グリフィスへの里帰り 〜義兄上の地雷〜
辺境出の祖母を持ち、武勇に秀でた親戚を持ち。
一年に一回は辺境へ送られ、鍛錬に励む時期を過ごさせられた身なので、これでも荒事にはそれなりに耐性がある。
しかし、花咲き誇る庭園で成人男性が吹っ飛ぶ光景はさすがに見たことなかった。
それも、吹っ飛ばしたのはお仕着せを着た妻の侍女でーーいや、これはあまり意外性も違和感もないな。
他の人なら信じないとこだけど、サリーならあり得るしやりかねないと思ってる。
「若旦那様。ご無事ですか?」
構えを解かないままのサリーに聞かれたが、果たして今の僕は無事なんだろうか。
「無事の定義がわからない……とりあえず、心底驚いてるけど」
そう告げると、サリーはしばらく考えた後また聞いてきた。
「この男は、女好きのくせに見目麗しい男性に心惹かれる、グリフィス家一の変態なんですが。ご無事ですか?」
「ご無事です!まったく何も起きてないから!」
とんでもないことを言われた!
ここで身の潔白を証明しておかないと、後でどんな噂をされるかたまったもんじゃない。
どうしよう、手を二回握られたことはアウトなのか?いや一度目は普通の握手だったからカウントされない?
そんなことをグルグル考えていると、気配がした。
「お待たせしましたルゥ。何も減ってない?」
「ミュー!減ってない、減ってないよ!」
愛しの妻が来てくれた!
駆け寄り、拡げてくれた腕の中に入ってこちらも抱き締め返す。
「順調だった?」
「とっても。体重の増加だけ気を付けなさいって」
「でも、食べられるものを食べないと」
「えぇ、だからお散歩は強制だわ。一生懸命歩いて頑張るの」
「僕も歩くよ」
「ふふ、そうね。手を繋いで歩きましょう」
合間に額やこめかみにキスをしながら会話をしていると、「ぐふっ……サリー、様、ひでぇ……」と呻き声がした。
そう言えばサリーが人を倒したんだった。ミューに会えたら忘れてた。
声のする方を見ると、脇腹を抑えたまま蹲るエムルがいた。
「エムル、まだ首になってなかったの。庭師の才だけはあって良かったわねぇ」
ミューが彼に投げた冷たい口調に、驚いてしまった。
「ぐっ……お嬢……」
「その呼び名もそろそろ鬱陶しいわ」
「……ミュー?」
恐る恐る尋ねると、ミューは両手で僕の頬を挟んだ。
「どこも触られてない?ルゥ」
「握手くらいはしたんだけど……どうしたの?幼馴染なんでしょう?」
「チッ、まだそれ使ってんのか」
舌打ちと荒い言葉に、もはや声が出ない。
僕の表情に気付くと、少しだけ目が優しくなった。
「アイツ、私の『幼馴染みたいなもの』って言ってませんでした?」
「言ってた……」
「身分詐称の一種です。幼馴染と言うほど遊んだことも仲良くしたこともありません」
「え?」
「領主の娘と『幼馴染みたいなもの』と言うと、街の女の子の受けが良くなるようです」
「えぇぇ?」
「それくらいなら大目に見てましたが、さすがにルゥにまでホラを吹くとなったら制裁は必要ですね。サリー、構えてくれる?」
ミューの指示に、サリーが蹲るエムルの背後に近付き正拳突きの構えを取る。
あれは、もしやあのまま拳を振り下ろすつもりなんじゃ……?
「エムル。正確に答えなさい、お前とわたくしの関係はなに?」
「……雇い主のご令嬢と、被雇用者です……」
「そうよね。わたくしたちに私的なやり取りをする関係はあったかしら?」
「ございません……」
「それを『幼馴染みたいな』と曖昧に濁すのは、わたくしの権威を悪用しているように思えるのだけど。勘違いかしら?」
「……勘違いではございません。悪用してました……」
「そう」
ミューがサリーに合図を送る。
刹那、サリーの構えた拳が蹲るエムルの耳横を通り過ぎて地面に叩き込まれた。
ドン、と鈍い音を立て、サリーの拳が半ばまで地面に埋まる。
すれすれのところを通ったせいで、エムルの耳に拳が掠ったらしい。
両手で右耳を抑え、大きく震えていた。
「次は延髄に打ち込んでもらうわ。後がないことを噛み締めなさい」
そうミューが告げた言葉を最後に、僕らは庭を後にした。
◇◇◇◇◇◇◇
ミューを膝に乗せ、後ろ頭に頬擦りしながらせっせとお腹を撫でる。
妊娠が判明してから定番化した姿勢で、ようやくミューも僕も落ち着きを取り戻した。
「……なんか、いつもと違ったね」
「エムルへの態度、ですか?」
「そう」
「アイツだけはね、打ち解けてはいけないんです。それがヴィンスの意思なんです」
「ヴィンス殿の……?」
ミューは少し体の力を抜き、僕にもたれ掛かる。
「ヴィンスに好意を寄せた者の害意が私に向かってくる話、覚えてます?」
「うん」
「エムルは、その典型だったんです。元々使用人の息子で年が近いからと紹介されて。ヴィンスに一目惚れです。それだけなら私達も気にしなかったのに、妹と言うそれだけで私を目の敵にしてました」
「妹だから?」
「そうとしか思えないんです。ヴィンスは勿論、ハリーにだってサリーにだってきちんと接するのに、私にだけ威嚇して。仲間外れにしようとしたり、言い掛かりをつけたり、散々でした」
「そんな……でも、それはサリーが許さないだろう?」
「当然です。サリーもハリーもヴィンスだって許しません。態度を改めるよう言い聞かせたら、表面立っては礼儀正しくしましたが、他の人がいない時にはむしろエスカレートしてきました」
