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 「…ネズミだ」


 風がそうつぶやいた瞬間、イヤホンの向こうの二人が安堵した雰囲気が伝わってきた。

 きっと、俺の尋常じゃない雰囲気を察して、敵襲かと緊張していたに違いない。風は妙に冷静な頭の片隅で、そんなことを考える。唯人との会話が、フラッシュバックする。



  ◇


 「私たちが、普段の任務で最も気を付けるべきものは何だと思う?」


 唯人が、にこやかに言った。

 風は、考える。


 「…奇襲、とか暗殺、とか」

 「それはそうだけれど、もっと気が付きにくくて対処しにくいものがあるんだ」


 唯人の物言いに、風は白旗を上げる。

 幾つになっても負けず嫌いな唯人は、嬉々としていった。


 「小さな生き物たち、だよ」


 風は、納得した。

 あぁ、と頷く風をみて、唯人はつまらなそうな顔になる。


 「もう理解しちゃったのかい? もっと父に説明の機会を頂戴?」


 そう言われるが、風は気にせず話し出す。

 ただでさえ出演の機会が少ない自分の活躍がより減ってしまった、と唯人は肩を落とした。


 「例えば蚊に刺されたら痒くて集中できない。

  ヒルとかに血を吸われたら、それの傷口から毒が血液に溶けてしまうかも、ってことだね?」

 「それだけじゃないよ、ネズミみたいなのはほぼ百パーセント伝染病を持っている。一回噛まれたら、病気になっちゃうと思っておいた方がいいよ。しかも、集団で来られたら撃退は難しい」


 風の説明が終わるや否や、生き生きとして補足を始める唯人。

 今度は風がため息をつく番だ。


 「じゃあどうやって対策すればいいの?」

 「虫は、煙の臭いだったりドクダミの汁を纏うと寄ってこなくなるよ。ヒルには、肩こりとかのメントールって成分が効果的」


 どや顔で喋る唯人。

 「ネズミは?」と聞く風。

 唯人は笑顔のまま、固まる。


 「……。ネズミは、出会わないようにするのがいいかな。

  しいて言うなら、スプレーとか超音波か…?」




  ◇



 数が、風の想定していた以上に多い。

 赤い目が、床に、壁に、無数にひしめいている。

 まだ通路の向こうの方にいるが、すぐにでもここまで到達するだろう。


 風は、自分の持ち物を思い出す。


 ・バール。一匹一匹倒してたら切りがない。却下。

 ・投げナイフ。絶対数が足りない。却下。

 ・拳銃。潜入するのに、持ってるわけあるか! いや、ない(反語)。

 ・服。囮に使ってもいいけど、効果あるか分からない上に、変質者として見られるのは…。却下。

 ・応急処置セット。噛まれてからじゃなきゃ意味がない。論外。

 そして、イヤホンとマイク。そんなもん、使えるか!


 ――いや、待てよ…?


 風の頭に、いい考えが浮かんだ。

 もう、ネズミはすぐ近くまで迫ってきている。有効かなんて、考えている暇はない。噛まれたら、伝染病(ゲームオーバー)だ。

 風は、叫んだ。


 「虎! ネズミの嫌がる周波数を、最大音量!」


 そして、沈黙。

 ネズミはどんどんと近づいてくる。こちらから手を出したら敵とみなされかねないので、ギリギリまでは耐えようと風は決意した。


 だが、あまりの無音に心配になる。


 ――虎に聞こえてなかったのでは?


 覚悟を決めて、バールを振り上げたその時。


 キイイィィィィン、と、耳鳴りのような音が、風の脳を直接揺さぶってきた。

 たまらず、風は耳を押さえて膝をつく。


 ネズミたちも、その音に右往左往する。

 それまでの、何か目標に惹かれてくるような動きではなく、散り散りになって逃げまどっている。

 風はそのすきにその場から離れ、近くのマンホールから地上に出た。

 見つからないよう、ライトを消す。風は数度目をしばたかせて、暗闇に目を慣らす。


 「ふぅ」


 マンホールのふたをもとの位置に戻し、一息つく。

 周りを見るとそこは、倉庫街の一角だった。後ろには、無骨な倉庫。目の前には、黒い海が広がっている。


 「この前の船での戦闘の一件と言い今日と言い、最近海の近くで仕事することが多いな…」


 風はつぶやいた。

 イヤホンから、虎の声が聞こえる。


 「風の位置を捕捉した。

  そこから、海を正面に見て右側に歩いてく――」


 ブツッ、と言う音と共に虎の声が途切れる。

 イヤホンから、機械的な『Please charge』という音声が聞こえ、完全に沈黙する。


 「え!?」


 風は焦った。

 梨奈から<広林>周辺の地理情報は共有されているとはいえ、自分の現在位置が分からなければ意味がない。故に、虎からの案内に従う気でいたのだ。


 「……どうすんのこれ」


 風は、海に面した倉庫街で、迷子になった。





  ◇




 一方、梨奈と虎は。

 

 「どうすんのこれ? 風迷子になったよ?」


 呆然として、虎が言った。

 対して梨奈は冷静だ。


 「ただでさえ地下との通信は電池食うのに、あの大音量で高周波音を流したからね。仕方ないことね。もともと、電池残量も少なかったし」


 しばし、沈黙。梨奈が口の中で、「これで、風には声が届かない」とつぶやいたことには、気が付かなかった。

 そしておもむろに梨奈は、問いかけた。


 「ねぇ、あなたが倒れたあの日にした、()()()。…受ける決心はついた?」




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