Day59:恋と勘違いと、温泉旅行
暑い……。
まだ夏も始まったばかりだというのに、照りつける陽射しは容赦なく、まるで肌を撃ち抜くように降り注いでくる。
私は少しでも直射日光を避けようと、建物や街路樹が落とす影から影へと渡り歩きながら、大学へ向かっていた。
そういえば前世で小学生だった頃も、集団登校だというのに一人だけ影を選んで歩き、列から外れてはよく注意されていたっけ。
日本とは違い、シタリアの夏は湿気が少なく、空気そのものはからりとしている。
だからといって、暑くないわけではない。
むしろ雲ひとつない空から真っ直ぐ落ちてくる日差しは逃げ場がなく、私は極力日に晒されないよう、細く伸びた影の中を縫うように急いだ。
現在、七大学合同討論会の開催期間中ということもあり、オルド組の教室に残っている生徒は少ない。
普段から仲良くしてもらっている面々も皆そろって大会へ参加しているため、気軽に声を掛けられる相手もおらず、私は教室の最奥でぽつんと過ごす日々が続いていた。
討論大会の期間は、およそ一週間。
基礎課程を終えたオルド組では、すでに各々が自分の専攻を進めているため、教室に集まったところで、以前のように皆で同じ授業を受けることはない。
それでも、予定の確認や情報交換のために顔を出す者もいれば、私のように毎日ここへ来ること自体が、いつの間にか習慣になってしまった者もいる。
今回残っている面々も、どうやら後者ばかりらしく、それぞれが好きなように時間を過ごしていて、そこに会話が生まれる様子もなかった。
見渡す限り、残っているのは私を含めて六名。
イリスさんとセレンさんは普段から二人で行動することが多く、他の生徒と積極的に交流するような性格ではないし、レオンさんとナオさんは、確かミリタルという軍事派閥の家柄だったはずで、討論大会を前に「軍事以外は遊戯に過ぎない」などとツンケンしていた覚えがある。
そして残る一人、カトリナさんは、もともと神学者を目指していたと言っていたからか、イリスさんとは時折、二言三言ほど言葉を交わしている姿を見かけることがあった。
私が知る限り、彼女は貴族でありながら平民に近い感性を持っていて、平民である私からすれば、この教室で唯一と言っていいほどの一般人――そして、常識人である。
そして今日、そんなカトリナさんから、珍しく声をかけられた。
「ユリカさん、この後、お時間ありますか? 一緒にお昼なんて……いかがです?」
少しだけ首を傾げ、下からこちらを覗き込むように誘ってくるカトリナさんが妙に可愛らしく、断る理由などどこにもなかった。
「もちろん、喜んで」
意気揚々と食事を注文し、食堂の中央にあるテーブルを挟んで、二人向かい合って腰を下ろす。
……そこまでは良かったのだが、先ほどまでとは打って変わり、カトリナさんはどこか落ち着かない様子で、指先で頬のそばかすを掻いていた。
時折こちらをちらりと見ては視線を逸らし、何かを言いかけては口を閉じる姿を見ていると、どうやら昼食そのものが目的ではなく、何か聞きたいことでもあって私を誘ったらしい。
それならばと、なかなか切り出せずにいる彼女に代わって、こちらから水を向けることにした。
「カトリナさん、何か聞きたいことでも?」
そう尋ねた瞬間、図星を突かれたように両肩がびくりと跳ねる。
あまりにも分かりやすい反応に、私は思わず目を瞬かせた。
「あの……ユリカさん。
討論大会のことなのですが、どうして金席であるあなたが参加されていないのですか?