理不尽な目に遭っていたミューが哀しくて、腕の力が強まってしまう。
ミューの手がよしよし、と撫でてくれた。
「そんな理不尽な八つ当たり、私だって受け入れる訳にはいきません。人目のないところで言ってくるならわざと後から人を引き入れたり、逆に大勢のいるところで不敬さを暴露してやったり。おかげでどんどん険悪になりました」
「それは……そうだろうね」
「事あるごとにヴィンスもサリーたちも私の味方をすることに、ついに我慢が効かなくなったらしくて。ある日、皆の目の前で階段から突き飛ばそうとしてきたんです」
「え?!」
「怪しい動きをしていたことは周囲が気付いてたんです。背中を押される直前、ヴィンスが私を抱き込んでエムルの前から避け、ハリーが彼を後ろからタックルしてその場で抑え込み、その隙にサリーがエムルの腕を折りました」
「良かった……良かった、よね?」
「サリーが人の骨を折った、記念すべき一本目です」
「うん、そのカウントはいらないかな」
「骨を折られて痛みに泣き叫んでも、エムルは私への非難をやめませんでした。『妹だからっていい気になって』『ヴィンス様より何もかも劣るくせに』って。サリーが二本目の骨を折ろうとする前に、ヴィンスが後頭部を凄い勢いで踏みました」
「……気持ちはわかるよ。すごくわかるんだけどね……」
「そのままグリグリと踏み付けながら、低い声で言うんです。『お前はなんの権利があって、何様のつもりで、伯爵令嬢である俺の妹を罵倒するんだ?』って。その場にはエムルの親族もいたんですけど、皆顔面蒼白です。使用人が貴族令嬢を殺そうとしたんですから」
「そうだね」
「そこでエムルもその行いを看過していた周囲の者も、ようやく目が覚めました。ヴィンスの怒りに触れたことも、どんな理由があるにせよ私を蔑ろにしていい理由など、何一つ持ってないことも。ヴィンスは一度、一族郎党共々追放させることを宣言しました。両親が介入し、大人の事情を鑑みて結局盛大な追放は取り消しましたが、今でも彼らは肩身の狭い環境にいます」
「そうか……あれ、でも彼はこの屋敷にいるよね?」
「そこがヴィンスの〝地雷〟です」
ミューは少し顔をあげ、僕と目線を合わせる。
「ヴィンスの何より大切にしている〝妹〟に危害を加えた者。その者はこの先生涯、彼の視界に入ることはありません。その情報も。どれだけ近くにいても、まったく認識してもらえなくなります」
以前、ヴィンス殿から聞いた〝地雷〟と〝地獄〟。
こんなところにあった。
「まるで誰かさんと同じような態度」
「……どこかで聞いたことあるね」
「やっぱり〝同類〟なんですかね?」
「一緒にされたくないんだけど……でも、ミューに何かしようとする奴が許せないのは分かる」
「そうね。私もルゥに何かされるなら、自分のことより怒るわ」
「……彼が屋敷で働いてて、ミューは平気なの?」
「ヴィンスがないものとして扱うなら、私もそれに従います。庭師の雇用は親の判断ですから、仕事の範囲には口出ししません。まあそれも、今回のことでなくなるかもしれませんけど」
「ミューが気にしないなら、いいけど。彼もこの家じゃなくても働けるんだろうに、辞めようとはしないんだね」
「ヴィンスの〝地獄〟に落ちた者ですから」
そう言って、義兄上の〝地雷〟である僕の妻は、殊の外優雅に微笑んだ。
「ヴィンスとの関わりをなかったことにされているエムルにとって、この屋敷は最後の関わりです。ここを離れたら、ヴィンスの生死の情報すら誰も齎さないでしょう。直接教えられることはないにせよ、屋敷の雰囲気や伝達で細々とした情報を与えられるだけマシなんです。ヴィンスへの執着がなくならない限り、『生殺し』の生活は継続ですね」
◇◇◇◇◇◇◇◇
「地雷の話って、ヴィンスが言ってたんですよね?」
「そう、王宮に来た時に……」
「どなたか堕ちたんですか?!」
「堕ちてないよ!でも、その……ちょっと近付き過ぎた人がいて……」
「どなたです?!私の知ってる人?」
「…………ヴィンセント様が」
「ヴィンセント様!予想外の組み合わせ!」
「組み合わせちゃダメ!何も起きてないから!」
「ルゥ、肝心なことを忘れていてよ」
「え?」
「現実で何か起きたのか、何も起きなかったのかはどうでもいいの!全ては組み合わせの妙!」
「潔白が証明されない?!」
「そんなこと言ってたら実家が大変なことになりますし、ルゥもハーレム系腐男子扱いされてますよ」
「それはそうだけど……いや、納得しちゃダメだよ」
「ミュリエル様、ひとつよろしいでしょうか」
「なぁにサリー。新しいルートおめでとう」
「それは喜ばしいのですが、お二人の名前が似通っているため、どのように位置を表記するべきかと」
「あら、ホント。それは難問ね……いっそ開き直って両方ありにしとく?」
「いえ。両方ありは大前提ですが、同時が難しい以上明確な位置関係を表記する名称は必須かと」
「そうね。ヴィンスは愛称もないし、ヴィンセント様はそれも被るし……いっそ属性でいく?兄、とか殿下、とか」
「その可能性も含めて検討します」
「頑張ってね。ルゥ、静かになったわね?」
「……(世界に関わることを放棄)」




