借りた剣
第十六話 借りた剣、借りた部屋
西の宿は、玄関に槍が立ててあった。
飾りではない。
石突きの泥が乾ききっておらず、柄には手の脂が染みていた。
その隣に剣が三本。
壁には弓。
さらに、折れた鍬が一本。
カイルは最後の一本を見て、首を傾げた。
「ここ、武器を預けるんじゃないのか」
「長い物は全部だよ」
帳場の女が言った。
「部屋で振り回す馬鹿がいるからね」
「鍬を?」
「酒を飲めば、何でも振り回す奴はいる」
ミレイが槍を外し、壁へ丁寧に立て掛けた。
カイルは腰の短剣を見せる。
「これは?」
「食事に使うならいい。喧嘩に使うなら、取り上げる」
「食事にしか使わない予定だ」
「予定が変わる前に言いな」
帳場の女は、宿帳をこちらへ押した。
後ろでピノが笑いを堪えている。
「何だよ」
「カイルさん、負けたね」
「何に」
「口」
「勝負してない」
「そう言う人、多いんだよなあ」
カイルは宿帳へ名前を書き、ペンをピノへ渡した。
少年は受け取る前に、荷札を一枚確かめた。
「三人部屋で、荷物は別?」
「男二人は上。お嬢さんは奥の小部屋。荷は裏倉庫。鍵は一つだから、最後に出る奴が閉めて」
ミレイが料金を確認する。
女は指を折り、三人分の金額を告げた。
カイルは財布を開いた。
迂回してから、予定より二日多くかかっている。
宿賃は、一晩ごとに確実に減っていた。
*
荷を預けた後、ピノが町へ出たがった。
「届け物?」
カイルが尋ねる。
「それもある。あと、母さんに頼まれたのが」
「何を頼まれたんだ」
「針」
「途中の町にも売ってただろ」
「ここのがいいんだって。縫ってる途中で曲がりにくいって」
ミレイが顔を上げた。
「私も買います」
「ミレイさんも?」
「柄の布を縫い直したいので」
ピノは嬉しそうに頷いた。
「じゃ、一緒に行こうよ。カイルさんは?」
「俺は——」
言いかけて、窓の外を見た。
宿の裏に、小さな広場があった。
木の柵で囲われ、その向こうに、棒を持った人影が見える。
ミレイも気づいた。
「稽古場ですね」
「見てから行く」
「見ているだけですか」
「何だ、その聞き方」
「昨日、荷車の隣で素振りをして、御者に叱られていましたから」
「御者じゃない。馬に嫌がられたんだ」
「同じことです」
ピノが財布を懐へ入れた。
「じゃあ、先に行ってくる。二人とも、喧嘩しないでね」
「俺たちを何歳だと思ってる」
「俺よりは上」
少年は手を振って出ていった。
*
稽古場には、十人ほどの若者がいた。
年齢も体格もばらばらで、揃いの服を着ているわけでもない。
仕事帰りなのか、袖をまくったまま木剣を振る者もいる。
中央で指示を出していたのは、右脚を少し引きずる男だった。
ミレイが柵の前で足を止める。
「ボルス先生」
男が振り返った。
「……誰かと思えば」
目を細め、近づいてくる。
「背が伸びたな」
「最後にお会いしたのは、一昨年です」
「俺の記憶じゃ、まだこのくらいだ」
男は腰の辺りへ手を置いた。
「それは十年以上前です」
「そうだったか」
カイルは二人を交互に見た。
ミレイが紹介する。
「幼いころ、槍を教わりました。父の知人です」
「槍だけじゃないぞ。こいつ、剣を持つとすぐ投げたからな」
「投げていません。落としただけです」
「相手の顔へ?」
「……手が滑りました」
カイルは口元を押さえた。
ミレイがこちらを見る。
「何か」
「いや。聞き慣れない話だったから」
「子供のころです」
「俺も、そう聞いた」
「その顔をやめてください」
ボルスは愉快そうに笑った。
「旅の連れか。なら、一度やっていけ。見るだけより早い」
差し出された木剣を、カイルは受け取った。
*
