修理
第十一話 修理代は誰が払う
朝、リッカはトーマの袖を見て言った。
「縫い目、大きい」
トーマは肩を引いた。
「塞がってるだろ」
「今はね。次に引っ張ったら、その間から裂ける」
彼女は自分の針を出し、少し考えてから戻した。
「自分でやって。見てるから」
トーマはため息をついた。
宿の食堂は、まだ空いていた。
昨日助けたダンの家族は、別の卓で朝食を取っている。少年は膝に布を巻き、椅子の上で足を動かしていた。
トーマは針へ糸を通した。
一度目で通った。
少し嬉しくなったが、リッカは縫い目しか見ていない。
「そこ、布の端すぎる」
「細かいな」
「細かく縫うんだから」
返す言葉がなくなった。
*
荷車の修理は、朝から始まった。
宿駅にいる車大工は、片目を細めながら車軸を叩いた。
乾いた音がした。
「これは替えだ」
ダンが肩を落とす。
「継げませんか」
「昨日の補強でここまで来たんだろ。十分働いたよ」
大工はリッカへうなずいた。
彼女も短く返す。
必要な木材を選び、寸法を測る。
ダンは費用を聞いた。
答えを聞くと、口を閉じた。
懐から小袋を出し、硬貨を数える。足りなかった。
トーマは自分の鞄へ手を伸ばしかけた。
リッカが見ていた。
「何?」
「少しなら出せるかなって」
「そのお金、何のためにもらったの」
彼は手を止めた。
東までの旅費。
現地へ着くための金だった。
リッカは責める調子ではなかった。
「全部、自分で払ってたら着かないよ」
「でも、助けたあとで置いていくのも」
「置いていくか、全部払うかだけじゃない」
オルフェが戻ってきた。
宿の主人と話していたらしい。
「麦、ここで少し買ってもらえるって。いつもの値段よりは安いけど、運ぶ距離を考えると悪くない」
ダンが顔を上げた。
「受け取り先には?」
「主人が紹介状を書いてくれる。全部じゃなく、一部を卸したことを説明して」
車大工も言った。
「宿の荷車を一日使う仕事がある。水桶を運んでくれれば、工賃を少し引ける」
ダンは何度もうなずいた。
トーマは鞄から手を離した。
リッカが小声で言った。
「力仕事、できるでしょ」
「うん」
「じゃあ、それを手伝えば」
*
井戸から宿の裏まで、水桶を運んだ。
トーマは二つ持とうとして止められた。
ダンが首を振る。
「道が狭い。ぶつけたら水が減るだけだ」
一つずつ運ぶ。
何度も往復した。
守護の力は使わなかった。
肩の赤い跡が少し痛んだ。
宿の裏では、オルフェが荷物の積み替えを手伝っていた。
穀物の袋を量り、濡れたものを分ける。
リッカは車大工の隣で、古い車軸を削っていた。
修理に使えない部分から、まだ使える木を取っているらしい。
「それ、捨てるんじゃないのか」
トーマが聞く。
「楔になる」
短い返事だった。
削った小片を見せられる。
車輪を止めたり、金具の隙間を埋めたりするものだ。
「昨日、車止めが壊れたから。使えるものは補充しておく」
トーマは昨日の帳面を思い出した。
戦いが終われば、道具も身体も元どおりになるわけではない。
次に同じことが起きたとき、昨日と同じことができるとは限らない。
彼は水桶を置き、次を取りに行った。
*
昼、ダンの妻がスープを持ってきた。
「宿の台所を借りたの。皆さんも食べて」
トーマは受け取った。
麦の入った、薄いスープだった。
食べ始めると、思ったより腹へたまった。
少年が隣へ座る。
「剣も出せるの?」
「出せるよ」
「見たい」
トーマは少し迷った。
リッカが木屑を払って座る。
「食事の場所で刃物を出さない」
「出してないよ」
「出す顔だった」
少年が笑った。
トーマも笑う。
「あとで、何もないところなら」
少年はうなずいた。
ダンが頭を下げた。
「昨日から、本当に。何とお礼を言えば」
オルフェがスープを飲みながら言った。
「次に誰かが車輪を落としてたら、持つ場所を教えてあげて」
ダンは笑った。
「それならできる」
トーマは、その言い方を覚えておきたいと思った。
*
午後、宿駅へ別の荷車が入ってきた。
車体の側面に、歯車の印があった。
リッカが顔を上げる。
「東の荷だ」
御者は疲れた顔をしていた。
荷役が木箱を下ろす。その一つを置いたとき、中で金属がぶつかる音がした。
リッカは眉を寄せた。
箱の端へ近づく。
「これ、固定が外れてない?」
荷役が手を止めた。
「さあ。触るなって言われてる」
「どこの部品?」
「水路の揚水機。詳しいことは知らないよ」
