妻が静かにキレた理由
僕の妻ミュリエルは、物怖じしない性格で思ったことを口にする。
敬意はあっても遠慮はしないので、相手が自分より高位の貴族だろうと王族だろうと、ダメなものはダメと言う。
当然夫である僕に対しても同じ対応であり、叱られることも怒られることも日常茶飯事だ。
僕が悪いのは明らかなので謝るし、これで嫌われたらどうしようと思うと勝手に涙が出てくるのだが、ミューは心から反省したと見做せば許してくれるし引き摺らない。
怒られ謝り、叱られ泣きすがり、結婚生活二年を過ぎる頃には彼女の怒りの度合いがさすがに読み取れるようになった。
ミューは、本気で怒った時に自分のことを「わたくし」と言う。
◇◇◇◇◇◇◇◇
僕の気付いた法則は、グリフィス領の人達も把握してるらしい。
さらに貴族スマイル・極み付。これはかなり怒ってる。
即座にサリーが頭を下げた。
「ミュリエル様、大変申し訳ございません。ご足労いただいた身として、配慮が足りませんでした」
少し体が震えてるのは、ミューの怒りを感じたからだろうか。
でもミューは笑顔を崩さない。
「サリーが主役なんですもの、あなたの気持ちを最優先にするのは当然でしょう?わたくしに配慮なんていらないわ」
「ですが!」
「花嫁のやる気を霧散させるなんて、なんとも理解し難い花婿と使用人たちねぇ」
ミューの目線がヴィンス殿と針子に向けられる。
針子達は一斉に頭を下げ、ヴィンス殿は被っていたベールをむしり取った。
「ミュー、サリー、悪かった。悪ふざけが過ぎた」
ヴィンス殿が真剣な顔で謝る。
大変珍しい光景だと思うが、それでもミューは笑みを浮かべたままだ。
「わたくしに謝る必要なんてないわよ?あなた方の結婚式だもの、好きにやるといいのよ」
「ミュー!」
「悪ふざけをしようが、花婿がドレスを着ようが、花嫁がお仕着せのままで誓おうが。わたくしには関係ないわ」
「ミュリエル様……!」
ミューの突き放した言葉に、全員が立ち尽くしてしまった。
この中で一人だけ怒りを向けられない僕としては、仲を取り持つべきかどうか悩んでしまう。
その時、ふとミューの様子に気付いた。
腕に掛けられていた手が、僕の服の袖を強く掴んでいる。
僕の腕には触らないようなところを、なにかを堪えるように。
「ミュー」
耳元で呼び掛ける。
ミューは顔を動かさない。こちらを見ない。
でも、指先にはさらに力を加えたようだった。
……うん。とりあえず、ここに居続けるのは良くないな。
そっと手を撫で、腕から外して自分の首に掛ける。
釣られたように顔を向けてきたミューにニコリと笑い掛け、そのまま腰を引き上げ抱き上げた。
横抱きにするとミューは笑顔をやめ、僕の首横に顔を埋めた。
驚いた顔のヴィンス殿とサリーへ、均等に話し掛ける。
「ひとまず、ミューはいったん預かるから。その間に、全員やるべきことをやっておくように」
そう言い置き、僕は妻を連れて部屋を後にした。
◇◇◇◇◇◇◇
廊下に控えていたメイドに言付け、ミューの私室へ入る。
横抱きのままソファに座り、背中を撫でていると少し震えた。
……最初は不快に思ったみたいだった。その後段々怒りが増し、今は……少し悲しい?
