公爵令嬢
「喜べ、アリア。リンハルト家の子息との縁談が決まったぞ」
その父の言葉は、死の宣告に等しかった。
私は昔から、咲いた花たちを眺めながらお茶をするのが大好きだった。
その瞬間だけは、心も体も自由になれるからだ。
……それが、もう叶わなくなる。
「お、お待ちください、お父さ――」
「リンハルト家は知っておろう? ベルヘブンズ領を治める公爵家だ。あの家の子息なら、お前の嫁ぎ先としては申し分ないだろう」
そう言って、父は「話は以上だ」と締めくくり、退室するように手を振った。
……当然ながら、お断りをする余地は、まったくなかった。
後日。
設けられた顔合わせのための夕食会で、拒絶したい気持ちはいっそう強くなった。
生まれつき病気がちで、屋敷に引きこもりがちなせいか、根暗な性格だと聞いていた。
その話のとおり、彼は一度も私と目を合わそうとせず、終始おどおどとした態度だった。
絶対に、嫌だ。
私には、もっとふさわしい御仁がいるはずですわ!
救世主レリエルス様のような――とまではいかなくとも!
「浮かない顔だな、アリア」
「……いえ。そんなことはありませんわ」
夕食会のあと、父にじろりとにらまれて、身を縮こまらせる。
「これは、家と家同士の話だ。お前に拒否権はない」
「もちろん……承知して、おります」
「ならいい」
立ち去っていく父の後ろ姿。
それが、すこし行った先で止まり、再度こちらをむいた。
「魔導祭が間近に迫っている。もちろん、知っておるな?」
「はい。お父様が女王陛下からご指名を受けられて、主催を務められるのですよね?」
「そうだ。せっかくだから、こうしよう。
戦闘術部門において、お前が推薦する者が優勝すれば……今回の婚約、考えなおしてやらんこともない」
「……え?」
意外な言葉に、私はぱっと顔を上げた。
しかし、その先にあった、父の嫌らしい笑みを見て、思いだした。
そんな約束は、あってないようなものだ。
優勝者は、すでに決まっているようなものだからだ。
かつて父が騎士に任命した、賢者の称号をもつあのお方――ジェイド・ビヴァリー氏。
彼以上の実力者といえば、同じ賢者として名を連ねる方々しかいない。
そして、私はその方々とは、一切面識はない。
「もう、死んでしまいたい……」
自室に戻り、ベッドに倒れこんで呟く。
「お嬢様! そんなことをおっしゃらないでください!」
一緒にいた侍女のクレアが過敏に反応し、詰めよってきた。
緩慢な動きで、彼女と目を合わせる。
「私は、どこまでもお供いたします。リンハルト家だろうと、どこだろうと。死ぬとおっしゃるなら、その先までも!」
必死な形相で語ってくるクレアを、ぼんやりと見つめる。
……それは、いけない。
クレアは、体の弱い両親を養うために働いている。
彼女を道連れにすれば、まちがいなくその両親も。
そうなれば、私は天に召されることは決してないだろう。
起きあがり、クレアを見つめる。
「……撤回しますわ」
「お嬢様……!」
クレアのエプロンの裾をつかみ、やり場のない悲しみに耐えた。
その気持ちは、日に日に落ちつく……どころか、だんだん強くなっていくように感じた。
そんな中――あのお方と出会った。
なんとかして使用人たちの目を盗み、一人で散歩に出かけたときだった。
中央広場にある噴水を眺めていると、みすぼらしい格好の三人組の男性が、にやにやしながら近づいてきた。
その直後だった。
「名乗るほどの者ではないので」
その怪しげな三人組を蹴散らしたお方は、颯爽と立ちさっていった。
――なんて、素敵なお方。
頭の横にある奇妙な突起をパタパタと動かしながら去っていく、その愛らしくも勇敢な後ろ姿。
あの方こそが、私の救世主に違いない!