リッカは箱の番号を見た。
それから、自分の鞄から小さな冊子を出す。
何頁かめくった。
「この番号、旧型だ」
トーマが隣へ来た。
「古いと駄目なのか」
「使えるところもある。でも、この宛先は改修したはず」
御者が近づく。
「問題か?」
「分からない。箱を開ける許可は?」
「宿の管理人が確認するときだけだ」
リッカはすぐ宿の主人を呼びに行った。
オルフェが箱のそばへしゃがんだ。
木に触れ、目を閉じる。
トーマが声を落とした。
「何か聞こえる?」
「動いた荷物は、難しい。いろんな場所の音が重なるから」
それでも彼は、しばらく耳を澄ませた。
「金属を落とした音。男の声。何を言ったかは分からない」
「襲われた?」
「そこまでは言えない」
オルフェは手を離した。
「音があることと、事情が分かることは別だよ」
*
箱を開けると、中には大きな歯車が二つ入っていた。
片方の固定具が外れ、縁に傷がついている。
リッカは歯の数を数えた。
次に軸穴を測る。
眉間の皺が深くなった。
「同じ型じゃない」
宿の主人が書類を見た。
「同じ部品二個、とある」
「箱の中は別々。こっちは旧型で、こっちは改修後に使うもの」
御者が慌てて手を振る。
「俺は積まれたものを運んだだけだぞ」
「分かってる。あなたが替えたとは言ってない」
リッカは傷を指した。
「これも、運ぶ途中でついた分だけじゃない。ここ、古い油が入ってる」
トーマには、ただ黒く汚れているように見えた。
けれど車大工が覗き、うなずいた。
「欠けたあとに使った跡だな」
宿の主人が書き始める。
箱の番号。
受け取りの日。
中身の状態。
リッカは、東の技師組合へ照会するよう頼んだ。
トーマが聞いた。
「今すぐ追いかけなくていいのか。積んだところを」
彼女は顔を上げた。
「どの道を? 誰を?」
「それは」
「間違いかもしれない。古い帳面を使ったのかもしれないし、本当に誰かが替えたのかもしれない」
リッカは紙の上へ部品の形を描いた。
「先に、何が違うか残す」
トーマは自分の剣の柄を思い浮かべた。
ここで役立つのは、柄を握る手より、紙を押さえる手だった。
彼は机の端へ移り、風で動く書類を押さえた。
*
夕方には、ダンの荷車が直った。
翌朝、彼らは別の道へ向かう。
少年がトーマを呼びに来た。
「剣」
約束を忘れていなかった。
トーマは宿の裏へ連れていき、人のいない場所を選んだ。
リッカもついてくる。
オルフェは少し離れて、馬の世話をしていた。
トーマが剣を出す。
白い光が形を取り、手の中に刃が生まれた。
少年は息を飲んだ。
「触っていい?」
「刃は駄目。柄なら、俺が持ってるところに」
少年の手が重なる。
目が輝いた。
けれどトーマが手を離そうとすると、剣の輪郭が薄くなった。
彼は握り直した。
光が戻る。
リッカがその変化を見た。
「離すと消えるの?」
「長くは残らない。俺が持ってないと」
「そっか」
彼女はそれ以上聞かなかった。
トーマは剣を消した。
少年の手に、何も残らなかった。
「いつか、俺も」
少年はそこで言葉を止めた。
そして、宿の壁に立てかけられた掃除道具を見た。
「車大工になろうかな」
リッカが笑った。
「まず、数字を覚えるといいよ。測れないと作れないから」
少年は真剣にうなずいた。
*
夜、トーマは二通の手紙を書いた。
一通は、正式な報告だった。
黒瘤との遭遇。
荷車の修理による遅れ。
東へ運ばれる部品の不一致。
リッカに確認してもらい、曖昧なところを直した。
もう一通は、カイル宛てだった。
書き始めてから、何を書けばいいか迷った。
無事だ、と書く。
その下へ、服は破れた、と足した。
これでは心配させるだろうか。
でも書かなければ、あとで袖を見られたときに何か言われる。
結局、肩は少し痛いが歩ける、と書いた。
リッカが道具を片づけながら聞いた。
「誰に?」
「西へ行った友達」
「剣をいっぱい出す人?」
「うん」
「仲いいんだね」
トーマは少し考えた。
「よく喧嘩する」
「それ、答えになってない」
「でも、そうなんだよ」
彼は手紙へ戻った。
剣でできないことが、思ったより多い。
そう書きかけて、止まる。
説教みたいだった。
代わりに書いた。
服は細かく縫えと言われた。
お前の糸は、まだ絡まっていないか。
少し笑って、紙を畳んだ。
宿の灯りが一つずつ消えていく。
出発は明朝。
トーマは靴紐をほどき、女に教わったとおり、根元から締め直した。




