手の通路を知っていた。管理用の入り口。100年前はここから父と入ったことがある。石段の傾き方が記憶と同じだった。


 通路を進んだ。


 突き当たりを左に曲がると、係の男が椅子に座っていた。居眠りをしていた。クラリスはその前を静かに通った。通れた。


 制限区画への扉は鍵がかかっていた。


 扉の横の壁に、外れかけた石があった。その裏に予備の鍵がある場所を、

クラリッサの記憶が知っていた。100年前と同じ場所だった。鍵は錆びていたが、動いた。


 扉を開けた。



 制限区画の棚は古かった。


 年代順に並んでいる。クラリスは目録を視界の端に保ちながら、素早く棚を確認した。帝国歴の表記で並んでいる。100年前の年代を探した。クラリッサの記憶が処刑の年を知っていた。


 棚の奥に人影が見えた。


 巡回の係員だった。まだ気づいていない。次の棚に移った時に気づく位置にいた。


 右手が腰に回った。


 グロックのグリップに触れた。


 係員が棚の角を曲がった。こちらを向いた。


 クラリスは棚の影に入っていた。


 係員が棚の間を通り過ぎた。足音が遠ざかった。


 グリップから手を外した。引き金には触れていなかった。



 棚の間で目的の束を見つけた。


 「ヴァルシュタイン侯爵家」という表記のある綴りだった。紐で縛られている。解いた。書類を広げた。


 読んだ。


 帝国歴の年号。侯爵家の財産目録。そして処刑に関する記録。罪状は謀反。王家への反逆を企図したとある。根拠として列挙されているのは、密書の発見、秘密の集会への参加、外国との内通。


 クラリッサの記憶がそれを読んだ。


 密書は知らない。秘密の集会に参加したことはない。外国との内通など、父は論外だと言っていた。記憶の中の父の声が、はっきりと残っていた。「我々はこの国の民だ」と言っていた。


 根拠のひとつひとつを確認した。


 日付が合わない。密書の発見とされた日、クラリッサは父と帝都にいなかった。記憶がそれを知っていた。集会への参加とされた場所は、クラリッサの記憶の中にある侯爵家の領地から三日の距離にある。その日、父は領地を出ていない。


 改竄だと分かった。


 丁寧に、しかし確実に、事実を塗り替えた記録だった。


 クラリスは書類の最後の頁まで読んだ。


 「記録とは、書いた者の都合で形が変わるものですね」


 声は低かった。棚の間の空気に吸われた。



 書類を元の状態に戻した。紐を縛り直した。


 来た道を戻った。係員の気配がなくなった隙に扉を抜け、鍵を元の場所に戻した。石段を下り、人の流れに戻った。


 誰も気づかなかった。



 ヴィンセントの店に戻った。


 ヴィンセントがクラリスの顔を見た。何も聞かなかった。クラリスも何も言わなかった。


 セラが椅子から立ち上がった。クラリスの顔を見た。何かを感じたように、一歩近づいた。


 クラリスは窓の外を見た。


 改竄された記録を、頭の中で閉じた。蓋をするように、静かに。


 胸元の懐中時計が重かった。


 父は知っていた。


 その言葉だけが、頭の中に残った。

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