相手になったのは、カイルより少し年下の青年だった。
名前はレオ。
麦屋の息子で、午後の荷運びを終えると稽古に来るという。
「スキルは?」
レオが尋ねた。
「ある」
「使ってくれ。どこまでやれるか知りたい」
カイルは木剣の重さを確かめた。
「木剣でいいのか?」
「怪我したくないからな」
「それなら、なしでやろう。俺のは、少し面倒なんだ」
レオは残念そうだったが、頷いた。
最初の打ち込みは、速かった。
カイルは受けて流し、横へ回る。
次の一撃も避けられた。
しかし、三度目に踏み込もうとした瞬間、足元へ木剣が入ってきた。
咄嗟に下がる。
そこへ肩を押され、体勢が崩れた。
木剣の先が胸へ止まる。
「一本」
ボルスが言った。
カイルは息を吐いた。
「……やるな」
「今の、避けられると思った」
レオ自身も少し驚いている。
「俺も思った」
「もう一回?」
「頼む」
二度目は、カイルが取った。
三度目は、またレオだった。
終わるころには、掌が熱くなっていた。
柵の外で見ていたミレイが、水を差し出す。
「借り物、振りにくいですか」
「少しな。いつもの剣なら、って言いたくなる」
「言ってもいいと思います」
「慰めか?」
「事実ですから。ただ、その剣しかないときもあります」
カイルは木剣を見た。
手元へ出せる剣に頼り、いつの間にか、自分に合う重さばかり選んでいた。
レオが近づいてきた。
「変な癖あるな、あんた」
「どこだ?」
「右を空けるだろ。あそこに、何か来るつもりで動いてる」
カイルは黙った。
召喚した剣を置く位置だった。
レオが頭を掻く。
「悪い。教えるつもりじゃなくて」
「いや。言ってくれて助かった」
「そっか。なら、よかった」
カイルは木剣を持ち直した。
「そこ、もう一回だけ試していいか」
ミレイが水筒を引っ込めた。
「その前に飲んでください」
*
夕食時には、ピノが針を六包み抱えて戻ってきた。
「多くないか」
「頼まれた分もあるんだよ。母さんの友達が、ついでにって」
「ついでの方が多いんじゃないか?」
「そう。しかも『私の分は急がなくていい』って言うんだ。そう言われると、先に渡さなきゃって気になるだろ」
ミレイが頷いた。
「わかります」
「わかるんだ」
「家にいるころ、親戚の用事をよく頼まれました」
「断らなそうだもんな」
カイルが言うと、彼女は少し考えた。
「断りましたよ」
「何を?」
「一日に三ヶ所へ届け物をするよう言われたので、一ヶ所は自分で行っていただきました」
「……二ヶ所は行ったのか」
「方向が同じでしたので」
ピノが笑う。
「ほら。やっぱり断らない方だ」
食卓へ、焼いた肉と豆の煮込みが運ばれてきた。
帳場の女はエルマと名乗った。
皿を置きながら、カイルの掌を見る。
「裏で遊んできたね」
「稽古だ」
「豆、潰せる?」
「そこまで弱ってない」
「ならいい。潰せないなら、匙を替えるから」
ピノがまた笑った。
カイルは豆を一粒、丁寧に潰した。
「これで証明になったか」
「二粒目も見とこうかな」
「食え」
*
食後、ボルスが宿へ顔を出した。
酒を頼み、三人の卓へ来る。
カイルは椅子をずらした。
「脚、古傷か」
「ああ。おかげで、若いのを追いかけ回さずに済む」
「座って怒鳴れるから?」
「よくわかるな」
ボルスは笑い、ミレイへ目を向けた。
「親父さんは元気か」
「元気です。私が出る朝も、庭で稽古をしていました」
「止めなかったのか」
「止めました。準備が遅れるので」
「旅に出る方だ」
「……少しだけ」
ミレイは水の入った杯へ視線を落とした。
「でも、行くと決めたのは私ですから」
「そうか」
ボルスは、それ以上聞かなかった。
代わりにカイルへ尋ねる。
