義兄、襲来
「アイゼンバーグ先輩、こちら見ていただいてもよろしいでしょうか?」
後輩が差し出した資料を受け取り、少し目を細める。
「……ワルロー、別に私が見なくても良いのでは?」
「先輩の見る目は確実ですから」
眼鏡の奥でニヤッと笑われた。
今年度新たに配属された新人の中でも、アサト・ワルロー子爵令息は恐ろしく優秀との前評判だった。
ミューと同い年なので知ってるか聞いてみたら、「知ってますよ。彼とは首席を争った仲です」とミューは言い、「争えたことなんてなかったんですよ……」とワルローは落ち込んだ。ごめん。
ミューの知り合いなので少し警戒を解いたのが分かったらしく、彼は何かと僕を頼ってくる。
悪い気分ではないが、たまに観察されてるような目をするのだけ気になるんだよね……。
ミューがばっさり「腹黒」と言い切った彼に勝てるとは思わないので、諦めて資料に目を通そうとした時、扉がノックされ戸惑ったような騎士が顔を出した。
「アイゼンバーグ卿……その、奥様がお見えです……」
?!
思わず立ち上がる。
横のワルローも「え?」と声を上げた。
「は?ミューが来てる?」
「はい、一応控室で待機いただいてますが、いかがいたしますか?」
「すぐ行く!」
「先輩、私も行きます。何かの手配が必要だった場合、お申し付けください」
騎士の確認にすぐ答え、ワルローの申し出にも頷く。
騎士もワルローも戸惑ってるのは、ミューの妊娠を伝えてあるからだ。
まだ公表前なのだが、自分の浮かれ具合や話を振られた時に平静を装えないだろうと判断して、総務室内で共有することを父に許可してもらった。
父と母とノアは呆れ顔、セザールとメリッサは無表情、ミューとサリーとナンシーは当然!とばかりに頷いていた。
なので、この段階でミューが外出し、あまつさえ王宮まで足を運ぶなんて、何かがあったとしか思えない。
書類を仕舞い、来客を待たせる控室まで三人で足早に向かった。
「ミュー!」
ノックの応えも待てず、力強く扉を開けたその先の光景とは。
「なんで戻って来るんだよ〜〜、せっかく忘れてたのにぃぃぃ」
「そう言われてもな。祖国だぞ?」
「何でもいいから結婚してくれ〜〜……」
「雑な求婚だなオイ」
足元に男を侍らせて、泣き縋られるミュー……ではなく。
「ヴィンス殿?!」
「おールシウス殿、一昨日振り」
背後にハリーを立たせ、トラキオンの伝統衣装に身を包み、優雅にソファに座る義兄だった。
足元から崩れ落ちた。
◇◇◇◇◇◇◇
泣いたままの男ーーヴィンス殿を案内した騎士の一人、隣の領地の領主次男で顔見知りだそうだーーをもう一人の騎士に任せ、来客用の応接室へ移動した。
ワルローがしみじみと「ミュリエル様のお兄様ですか……似てますね」と呟き、ヴィンス殿が「ミューの同級生?腹黒そうだな!」といきなり核心を突いてた。
とりあえず人手はいらなそうなので、ワルローには仕事に戻ってもらう。
「……なんでその衣装?」
「似合わないか?」
「似合うけど……ヒラヒラしてるから、余計にミューと間違われるのでは?」
トラキオンは大陸の真ん中、気候も人種も様々だが中でも有名なのは砂漠の遊牧民だ。
ヴィンス殿が着ている服はまさにそれで、一見して性別がわからない。
「今は一応トラキオンの遣いで来てるからな。いざとなったら他国人として振る舞うことにしてる」
自衛の一種だ、とにこやかに笑うヴィンス殿は、先日会った時より明らかにめかしこんでる。
ミューよりは短いが肩を過ぎる黒髪を複雑に編み込んで、飾りも煌びやかだ。
髪型に目を向けたのが分かったらしく、耳元で垂れ下がるアクセサリーを揺らして微笑む。
「ハリーがやったんだ。器用だろう?」
「ハリー……」
後ろに控える侍従に対し、ジト目になってしまった。
それを見てハリーは一礼し、ヴィンス殿はさらに笑った。
「なんだ、ミューに求婚したのをまだ根に持ってるのか?盛大に振られたしアレが最後と言い渡されたんだ、許してやれ」
「……妻に言い寄る男に、寛大になる気はありませんよ」
自分でもわかるくらいに、憮然とした声だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
実家のグリフィス家に戻る前に顔を見に来た、と満足気なヴィンス殿が帰ろうとした矢先。
それまで静かに控えていた侍従のハリーが、「ヴィンス様、ミュリエル様、よろしいでしょうか」と手を挙げた。
双子は揃って呆れ顔、マリアベル様と壁際のサリーは渋面になった。
「まだやるの?ハリー」
「さすがにもう駄目だろ」
「最後にもう一度だけお願いいたします」
力の篭った懇願に、ミューが「やれやれ」と肩を竦めた。
「サリー」
「はい」
「ルシウス様を抑えといてくれる?」
「?!」
「はい」
何事、と戸惑ううちにサリーが傍に来て肩を抑えられた。
え、力強っ!全然立てる気しないんだけど?!