私は一旦別邸に戻り、クレアを呼びつけた。
急いで着替え、彼女を連れて再び中央広場へ。
ここを拠点として探しまわれば、きっとまた会えるはず!
今日また会えなければ、二度とチャンスはない。
どうか。どうか、もう一度だけでも!
――どれくらいの時間がたったかは、わからない。
日が傾いてきて、正直諦めかけていた。
そんなときだ。
目に映ったのは、あの後ろ姿。
上機嫌で、奇妙な突起を動かしている、あのお方。
まちがいない!
必死に駆けより、声をかけた。
……やはりというべきか、そのお方は、本当に心が広かった。
自分のことしか頭になかった私に注意し、気づかせてくれた。
今まで覚えのないほど高揚する感情に後押しされ、あの件――魔導祭の話をしてみた。
「い!? いやいやいや! なに言ってんすか!」
うろたえるそのお方に、懇願する。
あなたしか、いないのです。
我が救世主、ポルテ様。
どうか私を、お救いください。
そう期待をこめて、見つめつづけた。
◇◇◇
魔導祭当日。
私は、心底感激した。
ジェイド氏を倒す、勇敢な背中。
「ポルテ様……!」
感極まって、手で口をおさえ、観客席から立ちあがった。
――やってくださった。
私との約束を守り、そして、成し遂げてくれた。
やはり、あの方は私の救世主だった!
興奮冷めやらぬ状態で屋敷に帰り、その日はなかなか寝つけなかった。
……しかし。
その気持ちは、長続きしなかった。
祭りの事後処理で忙しくされていたお父様にようやく会えたので、話をすると――
「悪いが縁談はすでにまとまっている。今さら撤回などできるはずがなかろう」
「そんな……」
あの約束を、本気に受けとったお前が悪い。
まるでそう言いたげに吐きすてたお父様の言葉に、私は愕然とした。
「お嬢様……」
クレアに呼ばれた気がしたが、なにも考えられず、一人部屋に戻り、ベッドに倒れこんで泣いた。
夜が明けても、涙は止まらなかった。
――これが、運命。
さようなら。私の自由。私の、夢。
すべてを受けいれるしか、なかった。
そして、やっと、すこしだけでも外に出る気がわいてきた日。
「ポルテ様にも……合わせる顔がありませんわ。せっかく私のために戦ってくださったのに」
「お嬢様……」
私は、いつもの庭に設けられた席で、お茶をしていた。
これが、最後になるかもしれない。
そう考えながら、美しく咲く花たちを遠目で眺めていた。
「アリア」
……お母様の声がした。
遠い昔に亡くなってしまった、お母様。
ああ。私ったら、幻聴すら聞こえるようになってしまったのね。
「どうしたの、アリア。浮かない顔ね?」
そばに立ち、私をのぞきこんでくるそのお顔は――母では、なかった。
「お姉、様?」
「ええ、そうよ。私の愛しい妹。会えて嬉しいわ。なかなか帰ってこられなくてごめんなさいね」
手に触れてくる、ぬくもり。
優しい、女神様のようなほほえみ。
そのお顔を見ていると、目から温かいものがこぼれ落ちてきた。
「お姉様……ベアトリスお姉様ぁ……っ!」
「どうしたの、アリア……泣かないで」
飛びついた私を、優しく抱きとめてくれた。
数か月ぶりのお姉様は、以前とほとんどお変わりなく。
我慢できなくなり、私はつい、一目をはばからずにお姉様の胸の中でひとしきり泣いた。
「失礼いたしました。お姉様……どうかお許しください」
「いいのよ。なにか大変なことがあったのでしょう? 姉に話してごらんなさい。
私にできることがあるなら、喜んで力になるわ」
私の目元に残った涙の跡を、指で優しく触れるお姉様。
そのお顔が、婚約の話を聞いた途端――たちまち歪んでいった。
「……許さない……」
「お、お姉様?」
そこにいらっしゃるのは、女神ではなく、鬼神のような形相をしたお方だった。