「ミュー……ちょっと悲しくなってきた?」
囁くと、間を空けて頷いた。
「そっか。あとはそうだな……なんだか、悔しいとも思ってる?」
ピク、と肩が跳ねる。
首に回してる腕に力が入った。
「僕で良ければ、聞くよ?話したくないなら話さなくてもいいけど」
頭にキスを落とし、ミューの気持ちが動くのを待つ。
しばらくそうしていると、「……のに」と呟きが聞こえた。
「うん?」
「……私の、ウエディングドレスだったのに……!」
声を発したら堪えきれなくなったようだ。
顔を埋めてる肩が濡れてきた。
声も涙混じりで、しゃくり上げだす。
背中を支えていた手を頭に回して引き寄せると、本格的に泣き出した。
ヴィンス殿がサリーに揃えようと伝えて始まった飾り付けは、必然的にミューの着ていたドレスに似てきていた。
双子の兄に自分のドレスを着られたようで、不快に思ったのだろう。
そこからおふざけの一環と知り、ドレスを侮辱された気分になり怒りが沸く。
そして、自分のドレスの扱われ方が悲しくなり悔しい。
そういう心情のようだ。
ミューの泣くところなんて、初めて見た。
自分が泣きたい気持ちになるもんだな……釣られ泣きはさすがにしないよう、ちょっと気を引き締めよう。
「ミューのドレスは無事だよ」
「……サリーだって、お揃い、お揃いって喜んでたのに……!もう、着なくていい、みたいに言った……!」
「サリーはちゃんと着るよ。今の衣装合わせがいらないって言っただけだから」
「〜〜ひどいヴィンスっ……」
「うん、ヴィンス殿はひどいよね。皆に叱ってもらおうね」
「〜〜〜〜っ」
縋りついてくるミューが、大変愛しい。
ヴィンス殿やサリーの前では言えなかった言葉を、僕にだけ聞かせてくれてる。
夫である喜びを噛み締めつつ、さてあの人達にどう反省を促そうかと考えていると、ノックがした。
「ミュー、ルゥくん?入ってもいいかしら?」
義母上の声。
ミューを窺うと、少し落ち着いたらしく頷いたので「どうぞ」と許可を出す。
扉が開き、困ったように笑う義母上が入ってきた。
「ミュー、膝から降りる?」
以前、うちの親の前では恥ずかしがっていたので聞いてみたが、ミューは首を振った。
今だけなのか実の親の前だからなのかはわからないけど、本人が降りないと言うならそのままだ。
「針子から報告が来たのだけど、ミューを怒らせたんですって?」
「ええ、まあ。ヴィンス殿たちが悪ふざけをして、彼がミューのウエディングドレスを着たようになってしまって」
「まあ」
目を丸くした後、義母上は貴族スマイルを浮かべた。
「悪ふざけで、ミューのウエディングドレス?さすがにないわね」
「……それくらいで、って言わないの?」
ミューが少し顔を上げる。
眉を寄せる娘に、義母は母の顔で笑い直した。
「ミューにとってもルゥくんにとっても、一生の思い出のドレスじゃないの。悪ふざけに使うなんて、とんでもないわ」
母の言葉を聞き、ミューの体から力が抜けた。
安心したみたいだけど、これを僕が与えてあげられなかったのは少し悔しい。
「分かりました。ヴィンスと針子たちにはキツく言っておくわ。サリーにもかしら?」
「……サリーは違うわ。私が少し拗ねただけ……」
泣いてないけどまた顔を埋める。
耳が赤いので、拗ねたことが恥ずかしいらしい。可愛い。
義母にも伝わったらしく、ふふ、と微笑んでる。
「ではサリーは叱らないけど、衣装合わせが終わるまでミューに会えないようにしておきましょう。その方があの子には罰になるわね。しばらく二人でここにいなさい」
「ありがとうございます。あ、シオンは起きました?」
「まだすやすや寝てるわよ。旦那様とマシュルトがずっと見守ってるわ」
「……ありがとうございます?」
「さっきまで私も見てたけど、あの寝顔は飽きないわね〜」
「家でも皆見守ってます」
気持ちは分かる、と頷くと義母は笑って部屋を出て行った。
「シオンは大丈夫みたいだし、休憩にしよう」
「……重くない?」
「いつも聞いてくるけど、重くないよ」
「ん……」
体を委ねてきたミューの背中を叩いていると、そのうち寝息が聞こえてきた。
珍しく泣いて、疲れたのかな?馬車も乗ったし。
自分もソファに凭れ、少しばかり目を瞑ることにした。
◇◇◇◇◇◇◇◇
一時間ほど休憩にして、目を腫らしたミューのケアをメイドに指示したりお茶を飲んだりしていると、皆が部屋にやってきた。
目覚めたシオンを抱っこした義父と側仕えのマシュルト、貴族スマイルの義母、自分も泣きそうな顔のサリー、神妙な顔をしたヴィンス殿、沈痛な面持ちの針子たち。
……狭いよ。
ミューは隣に座り直し、シオンは受け取り、義父母は扉脇に残る。
正座をしたヴィンス殿とサリーが深々と頭を下げた。
「ミュー、ルシウス。大変申し訳なかった。ミューのドレスを弄っていた訳ではないのだが、結果的にそうなることを考えていなかった。すまない」
「ミュリエル様、衣装合わせをしてきました。お揃いの衣装で式に臨むことを、お許しください……!」
二人が真剣に謝るのを聞き、ミューは一言「うん」と告げる。
それだけで、頭を上げた二人は晴れやかに笑った。
「良かった……!ありがとうミュー!お前に泣かれるのが一番辛い……!」
ヴィンス殿が感慨深げに言う。完全に同意だ。
サリーも珍しくニコニコとしていて、対面で見ていたシオンがキャッキャと笑った。
「僕も、ミューが泣くところは初めて見たよ。気を許してくれるのは嬉しいけど、僕も辛くなるから、ミューには笑っててほしいな」
思ったことをそのまま告げたら、「ものすごく自然に口説くなールシウス」とヴィンス殿に笑われた。そうかな?