「お前は、西の要を見に行くんだってな」
「ああ」
「遠いぞ」
「地図では見た」
「地図に載らん坂もある」
「今日、十分わかった」
男は酒を飲み、口元を拭いた。
「昔、あそこにいた奴を一人知っとる。戦が終わったら、海を見に行くって言ってた」
カイルの手が止まった。
「行けたのか」
「行った。船酔いして、二度と行かんと言ってた」
ピノが吹き出した。
カイルも、少し遅れて笑った。
「何だよ。もっと重い話かと思った」
「重い話が聞きたかったか?」
「いや」
「なら、よかった」
ボルスは空いた皿を端へ寄せた。
「行きたい場所があるなら、覚えとけよ。行ってみて嫌になるのも、自分で行かんとできんからな」
カイルは返事をせず、窓の外を見た。
暗くなった稽古場には、誰もいない。
そこへ出ていくのも、宿へ戻るのも、今は自分で決められた。
*
部屋へ上がると、ピノが床に荷札を並べていた。
「踏まないでね」
「踏まない場所を作ってくれ」
「そこ、一歩分空いてる」
「俺は椅子じゃないんだぞ」
カイルは荷札を跨ぎ、寝台へ座った。
掌には、薄く皮の剥けた場所がある。
水で洗うと、少し沁みた。
ピノがそれを見る。
「剣を出せるのに、木の剣で手を痛くするんだね」
「出せないときもある」
「そうなの?」
「自分で出さないと決めたときと、出す余裕がないとき」
「ふうん」
少年は荷札をまとめた。
「カイルさん、何でも自分で決めるんだな」
「そう見えるか」
「うん。俺、荷物の行き先も決まってるし、預かったお金も勝手に使えないし。羨ましい」
カイルは少し笑った。
「俺の金も、好きには使えないぞ」
「あ、そうか。お城の仕事だもんね」
「それに、決めた後で困ることもある」
「今日の稽古?」
「それも」
言いかけた先を、カイルは飲み込んだ。
西の要。
その範囲から出ないという制約。
まだ選んでいない。
見てもいない場所を、自分の一生の場所だと決めることはできなかった。
ピノは深く聞かなかった。
「じゃあ、明日の朝飯は選べるよ。卵か、肉の残りだって」
「肉」
「早いなあ」
「お前は?」
「卵。肉は、夕飯のときに食べたし」
「一口交換するか」
「それ、最初から両方欲しかっただけだろ」
カイルは肩をすくめた。
*
翌朝、ミレイは出発前に稽古場へ寄った。
カイルとピノもついていく。
ボルスは、まだ誰もいない広場で柵の修繕をしていた。
「行くか」
「はい」
「親父さんに会ったら、俺が元気だったと伝えとけ」
「ご自分で手紙を」
「字を書くと肩が凝る」
「槌を振れるのに?」
「使うところが違う」
ミレイは呆れたように息を吐き、それから一歩下がった。
槍を立て、深く頭を下げる。
「ありがとうございました」
ボルスは、しばらく黙っていた。
やがて、手にした槌を置く。
「お前、昔は負けると泣いたな」
「……今、その話をしますか」
「泣きながら、もう一回って言ってた」
「覚えています」
「なら、いい」
男は彼女の肩を軽く叩いた。
「気をつけて行け」
町を出てから、カイルはしばらく黙って歩いた。
ミレイが横目で見る。
「何ですか」
「何も言ってない」
「言いたそうです」
「泣きながら、もう一回」
「言いましたね」
「俺も、似たようなことがあった」
ミレイが振り向いた。
カイルは道の先を見たまま続ける。
「トーマに負けて、帰らないって言った。夕飯の時間を過ぎても」
「それで?」
「リシェルが来て、二人とも怒られた」
「トーマさんまで?」
「俺を置いて帰らなかったから」
ピノが隣で首を傾げる。
「いい人じゃないか」
「そうなんだよ」
カイルは笑った。
「だから余計に、勝ちたかった」




