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◇
「ねぇ、俺は今どこに向かってるわけ?」
暗闇を歩く風が、マイクに向かって問いかける。その装いは、戦闘服に着替わっている。
イヤホンからは、珍しく梨奈の声がした。
「広林、っていう店よ」
風はその店名に聞き覚えがある気がしたが、その記憶は怒涛の日々の下に埋もれて、終ぞ取り出すことができなかった。
ここは、繁華街。
時刻は、十九時。今日は熱帯夜。 道を一本隔てた向こうでは、明かりが煌々と街を照らしている。
だというのに、この道は地図にもないほど細く、狭く、暗い。
風はそこを、暗闇に目を凝らしながら進んでいた。…正確には、道をふさぐように置かれたごみの隙間を探して、暗闇に慣れた目を凝らしながら進んでいるところである。
「なんでこんなとこを…痛てっ!」
狭い道を、ごみの間を縫うようにして歩く風の足に、何かの破片がかすめる。つい、声が出た。
いら立ちと痛みを紛らわすように、風は道に落ちたハンガーを蹴り飛ばして段ボールの山にめり込ませる。
わざわざこの道を進んでいるのは、この先にバエルを提供する違法バーがあるからだ。情報ソースは、例にもれず梨奈。
内心、もっと他の便利な道があるだろう、と思ってはいる。実際この道には新しい足跡もないので、使っている人いないのでは? と、風は考えた。
でも、それを聞かれると梨奈が怖いので、口には出さない。ただ、服の上から仕込みマイクを撫でるだけにとどめておく。
そのマイクの向こうには、聞き耳を立てる梨奈。隣には虎もいることだろう。梨奈は今回、二人のお目付け役として、ここに同席している。
カメラは、レンズを露出させる必要があるため、どうしても怪しまれるので今回はつけることができなかった。
段ボールの山に行く手を阻まれた風はいら立ちを紛らわすように、仕込みマイクを指ではじく。
マイクに伝わる衝撃音。梨奈と虎は、びくっと肩をはねさせる。しかしその後に何の戦闘音もしないので、『どうせ風のいたずらだな』と思いなおした。でも、大人だから口には出さない。
梨奈は、風のGPSを確認しながら言った。
「あ、そこ右ね」
◇
突然、風の耳に梨奈の指示が飛んでくる。「右ぃ!?」とつぶやいて首を巡らせると、建物と建物の間に、確かに人一人がぎりぎり通れそうな隙間があった。
「え、マジでここ? 頭おかしいんじゃないの?」
襟元に織り込まれた小型マイクに、風は文句をぶつける。
でもマイクは頑丈で、その暴言がぶつかったくらいではびくともしない。それは、梨奈の心も同様。
『そこであってるよ。ポケットの中のバールを組み立ててから入ることをお勧めするわ』
「……」
梨奈の言葉からはひしひしと、おまえの気持ちなんか知るもんか、という気持ちが伝わってくる。
風はあきらめて、ポケットから取り出した4本のパイプを組み合わせてバールを作り上げる。大きなため息を襟元に向けて吐いてから、その狭い隙間に身を投じた。
「暗っ」
思わず風の口から声が漏れるくらいには、暗い隙間。ここまでくるともう、手持ちのライトを点けたくなる。しかし、自分の存在がばれると困るので却下する。
手探りで進んでいくうちに、両側から壁が迫ってくるような錯覚にとらわれる。
――そのうち壁に挟まれてつぶされないか…?
風は弱気になった。でも、情けないから言わなかった。
サンドイッチの具の気分を味わいつつ、数十歩。
風は、大きな壁にぶち当たった。
「…おい梨奈姉ぇ、行き止まりなんだけど。
まさかこのバールで壁壊せとか言わないよな!? だったら俺、バズーカ砲とか取りに帰ってそのまま寝るよ?」
さすがに、風もこの言葉に関しては、有言実行する気満々である。すなわち、帰ってふて寝コースだ。風はむしろ、そっちを望んでいる。でも、いわない。
現実も、そう都合よくはいかない。
『風、足元見て。マンホールのふたを開けて地下に潜って』
今度は虎の声だ。
風は、足元を確認する。確かにそこには、マンホールのふたが鎮座していた。
「え? ここ? マジで?」
そういいつつ、手に持っていたバールをマンホールの蓋のくぼみに合わせてねじ込む。
体重をかけてバールを押し下げると、蓋はあっさりと開いた。
穴の中は、漆黒。この路地裏ですら常人では何も見えないほど暗いのに、それを上回る真の闇が広がっている。
『開いたら、梯子が付いてるからそれを使って下まで降りてね』
あっけらかんとした虎の声。
風にはもう、言い返す勇気がない。この中になんて入るものか、と思う心に無視を決め込み、意を決して梯子に足をかける。
カツン、カツン。
一歩降りるごとに、靴音が下水道内に反響する。幾重にも重なって聞こえるその音に風は、自分が立てたものではないような錯覚に陥る。風は何とか、梯子を下りきった。
もうここまでくると、一切の光がないので、さすがの風でも何も見えない。あきらめて、手に持ったライトを点ける。それを胸ポケットに固定し、イヤホンからの指示を待つ。
『水路を正面に見て、右側に歩いて』
指示に従って歩く風。少しでも物音を立てると反響して帰って来るので、できるだけ足音を殺して歩く。自分では気が付かないうちに、腰が引けている。自分以外の何かにおびえているのがバレバレだ。でもここには、それを指摘してくれる人は誰もいない。風は、そのまま進んでいく。
『三叉路を左、その後は右ね』
どのくらい歩いただろうか。もうすっかり、位置感覚は消滅した。
だが、分岐があるたびにイヤホンから指示が飛んでくるのがありがたい。風はそれを聞いて左に曲がり、そして足を止めた。
ぽちゃんと、水に何かが落ちるような音がしたからだ。
風は耳を澄まし、聞き間違いであることを祈る。
だが、その努力むなしく、風の耳は、多くの足跡を捉えた。それはまだ遠いかすかな音であったが、確かに聞こえてくる。
「……」
風は構える。右手にバールを握りしめ、左手には懐から取り出した投げナイフを持つ。
そしてしばらくの時間が経過し、足音がかなり近づいてきた。時折、キッ、キキッという金属をひっかくような音も交じる。
おもむろに、暗闇に赤い光が浮かび上がる。それが一つ、二つと増えていく。
足音の主に思い当たった風は、戦慄した。
「…ネズミだ」