隣のミューを見ると、少し考え込んでる。
「ミュー?」
「……ルシウス様。もしかしたら、なんですが」
こちらを見上げたミューは、とても可愛くはにかんでいた。
「ーー情緒不安定なのもやたら眠くなるのも、妊娠初期の症状なんですって」
……なんですと?!
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「いやー、シオンのおかげでお説教がちょっと縮んだな!孫パワーは素晴らしい」
「……反省してる?」
「してるしてる。なあサリー?」
「まあこれでもしてる方ですたぶん」
「全然見えない……」
「してますよルシウス様。ただ真面目にやるのが照れくさいだけです」
「ミュー!言うな!」
「結局なんて怒られたの?」
「……嬉しいからってはしゃぎ過ぎだと……」
「嬉しいんだ?」
「……」
「ルシウス様、これはもう語らないですから諦めましょう。針子たちはなんて?」
「レースもリボンもただじゃないんだから、悪ふざけに使用した分は弁償するか?と」
「確かに。伯爵家の威信を掛けた素材だから、結構なお値段するわよね〜」
「反省を込めて、金額相当分の残業をするそうです」
「グリフィスならではの謝罪方法だよね……」
「そうでしょうね」
「やっぱり義母上は強いね。グリフィス家で一番かな?」
「いえ、グリフィス家で一番怖いのは父上ですよ」
「そうなの?」
「そうよね、ヴィンス」
「……まあそうだな。父上を怒らせるのはヤバい」
「またヤバいが出た」
「ハリーのヤバさとは違うんです」
「あの義父上が?いつもにこやかでいらっしゃるけど」
「怒る時もにこやかです」
「……それは怖いね」
「笑顔なのも怖いけどな。父上の怖さは『計算力』だ!」
「『計算力』?」
「認識範囲の広さと先読みの正確さも入りますけど。とにかく父上は、物事への計算力が凄まじいんです」
「??」
「父上が石を投げたとして。様々な物に跳ね返って、手元に戻ってきます」
「……ええ?」
「父上がふと『右に三歩避けなさい』と言ったら、避けたすぐ後に上から物が落ちてきたな」
「ええぇ?」
「伯爵様が騎士団長殿に『ここで三分待とうか』と仰り、三分後に騎士団長の胸へスリが飛び込んで来ました」
「嘘……」
「全部計算力なんですよ。そんな父上を怒らせたらどうなるかと言うと……」
「言うと?」
「反省するまで攻撃が止みません」
「……わあ」
「ヴィンスが一番長かったかしら?」
「攻撃の時間か?まあなぁ。敵なら封じたらマシュルトが殺って終わりだし、息子にそこまでは出来ないからってエラく長かったな」
「長い?」
「何で怒らせた時だったかな。父上が詰め寄って来たんで、一歩後ろに下がったんだよ。そしたら床が少し捲れてたらしくてバランス崩して、そこに横からクッションが飛んできたから倒れた。その後はこちらが『ごめんなさい!』と叫ぶまで色々な物が降ってきたり掠めてきたり床に刺さったりしてたな」
「わぁ……」
「計算ずくだから、こっちが不用意な動きをするとズレる訳だよ。段々殺傷力の強めな物がやってくるのは、いくら俺と言えど『ごめんなさいもうしません!』と誓わざるを得なかったぞ」
「……義父上は怒らせないようにするよ……」
「そうしろ。ただ、父上は目に見える物に関しての計算は最強だが、『人の心ばかりは分からない』と嘆いていらっしゃった。だから俺が第三王子に求婚される羽目になる」
「それはさすがに計算出来ないでしょう!」




