↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
23/25

疵

第23話 守るための機械


 最初に壊れたのは、肉屋の庇だった。


 通りを歩いていたトーマの頭上で、赤い布が大きく跳ねた。続いて、布を支えていた鉄棒が壁から抜ける。


 何かが庇の向こうを横切った。


 人の背丈ほどもある、鉄の腕だった。


「伏せて!」


 リッカの声に、トーマは反射的に身を屈めた。


 腕が空を切る。


 先端に取りつけられた三本の爪が、向かいの壁へ食い込んだ。石が砕け、白い粉が通りへ噴き出す。


 悲鳴が上がった。


 庇の下にいた肉屋の男が、腰を抜かしたまま後ずさる。その前に、籠を持った子どもが取り残されていた。


 トーマの右手に槍が現れた。


 走る。


 鉄の腕が壁から抜けた。


 振り戻される軌道へ槍を差し入れ、子どもとの間へ身体を入れる。


 衝突した瞬間、足元の敷石が割れた。


 腕の表面を光が走る。


 槍は折れなかった。


 だが、トーマの身体は靴底を滑らせながら、半歩、さらに半歩と押された。


「この子を!」


 肉屋の男が這うように手を伸ばした。


 子どもの服を掴み、庇の残骸の下へ引きずり込む。


 トーマは槍を斜めに倒した。


 爪が穂先から滑り、石畳へ突き刺さる。


 その隙に、彼も横へ跳んだ。


 通りの中央に、防衛機械が立っていた。


 四本の脚を持つ、荷車より大きな機体だった。中央の箱型の胴には都市の紋章が刻まれ、その両側から作業用の腕が伸びている。


 片方は三本爪。


 もう片方には、短い杭を打ち出す筒があった。


 本来は、城門を破ろうとする大型の獣を押し留める機械だと、昨日セヴランから聞いたばかりだった。


 その筒が、人々の逃げる方向へ回った。


     *


「オルフェ! 路地へ入れて!」


 リッカが叫んだ。


 オルフェはすでに走っていた。


「真っすぐ逃げないで! 店の中へ! 裏口がある店は開けて!」


 菓子屋の扉を叩き、軒先で立ち尽くす女を押し込む。


 トーマは槍を消し、剣を呼んだ。


 機械へ踏み込む。


 杭筒の根元を狙って振り下ろすと、刃が外板を裂いた。


 浅い。


 中の軸まで届かない。


 胴の下で歯車が鳴った。


 トーマは逃げる人々を守る対象として捉え、筒の前へ肩を入れた。


 発射音は、鐘を近くで殴ったようだった。


 短い鉄杭が胸へぶつかった。


 白い光が弾けた。


 息が止まる。


 トーマの身体が後ろへ飛び、菓子屋の階段へ背中から叩きつけられた。


「トーマ!」


 リッカの声が遠い。


 倒れたまま、彼は胸へ手を当てた。


 服は裂けていた。


 杭は刺さっていない。


 それでも、肺が縮んだように息が吸えなかった。


 膝を立てる。


 視界の端で、鉄の脚が動いた。


「……来る」


 声にならなかった。


 トーマは剣を地面へ突き、無理やり身体を起こした。


 次の一歩で、機械が菓子屋の入口へ近づく。


 子どもの泣く声が、扉の向こうから聞こえた。


     *


 リッカが投げた工具が、機械の側面へ当たった。


 甲高い音がした。


 胴が彼女のほうへ向く。


「こっち!」


 リッカは露店の台を蹴り倒し、その向こうへ滑り込んだ。


 三本爪が台を砕く。


 木片が跳ねた。


 彼女の頬へ赤い線が走った。


 トーマが踏み込んだ。


 今度は腕を受けなかった。


 地面へ下りた爪の関節へ剣を差し込み、身体ごと捻る。


 歯車が軋んだ。


「リッカ、逃げろ!」

「抜かないで! そのまま噛ませて!」


 彼女は逃げずに、機体の横へ回った。


