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北

第十二話 寄り道の値段


 西の街道は、地図で見るより曲がっていた。


 丘を一つ越えるたびに、次の丘が現れる。


 カイルは三度目の坂で立ち止まり、息を吐いた。


「さっきの頂上から町が見えるって言ったよな」


 ピノが振り返った。


「天気がよければ」


「今、晴れてるぞ」


「もっとよければ」


 ミレイが先を指した。


「次の曲がり角です」


「それも二回聞いた」


 それでも足を動かす。


 槍を持つミレイの歩調は、朝からほとんど変わらなかった。


 ピノは荷車と人の間を行き来し、荷札を確かめている。疲れていないわけではない。時々、片方の肩を回していた。


 橋で押されたところが、まだ痛むのだろう。


 カイルが鞄へ手を伸ばす。


「持つか」


 ピノは少し驚き、すぐ首を振った。


「これ、中身がごちゃごちゃになると困るので」


「運ぶだけだよ」


「受け取りの順に入れてあるんです。自分で持ったほうが早い」


 カイルは手を戻した。


「じゃあ、水」


「それはいただきます」


 少年は迷わなかった。


     *


 町へ着いたのは昼を過ぎてからだった。


 入口の看板は片側が欠けていた。


 宿屋が二軒。


 鍛冶場が一つ。


 広場には井戸があり、洗った布が何本もの縄に掛かっている。


 西へ向かう商隊は、ここで二つに分かれる予定だった。


 ベルトは小さな帳面を開いた。


「西の砦へ行く荷は、明日の便に積み替える。ただ、山沿いの道は崩れてる。南へ回る」


 カイルが地図を覗く。


 線が、大きく膨らんでいた。


「二日増える?」


「順調ならな」


「ほかの道は」


「歩くだけならある。荷車は無理だ」


 カイルは自分の鞄を見た。


 自分とミレイだけなら、先へ行けるかもしれない。


 ピノが薬の荷札を机へ置く。


「この荷も砦へ行きます」


 重い木箱だった。


 食料もある。


 矢に使う部品も。


 行き先は同じだった。


 カイルは地図から顔を上げた。


「分かった。回る」


 ミレイは何も言わず、宿の位置を確かめた。


     *


 泊まる場所を決めるとき、カイルは初めて財布の中身をゆっくり数えた。


 王都で使う一日分とは、意味が違った。


 二日増えれば、二晩分の宿と食事が増える。


 雨が続けば、もう一日。


 靴が壊れれば修理代。


 剣を出せても、寝床は出せない。


「大部屋なら安いですよ」


 ピノが言った。


「空いてるのか」


「馬方の隣。いびきがすごい人がいるって」


「詳しいな」


「先に聞きました」


 ミレイは宿の主人へ、部屋の鍵と窓を確かめた。


 カイルが尋ねる。


「大部屋でいい?」


「私は護衛用の寝所を使います。あなたは貴重品を身体から離さないでください」


「寝るときも?」


「寝るときこそ」


 ピノが、自分の鞄の紐を見せた。


 身体へ回せる長さになっている。


 カイルは母に詰め直された鞄を持ち上げた。


 同じように回せる紐がついていた。


 気づいていなかった。


 部屋へ入ってから、少しだけ笑った。


     *


 午後、町外れで荷の積み替えを手伝った。


 南へ回る道は長く、坂も多い。


 車一台に積める量を減らすため、荷を分け直す必要があった。


 カイルは箱へ手を掛け、制約を口にしかけた。


 ミレイが横へ来る。


「私が持ちます」


「俺一人で持てる」


「二人なら、制約は要りません」


 彼は言い返そうとして、やめた。


 二人で持ち上げた。


 重いが、持てない重さではなかった。


 移動する途中で、ミレイが声を掛ける。


「右、段差です」


「見えてる」


「では、上げます」


 箱を置いた。


 カイルは腰を伸ばした。


「便利なものは使ったほうがよくないか」


 ミレイは次の荷札を確かめた。


「使うことには反対していません」


「さっき止めただろ」


「私の手が空いていました」


 カイルは彼女の顔を見た。


 責めているわけではなかった。


 自分がいる、と言っているだけだった。


「……じゃあ、次も頼む」


「はい」


 二つ目の箱を持った。


     *


 積み替えの途中、年老いた男が一人、荷車の脇へ来た。


 大きな布包みを抱えていた。


「西へ行くんだろう」


 ベルトが顔を上げる。


「砦までなら」


「これを運んでもらいたい」


 包みの中には、古い金属の鐘があった。


 片側が欠け、取っ手には布が巻かれている。


 ベルトは重さを確かめた。


「荷賃はかかるぞ」


「分かってる」


 老人は硬貨を出した。


 足りなかった。


 ベルトは黙り、老人も黙った。


 ピノが鐘へ触れずに顔を寄せる。


「学校の?」


「昔の村のだ。今は砦の町に、村の者が少し集まってる。教室ができたって聞いたから」


 老人は鐘を撫でた。


「これを鳴らして、子どもを集めてた」


 カイルは、西の図面で見た教室の印を思い出した。


「鳴るのか」


「鳴るよ」


 老人は小さく揺らした。


 乾いた音がした。


 綺麗とは言えなかった。


 それでも、よく通った。


 ベルトは荷台を見た。


「上には積めない。落ちる。下へ入れるなら、ほかを動かす」


 カイルが口を開いた。


「俺が」


 払う、と言いかけた。


 財布の残りを思い出す。


 昨日までなら、深く考えなかっただろう。