うろたえる私を気にせず、お姉様はこちらを振りむいて、また笑顔を浮かべた。
「安心なさい。お父様には、私から話をつけておきます」
「え……? そんな。いくらお姉様でも、お父様には――」
「そもそも。一度した約束を反故にするなど、公爵家の当主としてあるまじき行為。たとえ家族同士の口約束だとしても、同じことです。
家名を傷つける行為と言っても過言ではありません」
お姉様は一旦言葉をそこで切り、クレアがいれたお茶を一口飲んだ。
「そうでなくとも、アリアを傷つけるような行為を……許せるわけがありません。
大丈夫。あなたの心は、私が守ってみせます」
「お姉様……」
なんて、心強い。
私は、うっとりとしながらきりっとした凛々しい顔つきのお姉様を見つめた。
お姉様。クレア。そして、救世主ポルテ様。
私には、こんなにも味方になってくれる方々がついている。
なんて幸せな話だろう。
先程までの悲しみが消え、穏やかな気持ちになるのを感じていた。
◇◇◇
お姉様の働きかけで、婚約破棄が決定。
私は、すがすがしい解放感で満たされていた。
ああ……私の救世主様。次はいつお会いできるのでしょうか。
早くご報告がしたい。
そう思っていた矢先、お父様が、ポルテ様と勇者様を屋敷に呼び出したと聞き、頃合いを見計らって声をかけた。
お茶に誘いだして話をすると、ポルテ様は自分のことのように喜んでくださった。
「俺にとっても成長できたいい場所だったので。ついでにって言ったらアレですけど、お約束を守れてよかったです」
……なんて、謙虚なお方。
なにかお礼を、という申し出さえも、固辞しようとしたほどだった。
なんとか渡せた封印蝋を用いて、ポルテ様から連絡が届くのを心待ちにしていた。
そして――とうとう、そのときが。
「魔石精錬所……」
ある日、使用人から手渡されたポルテ様からの手紙には、魔石精錬所を見学したい旨が書かれてあった。
願ってもないお申し出ですわ!
魔石精錬所は、私も一度見てみたいと思っていた。
勉学のため、とすれば、お父様から許可をもらうのも難しくはないはず。
……と、思っていたのだけれど。
「あら、素敵ね。いい勉強になると思うわ。私のほうからお父様に話しておきましょう」
またしても、お姉様が便宜を図ってくださった。
おかげで、魔石製造の過程を間近で見られて、本当に楽しく、勉強になった。
だけど一番は……やはり、あれ。
ポルテ様が獣になった姿を見られたこと。
あんなに、愛らしい姿になれるなんて。
ほんのり赤い。全体的に丸々としたフォルム。短い足のようなものが……八本も。
頭の横の突起も、変わらずあった。
本気で、どうやったら屋敷まで連れかえられるのかと考えたほどだ。
……次にお見かけできるのは、いつになるのでしょうか。
あれ以来、そればかりを考えていた。
◇◇◇
魔石精錬所の見学から、まもない頃。
女王陛下の開戦宣言を受け、私はお父様の指示でメリーベール領に避難した。
のちに、穀倉地帯のそこを狙って、一時ルーンベルクの一団が迫っていた。けれど、見事退けた者がいた。
――と、聞いたときは、心が躍ったものだ。
助けられてばかりはいられない。
私も、できることをしなければ。
「クレア」
「……あ、はい! お嬢様。ご用でしょうか」
戦争が終結して以降、心ここにあらずといった様子のクレアを、呼びつけた。
慌てて駆けよってきた彼女を見つめ、ふっと笑みをもらす。
「帰ったらどう?」
「……え?」
「実家、大変なのでしょう?」
クレアが、息をのむ。
彼女の実家があるエルドミア領は、敵の進軍を受けて、壊滅状態――とまではいかないまでも、甚大な被害を受けたと聞いた。
対処にあたったのが、あのポルテ様とおぼしき人物だったそうだけれど。