それに……あの噂は……」
なんだ、そんなことか。
――――討論大会の数日前。
私はリオン君たちに呼ばれ、オルド組の教室へと足を運んでいた。
そこで告げられたのは、今回の七大学合同討論会の参加者から、私を外すことになったという話だった。
私としては参加してもしなくても、正直どちらでも良かったのだが、話を切り出したリオン君たちがあまりにも申し訳なさそうな顔をしているので、ひとまず理由だけ聞いてみることにした。
「実は、俺の家だけではなく、エリオやトマの家からも達しがあってな。
今期の総代、ひいては今代の金席をユリカが務めていること自体、貴族として恥ずべきことだと言っているらしい。
そこで、まだ一年目で、金席であること以外に目立った研究実績もないユリカを抜きにして、我々だけで五公家の威光を示してこい、と……」
言葉を重ねるほどに、リオン君の表情は険しくなり、両手は服の袖口を巻き込むほど強く握り締められていた。
どうやら彼にとっては、単に私が大会へ出られないというだけの話ではないらしい。
「七大学合同討論会へ参加することは、我々学徒にとって誉れそのものだ。
それを、身分や家の威光を示すためだけに誰かから奪うなど、あってはならない。
……君には、本当に申し訳ないと思っている」
……え? そんなに?
あまりの温度差に、むしろ私の方が面食らってしまった。
けれど、リオン君だけではなく、その場にいる皆が心の底から申し訳なく思ってくれていることは、言葉以上にひしひしと伝わってくる。
参加できないことよりも、そんなふうに私のために憤ってくれる人たちがいることの方が、私にはずっと嬉しかった。
「そんな、気にしなくて大丈夫ですよ。
私も今進めている専攻の『マナ研究』と『ルーン開発』がありますし、ちょうど集中を切らしたくないと思っていたところなんです。
だから私はここに残って、皆さんが帰ってくるのを待っていますね」
そう笑って返した途端、なぜか今度は私を中心に小さなどよめきが広がった。
そしてリオン君を筆頭に、皆が口々に「なんて健気な……」「ユリカの分まで頑張る」「必ず優勝して帰ってくる」と宣言し始め、その気迫に押されながらも、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
――――でも、どうしてそんなことを聞きたかったのだろう?
事情を話し終えても腑に落ちず、不思議そうにカトリナさんを見つめていると、その視線で何かを察したのか、彼女はハッと顔を上げ――次の瞬間、とんでもないことを口走った。
「やはり、愛なのですね……。
あの噂は本当だったのですね?!
リオン様が、平民であるユリカさんを想い、貴族たちの矢面から守るために、無理を言って討論大会へ参加させなかったと。
他のクラスの友人からも聞いたんです!
リオン様がユリカさんを儚げに見つめながら、涙まで浮かべて説得していたって!
あぁ〜、やっぱり愛なんですねぇ。
ユリカさん! 身分差のある恋ではありますが、私は応援しますからねっ!」
……開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだろう。
いつの間にそんな話になったのか、そもそも誰が涙を流していたのか、訂正したいところはいくらでもあるのに、一人で矢継ぎ早に喋り、一人で頬を染め、一人でうっとりと物語を完成させていくカトリナさんを前にしていると、どこから手をつければいいのかすら分からない。
結局、野菜と果実の冷製コンポートがどんな味だったのかもよく分からないまま、私のお昼休みだけが静かに消費されていった。
――――そして翌日。
七大学合同討論会を終えたオルド組の面々が、堂々たる優勝の報告と、その証である優勝賞品を携えて帰ってきた。
そこまでは良かった。
問題は、よりにもよって代表を務めたリオン君が真っ直ぐ私の元へ歩み寄り、お詫びのつもりなのか、優勝賞品である『温泉都市サークツ ご招待』と大書された目録を――あまつさえ、私の前で片膝までついて差し出してきたことである。
……昨日の今日で、この構図はまずい。
恐る恐る横を見ると、案の定、カトリナさんは顔を真っ赤に染め、鼻息も荒く、今にも奇声を上げそうなほど目を輝かせ、何やら一生懸命にメモをとっている。
リオン君の後ろに控えていたフィオナさんは「これはどーいうことなんです?」と本人そっちのけで騒ぎ始め、エマさんに至っては、柔らかな笑みを浮かべながらも、どこからともなく若干の殺気を放っていた。
……違う。
昨日カトリナさんから聞いたような、そういう話では絶対にない。
ないのだが――この状況で、それをどう説明しろというのだろう。
こうして、いくつもの誤解を盛大に置き去りにしたまま、私たちオルド組は、一泊二日の温泉旅行へと旅立つこととなった。




