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第十話 橋の上の勘定
カイルは、朝から一度も剣を出していなかった。
代わりに、荷縄を三度結び直した。
一度目は緩すぎた。
二度目は、解けなくなった。
三度目にミレイが手を貸した。
「ここを通してください」
「結べてるだろ」
「ほどく人のことも考えます」
カイルは黙って、言われた輪へ縄を通した。
商隊の隊長、ベルトが通りかかる。
「それでいい。昨日の結び方だと、荷を下ろすたびに切ることになる」
「丈夫ならいいってものじゃないのか」
「縄も金だ」
ベルトは先頭へ戻った。
カイルは手の汚れを払った。
隣でミレイが自分の荷を確認している。
動作が早い。
槍を置く位置も、上着を畳む順番も、決まっているらしかった。
「旅、慣れてるんだな」
「仕事ですので」
「俺は初めてだよ」
「承知しています」
「それ、何回言うんだ」
ミレイが少し考えた。
「必要な回数です」
カイルは笑った。
彼女は冗談だったのか、本気だったのか分からない顔をした。
*
昼前、商隊が止まった。
前方に橋があった。
川幅は広くないが、流れは速かった。雨のあとで水が濁り、岸の草が倒れている。
橋の入口に、横木が渡されていた。
男たちが六人。
槍と弓。
揃いの軍服ではない。
中央に立つ男が、商隊へ声を掛けた。
「通行料だ」
ベルトが御者台から下りた。
「昨日、宿駅で払った」
「これは橋の修繕分」
「聞いてないぞ」
「昨日決まった」
カイルは荷車の横から見た。
橋の欄干の一部は新しかった。
板にも、新しいものが混じっている。
嘘だけではないらしい。
男は金額を告げた。
ベルトの顔が険しくなった。
「車一台で、その額か?」
「嫌なら回れ」
カイルの指が動いた。
ミレイが、彼の腕へ軽く触れた。
「まだです」
「何もしてない」
「出すつもりでした」
カイルは手を下ろした。
男の後ろに、若い弓手がいた。
矢はつがえていない。
けれど、弦を持つ指が硬かった。
*
交渉の間、ミレイは橋の下を見に行った。
カイルもついていく。
水際の足場には、削った木片が落ちていた。支えの一本が新しく、縄も替えてある。
「直してるのは本当だな」
「ええ」
「じゃあ、払う?」
「額と、徴収する権限を確認します」
「細かいな」
「あとから、同じ分をもう一度請求されることがあります」
カイルはベルトのほうを見た。
商隊長はまだ男と話していた。
荷車の後ろでは、乗っていた子どもが顔を出し、親に戻されている。
橋を渡るだけなのに、全員が待っていた。
カイルは川上へ目を向けた。
細い倒木が引っかかっている。
飛び移れば、自分だけなら越えられるかもしれない。
荷車は無理だった。
馬も。
麦も、樽も、子どもも。
「何を考えていますか」
「俺だけ渡っても意味ないなって」
「その通りです」
カイルは苦笑した。
「もっと褒めていいぞ。自分で気づいた」
ミレイは今度こそ、少し笑った。
*
商隊へ戻ると、細い少年が荷札を抱えて立っていた。
見覚えがあった。
王都で荷車を押さえてやった、あの少年だった。
「あ、字の悪そうな人」
「初対面の挨拶、それでいいのか」
「初対面じゃないです。荷札、拾ってくれたでしょう」
「覚えてるよ。名前は?」
「ピノ。配達見習いです」
少年は荷札をまとめ直した。
「俺、先に橋を渡って受け取りを確認するはずだったんですけど」
「止められた?」
「歩きでも払えって」
ピノは納得していない顔だった。
ミレイが尋ねる。
「何を届けるのですか」
「薬と紙と、金具。あと、こっちは橋の修繕用の釘」
三人とも、荷札を見た。
ピノが顔を上げる。
「だから変なんですよ。釘を受け取る人が、釘を運ぶ俺から橋代を取ろうとするんです」
カイルは笑いそうになり、やめた。
「その釘の代金は?」
「川向こうの村が払うって。ここに印があります」
ミレイが書類を受け取った。
「隊長に見せましょう」
*
橋を塞ぐ男は、ドランと名乗った。
村に雇われた護衛のまとめ役だという。
ミレイが修繕荷の書類を見せると、彼は口を曲げた。
「釘が来るのは知ってる」
「修繕費を集める権限は、村から?」
「見りゃ分かるだろ。橋を直したのは俺たちだ」
「誰が承認したかを聞いています」
ドランが一歩近づく。
カイルも動きかけた。
ミレイは退かなかった。
「村の印がある書面を見せてください。確認できれば、隊長も話し合えます」
「字を読める奴は、すぐ紙を欲しがる」
ドランは唾を吐いた。
後ろの弓手が、矢へ手を伸ばした。
カイルの周囲に、二本の剣が現れた。
場の空気が変わった。
馬が鼻を鳴らす。
ミレイの目が、カイルへ向いた。
「下げて」
「向こうが先だ」
「まだ矢を向けていません」
カイルは剣を消さなかった。
ドランが腰の剣へ手を掛ける。
ベルトが怒鳴った。
「荷の横で抜くな!」
声の大きさに、何人かが肩を跳ねさせた。
カイルは後ろを見た。
子どもがいた。