「ミュー?なんで??」
「最後の一回だそうなので、静観でお願いします」
ミューではなくサリーが答える。副音声がめちゃくちゃハッキリ聞こえた。
僕らのやり取りを見届けたハリーが、ミューの傍らに跪く。
?!
「ミュリエル様。幼き頃からお慕いしておりました。私の黒き女神、どうか憐れなこの者にご慈悲を頂けないでしょうか」
求婚したーーーー?!
驚きのあまり呆然としてしまう。
求婚された当人は「で?」と言った。
「その求婚を受けたら、私はこの後どうなる訳?子どもを抱えてルシウス様と別れるの?」
「もちろん私が養います。ミュリエル様のお子様は宝です」
僕と別れる想定?!
咄嗟に叫ぼうとしたら、サリーに口を塞がれた。
間にハンカチを挟む辺り、妙な配慮がある。
「肝心なことを忘れてるけど。ハリーと一緒になったところで、第三王子の横槍は防げないでしょう?子爵令息の身分じゃ撥ね付けられないわよ」
「それは……いえ、それでしたら手の届かない所へお連れします」
「却下。なんで私が逃げなきゃいけないの」
あわや逃亡、という所でミューがきっぱり言い切った。
「ハリーでなんとかなるなら最初からそうしてたわよ。候補に上がらない時点で、私の伴侶にはなり得ないわ。そして、今の私はルシウス様に差し上げる慈悲でいっぱいいっぱいだから。ハリーにあげられる分はないのよ」
それがハリーに対する返事だった。
跪いたまま項垂れるハリー、「でしょうね」「だろうな」と頷き合うマリアベル様とヴィンス殿。
「サリー、もういいわよ」と許可が出てサリーの力が緩んだので、急いでミューを抱き上げハリーから遠ざけた。
そのまま自分の膝に乗せ、力を加減してギュウっと抱き締める。
「あらあら」「まあまあ」なんて聞こえるけど気にしない!
ミューが背中をポンポンと叩いてくれた。
「ハリーは昔からこれなんです。さすがに人妻になったら終わったかと思ったのに、諦めが悪いわ」
「自分のいない間に結婚されたからな。思い切れなかったんだろう」
「外で言われなくて良かったわね。醜聞間違い無しよ」
「んで、どうですか?」
「23点。情熱だけだな、子どもを育てる気があるのは良いが」
「0点。そもそも人妻に求婚しようと思った時点で処罰するわ」
「採点されてる?!」
「これも恒例なので。サリーは?」
「マイナスです。身重のミュリエル様に負荷を掛けようなどと、身内として厳重に罰します」
「よろしくね」
失恋したハリーを労る言葉などひとつも出ず、警戒しながらもちょっと同情した。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「ったくさぁ。恋は盲目、とは聞くけどそんなに節穴になるか?片や伯爵家嫡男の侍従、片や次期公爵様だぞ?オマケに綺麗な顔して、王宮で勤めて、ミューとラブラブじゃないか。なんでワンチャンあると思える訳?自分にどんだけ自信があるんだっつーの、なあ。鏡磨け、目ん玉ちゃんと見開け、ついでに空気も読めよ木っ端従者が」
ヴィンス殿の罵詈雑言が収まらない。
ハリーは無表情で控えたまま動じてないけど……あ、指先震えてるな。動じてはいるんだ。
「……自分の従者に、随分と辛辣だね」
「俺の妹に迷惑掛ける輩に、従者とか関係ないから。馘首にならないだけありがたく思え」
「……ヴィンス様の溢れんばかりの優しさに、感謝申し上げます」
「棒読み!」
はははっ、と快活に笑う。
楽しそうだなホント。
「……王宮へは、何しに?」
「ん?あぁ、トラキオンからの書状を渡すんだ。大したことは書いてないな、俺の里帰りの口実だ。ついでに返事をもらってちゃんと帰ってこい、という懇願でもある」