 小さな点検蓋を開こうとする。


 鍵が掛かっていた。


「こんな時だけ、ちゃんと閉めて!」


 腰の工具を引き抜く。


 トーマの剣が、関節の中で震えた。


 持ち手を通して、機械の力が腕へ伝わる。押さえつけられるように肩が下がり、片膝が地面へついた。


「長くは、持たない!」


「分かってる!」


 点検蓋が開いた。


 リッカの表情が変わった。


 中にあるはずの停止環が、見当たらなかった。


 切断された線が二本、奥へ押し込まれている。


「……外してある」


 機械の脚が一本、持ち上がった。


 リッカへ向かう。


 トーマは剣を消した。


 突然抵抗を失った三本爪が地面を引っ掻く。


 彼はリッカの腰を掴み、そのまま横へ倒れ込んだ。


 鉄の脚が、二人のいた場所を踏み抜いた。


     *


 通りの端で笛が鳴った。


 警備兵が六人、槍を持って駆けてくる。


 先頭の男が機械を見るなり、顔を強張らせた。


「停止符は!」

「停止環を外されてる! 杭筒が生きてるから正面へ立たないで!」


 リッカが起き上がりながら叫んだ。


 兵たちは散った。


 その判断が、半歩遅れた。


 機械の胴が回る。


 杭筒が、槍を持つ兵へ向いた。


 トーマは間へ走ろうとした。


 足がもつれた。


 胸へ受けた衝撃が、まだ身体に残っている。


 間に合わない。


「伏せろ!」


 警備兵の一人が仲間を押し倒した。


 鉄杭が頭上を抜け、薬屋の壁を貫いた。


 棚の崩れる音がする。


 トーマは歯を食いしばった。


 全員を同時に見ていられない。


 機械を追えば、逃げ遅れた人が視界から消える。人を見れば、鉄の腕が動く。


「トーマ、こっちを見て」


 リッカが彼の袖を強く引いた。


「全部止めようとしないで。向きを変えさせる」

「どこへ」

「荷捌き場。あそこなら人を退かせられる」


 オルフェが路地の入口から叫んだ。


「奥の荷車は動かした! ただ、裏の店に二人いる。出すまで少し!」


 リッカは頷いた。


 トーマの胸元を見た。


「もう一発、受けられる?」

「分からない」

「だったら、受けない方法にする」


     *


 機械は、持ち上げられた鉄の鍋へ反応した。


 警備兵が店から借りたものだった。


 鍋を地面へ叩きつけると、胴がそちらへ回った。


「音じゃない」


 リッカが言った。


「大きく動く金属を追ってる。識別の筒を替えられてるんだと思う」

「鍋を敵だと思ってるのか」

「私たちだって、剣と槍を持ってるでしょう!」


 トーマは剣を出した。


 大きく横へ振る。


 機械が向きを変えた。


 杭筒が上がる。


 トーマはすぐに剣を消し、店の石柱へ身体を隠した。


 鉄杭が柱の角を削る。


 破片が耳を切った。


 次に剣を出したときには、荷捌き場の入口にいた。


 機械が追ってくる。


 一歩。


 もう一歩。


 鉄の爪が振り上がった。


 トーマは逃げず、懐へ入った。


 爪が頭上を通り、後ろの木枠を砕く。


 彼は機体の脚を蹴り、横へ抜けた。


「今!」


 左右にいた兵が、太い鎖を引いた。


 荷車を固定するための鎖だった。


 四本脚のうち、前の二本へ絡む。


 機械が傾いた。


 だが、倒れない。


 脚の一本が鎖を持ち上げ、壁の金具ごと引き剥がした。


 兵が引きずられる。


 トーマは槍を呼び、鎖の輪へ柄を通した。


 石畳の隙間へ穂先を打ち込む。


 身体を沈めた。


 機械の重さが、両腕へ掛かった。


     *


 リッカが機体の背へ登った。


 外板は熱かった。


 手をついた掌に痛みが走る。それでも離さず、膝を引き上げる。