その話は、ひとまずあとでゆっくりするとして。
「……ご心配をおかけしてしまい、大変申し訳ございません。しかし、私は大丈夫で――」
「あなたが身を粉にして働いているのは、だれのだめなんですの?」
じっと目を見つめ、彼女の言葉を遮る。
言葉を失い、うろたえているクレア。
まだ迷っている様子だ。
私は立ちあがり、クレアの前に立ってその手をとった。
「勘違いしないで。暇を出すわけではありません。と、いうか……そうなっては、私が困りますわ」
クレアが、目を潤ませる。
握ったその手を胸の前まで上げて、彼女の目を見つめた。
「あなた以上に、信頼できる侍女はいませんの。だから……必ず帰ってきて」
「……っお嬢、様……!」
「そうはいっても、すぐ帰ってきたりしたら承知しませんよ。安心して、戻ってもいいと思えるようになるまでは、ご両親のそばにいなさい。
そうですわね……すくなくとも、一週間は」
「……っはい……! ありがとうございます。お嬢様……っ」
ぼろぼろと涙を流すクレア。
以前、お姉様が私にしてくれたときと同じように、私は彼女の目元を指でぬぐってあげた。
すぐにクレアに支度をさせ、故郷のエルドミアへと送りだした。
代わりに、私の身の回りの世話をすることになったのは……マルセルだった。
かつて、私が子どもの頃に、淡い恋心を抱いた相手。
侍女頭のデボラの仕業に、ちがいなかった。
「なんなりとお申しつけください。お嬢様」
「……ええ。よろしく」
あのとき、引きさかれた感情を思いだし、複雑だったけれど。
わずかな時間でも、その姿をそばで見られることは、幸運にちがいない。
……まぁ、それはともかく。
クレアの件をお父様に報告にいったとき、妙に上機嫌な様子が引っかかって、尋ねてみた。
「例の獣人――お前が懇意にしている者だ。どうやらあれが大活躍だったそうだ」
「ええ。お話はかねがねうかがっております」
「女王陛下に、我が娘があの者に目をつけて、魔導祭への参加を推薦していた件を話したのだ。大層ご満悦の様子だったぞ。
さすがは我が娘だ。褒めてやろう」
……言葉を失った。
お父様は、婚約破棄のあのごたごたをお忘れなのでしょうか。
「そうだ。今度、あの者を呼んで話をしたらいい。せっかくだ。ここではなく、本邸への立ち入りを許可する」
「まぁ……本当によろしいのですか?」
「かまわん。好きにいたせ」
「ありがとうございます。お父様」
たまには、いいことをおっしゃるのですね。
丁寧にお礼を言い、部屋を出た。
そして、すぐにマルセルを呼び、ポルテ様への伝言を託した。
――本邸に、あの方を呼べる。
ああ。どのドレスを着ていこうかしら。
私の胸は、それを考えるだけで高鳴っていた。
◇◇◇
ポルテ様を呼んだ本邸でのお茶会では、おかげでとても充実した時をすごせた。
あの方がおかえりになったあと、私はすぐに通信機でお姉様に連絡をとった。
彼が、ルーンベルクへむかう調査団に参加できるよう、推薦するために。
「まぁ。それはいいことね。役目はとても重いものだけど……その御仁たちなら問題なくこなしていただけるでしょう」
「では……」
「ええ。私から推薦しておきます。おかげで助かったわ。ありがとう、アリア」
「こちらこそ。ありがとうございます。お姉様」
そこで、通信機を切った。
お姉様が推薦してくだされば、もはや決定したも同然だろう。
「……また、お役に立てた……」
しみじみと呟き、満足してため息をつく。
そして、あのとき触れた、獣の姿の感触を思いだして――私は一人、ほほえんだ。
ポルテ様。我が救世主。
私は、いつまでもあなたの味方ですわ。
読んでいただきありがとうございました。
次回は、あさって土曜日20時頃の更新予定です。