 彼は少し考えてから、言い直した。


「荷を動かすの、俺たちでやる。手間の分、安くならない?」


 ベルトはカイルを見た。


 ミレイも。


 老人は何も言わなかった。


 ベルトが鼻を鳴らした。


「俺たち、に入ってる人へ、先に聞け」


 カイルはミレイを見た。


「頼める?」


「構いません」


 ピノも手を上げた。


「札をつけます。鐘だけ届いても、誰宛てか分からないと困るので」


 ベルトは、老人の硬貨をもう一度数えた。


「じゃあ、これでいい。包み直してくれ」


     *


 鐘を積む場所を作るのに、半刻かかった。


 布でくるみ、木片を挟み、揺れないよう縄を回す。


 カイルは今朝教わった結び方を使った。


 ベルトが見て、直さなかった。


 それだけで少し嬉しかった。


 老人は自分も運びに加わろうとしたが、ミレイに座るよう言われた。


 代わりに、宛先を説明する。


 西の砦町。


 南側の井戸から二本目の路地。


 白い戸。


 教師の名前は、アダ。


 ピノが一つずつ書いた。


「おじいさんの名前は?」


「ロアン」


「手紙、つけます?」


 老人は手を止めた。


「字がな」


「言ってくれたら書きます」


 ピノは紙を一枚出した。


 ロアンは何を言うか考えた。


 長く考えた。


 その間、誰も急かさなかった。


「……まだ鳴る、と」


 ピノが書く。


「ほかには?」


「音は、少し悪くなった」


 少年は顔を上げた。


「それ、書いていいんですか」


「いい。聞けば分かる」


 カイルが笑った。


 老人も笑った。


「子どもが嫌がったら、無理に使わなくていい。それも」


 ピノは最後まで書き、読み上げた。


 ロアンは何度もうなずいた。


     *


 夕食は、豆と肉を煮たものだった。


 カイルは皿を見て、少しだけ顔をしかめた。


 ピノが気づく。


「嫌いなんですか」


「別に」


「顔が」


「お前、よく見てるな」


 ミレイが匙を取った。


「食べられない理由があるなら、別のものを」


「そういうんじゃない」


 カイルは豆を口へ入れた。


 昔、嫌いな料理を食べ続けると約束したことがあった。


 リシェルに負けたからだった。


 何で勝負したのかは忘れた。


 約束を守るたび、身体が軽くなった。


 ある日、持てなかった水桶が持てた。


 剣が現れたのは、そのあとだった。


 その話をすると、リシェルは必ず得意げな顔をした。


 自分が育てた能力だと言い張る。


 カイルは豆をもう一口食べた。


「普通にうまいな」


 ピノが笑った。


「さっきの顔、何だったんですか」


「昔の顔」


「何それ」


 ミレイは二人のやり取りを聞きながら、静かに食べていた。


 カイルが彼女の皿を見る。


 もう半分以上減っていた。


「早いな」


「よく噛んでいます」


「量の話」


「午後、荷を運びましたので」


 彼は自分の皿を見た。


 確かに、腹が減っていた。


     *


 食後、カイルは宿の隅で手紙を書いた。


 母へ。


 道は歩けている。

 濡れたものは分けている。

 紐は使っている。


 そこまで書いて、止まる。


 これでは点検の返事だった。


 少し考え、橋で待たされた話を書いた。


 村と護衛が言い争い、ピノが薬を抱え、ミレイが槍で止めたこと。


 自分が剣を出しかけて、止められたことも。


 次に、城へ送る報告を書いた。


 迂回で二日以上遅れる見込み。

 同行者、荷ともに無事。


 最後にトーマ宛ての紙を出す。


 東はどうだ。


 そう書いて、また止まった。


 話したいことは、思っていたより多かった。


 橋代。

 鐘。

 豆。

 槍の使い方。

 荷縄。


 どれから書けばいいのか分からない。


 いつもなら、顔を合わせて適当に話し始めればよかった。


 リシェルが途中で口を挟み、別の話になり、最初に何を話していたか忘れた。


 カイルはペンを動かした。


 こっちは、剣より縄を使ってる。

 お前なら、妙に張り切りそうな仕事が多い。


 少し笑う。


 姫には何と伝える、と書きかけて、消した。


 眠っている。


 分かっている。


 それでも、毎日思い直す必要があった。


     *


 翌朝、ピノが手紙をまとめていた。


「中央へ戻る便に渡します。こっちは東向きの宿駅を経由」


 カイルは封をした紙を預けた。


「届くの、いつ?」


「道によります」


「便利な答えだな」


「本当なので」


 ピノは宛先を確認する。


「字、読めます」


「わざわざ言うなよ」


 少年が笑った。


 ミレイが荷車の準備を終え、二人を呼んだ。


 鐘の包みは、荷台の下へしっかり収まっていた。


 ロアンが見送りに来ている。


「頼む」


 老人が言った。


 カイルは、軽くうなずいた。


「渡してくる」


 荷車が動く。


 包みの中で、鐘が小さく鳴った。


 誰かが笑った。


 ベルトが振り返る。


「鳴らないようにしたはずだぞ」


 カイルは縄を見た。


 緩んではいない。


「道が悪い」


「じゃあ、町までずっと鳴るな」


 御者が言い、皆が笑った。


 西へ向かう道は、また遠回りになった。


 昨日より荷が一つ増えていた。


 カイルは荷台の横を歩きながら、まだ会ったことのない教師と、鐘の音で集まる子どもたちのことを考えた。

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