「口実て……」
「とは言え、渡す相手は王太子殿下だから正装してきたんだ。せっかくだからルシウス殿の働きっぷりを覗こうと思ったら、ミューと間違えられて案内されて求婚された」
「最後がおかしい」
「なー?」
軽く肩を竦めて流してる。慣れてるんだな……。
「ルシウス殿は王太子殿下と親しいんだろ?仲立ちしてくれ」
「……わかりました。一度上司に伝えてきますので、お待ちください」
ワルローの資料も急ぎか確認しなきゃな、と立ち上がりふと思い出した。
「そう言えば聞きたいことがあったんだ」
「ん?」
「視力は大丈夫なの?左右で色が違うと、影響はあったりしない?」
「……」
「?」
普通に見えてそうだけど、どこか支障があるならサポートしないとな、と思って聞きたかったんだが。
一昨日と今日、ずっと喋っていたヴィンス殿がピタリと口を閉じた。
マジマジと僕を見詰めるとーーそれは嬉しそうに笑った。
??!
「視力は問題ない。きちんと見えてるし、色も分かるさ。心配してくれてありがとう。やっぱりミューの選んだ夫だな」
「……なんで?」
「ミューも昔怒ってくれた。『ヴィンスの目はヴィンスが物を見る為にあるのであって、鑑賞用じゃないのに!アクセサリー扱い腹立つ!』ってな」
「……」
「俺の目に見惚れる奴は、俺の目の色だけしか興味ない。自分が見る為にあるのであって、俺の目が悪かろうが見えなかろうが色盲だろうが気にしないんだ。『そこは価値に関係ない』と言う。そんな奴らは信用に値しない」
「……そうだね」
「俺の視力を気にする奴なんて、領地でしか会えないと思ってたがな。こんな所にいたのか」
そう言って彼は、尊大に座っていたソファから立ち上がる。
「歓迎しよう、ルシウス・フォン・アイゼンバーグ。ミューの夫としてだけではなく、俺自身の友として。末永く、どうぞよろしく」
胸に手を当て、丸っきりミューと同じような表情で微笑まれると、不覚にも赤面してしまった。
◇◇◇◇◇◇◇
「第二王子殿下とも仲が良いのか?マリーの夫なら挨拶した方が良いかな」
「ええ、まぁ。従姉妹の婚約者なのに面識がないんですか?ミューはだいぶ打ち解けてますよ」
「俺は領地からほぼ出なかったからなぁ。ミューから聞いてた通りならだいぶ自由な王子様らしいが、さすがに領地までは来ないだろう?」
「それはそうですね」
「あと、婚約成立前にマリーを振ったから、それ以来俺には嫌そうな顔をするんだアイツ」
「は?」
「一回振られただけであんなに掌返すんだもんなー。むしろ見習ってほしいもんだ、どこかの第三アホ王子」
「ちょ!ちょっと待って!今聞き捨てならない聞いちゃいけないこと言ったな?!」
「うん?マリーが振られた?」
「誰に?!」
「俺に」
「なんで?!」
「なんでって、好きだと言われたからだな。マリーは目の色で惚れてきた訳じゃないだろうけど、あの時既に王族の婚約者候補だったから、これは振ってやらにゃいかんだろうと」
「ええええ……」
「従姉妹を思ってのことだぞ?『私はヴィンスが好きだけど、ヴィンスはどんな女の子が好き?』とモジモジしてるから、『胸のデカい子!』って断言してやった」
「うわぁ……」
「ついでに『マリーは望み薄だな。気にするな、ペチャパイ好きな物好きもきっといるさ!世界は広いからな!』って励ましたんだが、マリーに平手打ちされてその後サリーにボコボコにされた」
「そりゃそうでしょうよ?!」
「さぁ、第二王子殿下を見に行こうかー」
「ダメ!です!」
混ぜるな危険。