「上は動くぞ!」


 兵が叫んだ。


 胴が回った。


 リッカの身体が振られた。


 彼女は点検用の取っ手を掴み、片足だけで縁にぶら下がった。


 下から鉄の腕が伸びてくる。


 トーマは槍を片手で押さえ、もう片方の手で剣を呼んだ。


 腕の細い連結部へ投げる。


 刃が当たり、逸れた。


 切断には届かなかった。


 だが、三本爪はリッカの靴底を掠めるだけで空を掴んだ。


 その隙に、彼女が身体を引き上げる。


「あと少し!」


「その、少しを、短く!」


 トーマの右足が滑った。


 槍の穂先が石を割りながら動く。


 肩の奥で、嫌な音がした。


 リッカは背面の蓋へ工具を差し込んだ。


 留め具を一つ外す。


 二つ目は潰れていた。


 叩く。


 動かない。


 もう一度、全体重を乗せて叩いた。


 蓋が跳ねた。


 中の識別筒は、固定帯で無理やり押さえられていた。


 正規の部品より短い。


 空いた隙間を、革と針金で埋めている。


「これか!」


 抜こうとした瞬間、胴が急に反転した。


 リッカの身体が浮いた。


 指から工具が落ちる。


 彼女は固定帯を掴んだ。


 帯が裂けた。


 識別筒が、腕の中へ抜けた。


 機械の動きが止まった。


 次の瞬間、膝に当たる関節から蒸気が噴き出し、巨体が前へ崩れた。


「離れろ!」


 トーマは槍を消し、鎖から飛び退いた。


 地面が揺れた。


 リッカが背から転がり落ちる。


 トーマは受け止めようとしたが、痛む肩が持ち上がらなかった。


 二人で石畳へ倒れた。


     *


「……受け止めるなら、ちゃんと」


 リッカが呻いた。


「受け止めた」

「床も一緒に」

「文句が言えるなら、よかった」


 彼女は返事をしかけ、咳き込んだ。


 トーマも笑おうとして、胸を押さえた。


 オルフェが駆け寄ってくる。


 二人の顔を見て、深く息を吐いた。


「立たないで。今、立てるって証明する必要ないから」

「機械は」

「兵が見てる。店の人も出せた」


 リッカは胸へ抱えていた筒を差し出した。


「これ、なくさないで」

「君の工具より大事?」

「今は」

「じゃあ、工具も拾っておく」


 オルフェは筒を布へ包んだ。


 トーマは仰向けのまま、王都の空を見た。


 薄く煙が流れていた。


     *


 夕方、医務室へセヴランが来た。


 トーマの肩は固定され、リッカの掌には軟膏を塗った布が巻かれていた。


 セヴランは椅子へ座るなり、深く頭を下げた。


「停止装置の確認が遅れた」

「誰が外したんですか」


 リッカが尋ねる。


「整備記録上は、今朝、検査を終えている」

「終えて、あれ?」

「署名した検査員がいない。帰宅先にも戻っていないそうだ」


 トーマが身体を起こしかけた。


 オルフェに肩を押さえられる。


「今日は聞くだけ」

「まだ何も言ってない」

「顔が言った」


 セヴランは書類を広げた。


 消えた検査員の名は、ネルス。


 彼が確認印を押した設備の一覧に、東の要へつながる中継所が三つあった。


 そのうち一つの名前を見て、リッカの顔が変わった。


「ここ、明日切り替える予定じゃ」

「今、停止を指示している」


 セヴランが言ったところで、廊下を走る足音が近づいた。


 扉が開く。


 入ってきた記録係は、息を整える前に告げた。


「第三中継所が、連絡に応じません」


 リッカが寝台から足を下ろした。


 オルフェは今度は、止める言葉をすぐには見つけられなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。