さっき、親に荷台へ戻されていた子だった。
布の隙間から、光る剣を見ている。
カイルは息を吐いた。
二本の剣を消す。
弓手の手も、少し遅れて矢から離れた。
*
そのあと、ミレイは武器を預けて橋を渡った。
村の責任者を呼びに行くためだった。
カイルは一緒に行くと言ったが、断られた。
「あなたは商隊に残ってください」
「信用されてない?」
「ここに必要です」
その答えには、言い返せなかった。
ピノが書類を抱えてついていった。
待つ間、カイルは橋の男たちを見た。
鎧は揃っていない。
けれど手入れはされている。
一人は指に包帯を巻いていた。別の一人は、欄干の釘を打ち直している。
盗賊、と呼べば簡単だった。
そう呼べば剣を出せる。
カイルは自分の掌を開いた。
もっと強い制約を課せば、この人数を押し退けることはできるかもしれない。
そのあと、誰が橋を直すのか。
また通る商隊は、誰に止められるのか。
考えると、剣の数では済まなかった。
ドランが近くへ来た。
「お前、王都からか」
「そう」
「いい服だ」
「借り物じゃないぞ」
「そういう意味じゃねえよ」
男は橋を見た。
「村からの払いが、二月遅れてる」
カイルは黙った。
「獣を追い払って、夜も交代で立って、橋まで直してる。飯も減らされてる」
「だから、通る奴から取る?」
「ほかに誰が払う」
カイルはすぐには答えなかった。
「その釘を運んでる奴まで止めたら、仕事も終わらないだろ」
ドランの口元が動いた。
笑ったのか、怒ったのか分からなかった。
「よくしゃべるな」
「剣を出すなって言われたから」
今度は、男がはっきり笑った。
*
村の責任者は、ミレイと一緒に戻ってきた。
年老いた女だった。
杖をつき、息を切らしていたが、ドランを見るなり怒鳴った。
「勝手な額を決めるんじゃない!」
「払ってから言え!」
二人の言い争いは長かった。
商隊は、結局待った。
カイルも待った。
ピノは荷札を地面へ置かないよう、両腕で抱えている。
ベルトが間へ入り、修繕用の荷を先に引き渡すことになった。
橋の使用料は、村の帳面に記された通常額。
遅れた賃金については、村と護衛の間で支払いの期日を書き直す。
カイルには、それで解決するとは思えなかった。
けれど、今この場で剣を交えるよりは、進めることがあった。
荷が動き始めたところで、若い弓手が一つの包みを引き抜いた。
薬の包みだった。
ピノが声を上げる。
「それは駄目!」
弓手が少年を押した。
ピノの肩が横木へ当たる。
ミレイが一歩で間へ入った。
槍は布を掛けたままだった。
柄を男の手首へ当て、薬を落とさせる。続けて足を入れ替え、男の身体を橋の欄干から離した。
カイルは剣を出しかけた。
出さなかった。
落ちた薬を拾い、ピノを後ろへ引いた。
「離せ!」
弓手が暴れる。
ミレイは柄の角度を変えた。
「腕が折れます。動かないで」
ドランが駆け寄り、男の襟をつかんだ。
「何してる!」
「払われねえから!」
「薬を盗る話はしてねえ!」
ミレイはドランへ男を渡し、槍を引いた。
カイルが、包みをピノへ返す。
少年は封の破れを確かめ、胸へ抱えた。
*
橋を渡り終えたときには、日が傾いていた。
対岸の木陰で休憩する。
カイルはミレイの槍を見た。
「スキル、使った?」
「持っていません」
彼は顔を上げた。
「今の、全部技?」
「ええ」
「速かったな」
ミレイは少し驚いた顔をした。
「相手が、私を見ていなかったので」
「それでも」
彼女は槍の布を結び直した。
「ありがとうございます」
ピノが横から口を挟む。
「俺も速かったですよ。荷札、全部持ってきました」
「押されたときに手を離さなかったな」
「なくすと、誰の荷物か分からなくなるんです」
カイルは少年の肩を見た。
赤くなっていた。
「痛い?」
「ちょっと」
「見せろ。布、あるから」
少年は素直に座った。
カイルは手当てをしながら、ミレイへ尋ねた。
「さっき、俺が剣を増やしてたら?」
「誰かが先に動いたと思います」
「勝てたかもしれない」
「商隊の誰も傷つけずに?」
カイルは答えなかった。
ミレイは、それ以上言わなかった。
*
その夜、カイルは帳面へ書いた。
橋で二本。
戦闘なし。
交渉で半日遅れ。
そこで止まる。
戦闘なし、と書くと、何もなかったように見えた。
消して、書き直した。
ミレイが一人を止めた。
ピノ、肩を負傷。
荷は無事。
向かいで、ミレイが槍の柄を拭いていた。
「名前、どう書く?」
カイルが尋ねた。
彼女は帳面の端へ、丁寧な字で書いた。
ミレイ。
カイルはそれを見ながら写した。
「また、ああいう場所がある?」
「あると思います」
「毎回、待つのか」
「毎回、考えます」
彼はペンを置いた。
王都で見た地図には、橋を示す短い線しかなかった。
実際の橋には、金を払えない村と、払ってもらえない男と、薬を待つ人がいた。
カイルは足を伸ばした。
今日は剣より、座って待つほうが疲れた。
そのことも、帳面へ書いた。




