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 風は、途方に暮れていた。

 どっちに行けばいいのか見当もつかなかったので、取り敢えず気の向いた方に歩いてゆく。

 今回は、見つかっても別にいい。

 地下道を通ってきたのは自分の足取りを掴まれないようにするためなので、ここまで来たらもはや、誰か関係者に見つかって、バーへの道を聞けた方が嬉しいまである。


 と、風はそこまで考えて、気が付いた。


 「右足…血が出てる」


 履いた長ズボンごと、右足のふくらはぎのあたりが切れていた。

 流れた血がもう固まっていたので、ティッシュを濡らしてぬぐい取る。

 この匂いにつられてネズミがやってきたんだな、と風は腑に落ちた。

 だが、自分のけがに気が付いたからと言って状況が好転するわけではない。まあ危機管理の面では、一つ前進、と言ったところだろうか。


 「とはいえ、だ」


 現状は、如何ともしがたい。

 もしここが倉庫街ではなかったなら、風も自分の居場所を特定できただろう。

 一通り訓練を受けている彼は、周囲の地形や建物から現在地を割り出す能力も身に着けていた。しかし、周りに見える景色が規格化された倉庫のみだと話は変わってくる。どこへ行っても同じ景色。同じ建物に同じ海。これではさすがの風も、自分の位置など知りようがない。

 やることも思いつかず、ただぼーっと海を眺めたりするが、なにも進展しない。

 風は、諦めて一度出直そうか、と考え始めた。


 唐突に、声が聞こえてくる。

 風はとっさに、近くの建物の屋根の上へと飛び上がった。


 「この辺でいいだろう」

 「そうだな」


 歩いてきたのは、黒い服に身を包んだ大柄な男が二人。

 そしてその筋肉質な体に挟まれるようにして、ひょろっとした不健康そうな男。

 彼は、黒服に両腕をつかまれたまま、わめいている。


 「金がねぇのに気が付かなかったんだよ。

  悪気はないんだ、決して踏み倒そうなんて思っちゃいない!」


 

 黒服が一歩一歩距離を詰める。

 男は、まるで命乞いをするかのように、媚びて話す。黒服は、聞かない。

 風はすでに、見つからない位置に身を隠した。その風の耳に、ドカッ、ゴキッという、人を殴る音が聞こえてくる。


 「おいおい…食い逃げ程度であの制裁? 冗談じゃないぜ」


 つぶやくうちに、殴る音が聞こえなくなった。代わりに、銃声が一発。

 そして、何かが海に落ちる音。


 ――まさか。


 風は、そっと倉庫の陰から顔を出して、黒服たちが行ってしまったことを確認する。

 そして、服を急いで脱いだ後ためらいなく海に飛び込んだ。


 夏の、夜の海。

 昼間の太陽に熱せられた海水が、生ぬるく風の体にまとわりついてくる。

 風はそれをかき分けるようにして海底まで潜り、そこに沈んだ痩せた男を肩に担ぐ。

 生きていることを祈りながら、風は岸まで上がり、そして男を地面におろす。脈を取り、そして死んでしまっていることに気が付く。風は顔を下に向けた。

 そして自分が今服を着ていないことに気が付く。そそくさと、自分の服を身に着け始める。

 ちゃんと変質者ではなくなったのを確認してから、風は改めて、男の遺体に向きなおる。


 「検視させていただきます」


 そうつぶやき一礼したのち、風は男の体を見分する。

 そして、十分後。

 風は、あることに気が付いた。


 ――このうっすらとした内出血、そして胃の中に残っていた破れた袋…。

   死因が銃創でないことも考えると、もしかしてこの男、バエルを腹に隠して持ち出して、転売でもしようとしていたのか?


 これは救いようのない、自業自得だ。そう思って風は立ち上がる。

 男を海に戻そうとした風は、ふと、男の服のポケットから何かの端が飛び出ていることに気が付いた。


 「何だこれ」


 風がそれを引き出してみると、どうやらメモのようだった。

 そのメモ書きに書かれていたのは、”広林”周辺の正確な地図と従業員名簿。役職と名前が書いてあるだけの粗末なもの。

 だが、それに目を通していた風の背筋が凍る。


 「…。こいつは、どうやってこの情報を…?」


 その名簿の中には、はっきりと、()()()の名があったのだ。

 風の頭が、高速回転を始める。


 ――思い出した。いつだか真凛が、『広林は知っているか』、という質問をしてきたことがあった。

   …だから俺は、「広林」というワードを梨奈姉ぇから聞いた時、聞き覚えがある気がしたんだ。


 風の頭は、そこで違和感を感じとる。

 背中に、冷たい汗が伝わる。


 ――待てよ。あの時真凛は、ほかにも何か言っていなかったか?


 必死に記憶の箱をあさる風。

 ついに目的の記憶を見つけ出す。


 ――そうだ。『なら、あの指令は、この任務と別件か?』って言っていた。


 つまり真凛は、もともとある一つの任務を受けていた。そして、追加で指令も下された。ってことだ。

 普通に考えるなら真凛は、その任務と指令に関わりがあるかを知りたくて、俺に『広林を知っているか』と聞いたってことなんだろう。


 ――俺にその質問をすることで、指令と任務に関係性があるかがわかる。

   そんな任務、って、まさか……。


   俺 の 監 視 ?



 「そんな馬鹿な…とも言い切れないのが悲しいな」


 風は荒れた心を落ち着けるように、口に出して言った。

 その時、風の脳裏にもう一つの光景がフラッシュバックする。


 ――そういえば真凛は、俺が『知らない』と答えたとき、腑に落ちない感じだった。

   まるで俺が、知ってると答えることを確信していたかのように。


 …そういえばあの日、俺は梨奈ねぇに呼び出された。

 新しい任務かと思って行ってみたら、虎が倒れてそれどころじゃなくなって―――。

 もし、虎が倒れていなかったら。俺は梨奈姉ぇから何を聞かされていた?




 広林と<バエル>にかかわる任務について、説明を受けていたのではないのか?




 真凛は、俺が説明を受けることを知っていたからこその、腑に落ちない態度だったんじゃないか? 

 つまり、俺がどんな任務を受けるかという情報が、俺に伝わる前に真凛に漏れている、っていう事…


 そこまで考えて、風は、鳥肌が立つのを感じた。


 「……いや、全部、想像だ」


 慌てて、頭を振ってそのアイデアを消し去る。

 平常心を心掛けつつ、風はメモ書きにあった地図と、近くの倉庫の外壁の番地情報を見比べる。

 そして現在位置を把握し、広林に向かって歩みを進めた。






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