1-2 未知の場所
意識が消失すると同時に世界が暗転した。だが、それもほんの一時だった。ワーナーはすぐに意識を取り戻す。小さく呻き声を上げ、目を開くと茶色の木目の屋根が辺り一面に広がっていた。
「ぼくは……」
「目が覚めた?」
「!」
ワーナーは突然声をかけられ、慌てて上体を起こす。声の主の方を見るとノースリーブに胸元を開いたスカイブルーのドレスを着用し、緑色の腰まで届くロングヘアーを持つ美少女が立っていた。
少女はワーナーを興味深そうな目で見ている。ワーナーは怪訝そうな顔で少女を見返す。
「君は……」
「ああ、私? 私はサエナ。この異空間の主の一人にして、精霊だ」
「精霊……?」
ワーナーは懐疑心に満ちた目で目の前のサエナと名乗る少女を見る。精霊とは普通の人間には見えない霊的なものの一つであり、その中でもっとも神聖とされるものたちだ。
見えない者たちの中にはその存在を疑っているものもいるが、ワーナーは当然その存在を信じているし、知っている。精霊は人ではない。ゆえに、精霊にも友は数多く存在していた。ただ幽霊などと違って精霊は姿形を持たないというのが知っている者たちの共通認識であり、それもあってワーナーも当初は彼女を怪しんでいた。だが、すぐにあることを思い出す。
「……そういえば、聞いたことがある。確か高位の精霊はきれいな女の人の姿になるって。なら、君は高位の精霊ってこと?」
「……ああ。悪いけど、これから先、君の質問に答えることはできない。そうだな。もし、君が試練を乗り越えることができたら、どんな質問にでも喜んで答えよう」
「何だって……? うわっ!」
ワーナーがサエナの言葉の真意を問い質そうとしたところで突然地面から無数の黒い腕が生えてくる。腕は小さなワーナーの体に纏わり付くと、そのまま一気に彼の背後にあった湖へと引きずっていく。そこでワーナーはこの場所が湖のすぐ近くであったことに気付く。
そして、湖に引きずり込まれた瞬間、凄まじい歪曲がワーナーを襲う。
「ごぼぼっ! ぐはっ!」
あまりの歪みにワーナーは体の感覚を失い、水中ということもあって呼吸がまともにできずにむせ込む。それはあまりに凄まじい負の奔流だった。邪悪の結晶と言ってもいい。人の醜い部分――人の救いようのない欲望や願望を話す声が激流のように精神に叩きつけられる。それに加え、何やら膨大な情報が頭に流れ込んでくる。常人ならば耐えられず、発狂して死ぬだろう。実際、ワーナーも発狂しそうなほどの邪念をその身に浴び、体も頭もまともに動いていなかった。
だが、それも一瞬だった。歪曲を弾き飛ばしたワーナーは即座に意識を正常に戻すと湖面へと泳ぐ。黒い腕はワーナーが正気に戻った瞬間に消え去った。
密かに泳ぎの練習をしていたことが功を奏した。この湖はあの歪みさえ耐えれば、いきなり淵であること以外は何の変哲もない普通のものだ。ワーナーはそのまま浮かび上がり、近くの草を掴んで勢いよく陸地に上がる。
「これが試練? ……大したことないね……」
「な……っ!」
湖に落とされて、十秒ほどで這い上がってきたワーナーにサエナは驚愕の表情を浮かべる。
「ありえない……」
思わず、そんな言葉が口をついて出る。呆然としているサエナにワーナーは苦笑する。
「君の反応を見る限り、あんなものをこの短時間で振り払うのは普通はありえないみたいだけどね。でも、ごめんね。僕は普通じゃないんだ」
言いながら、ワーナーは周囲を観察する。ワーナーがいるのは湖を一望できるテラスのような場所だった。建物の中にいることは分かるが、全体像は分からない。何せ、この建物は湖全てを屋根で覆えるほどに巨大だ。このテラスも湖畔といって差し支えないほど広大な面積を持っている。少なくとも、ワーナーの目に見える範囲では湖に沿う形で左右に続いていた。湖の反対側はドアが一枚ある以外、木の壁で遮られていて見えないが、この分なら壁の向こうにもさまざまなものが存在していそうだ。
目に見える範囲で分かるのはそれだけだ。後は何も分からない。この建物がどれくらいの広さなのか。この建物がどこにあるのか。この建物から出る術はあるのか。何も分からなかった。
さすがに無闇に動くのは愚策だということくらいは分かっている。けれど、いつまでもここにいるというわけにもいかない。この状況でワーナーが思いつく打開策は一つだけだった。
「そういえば、君はさっき言ってたね。これを乗り越えたら、どんな質問でも答えるって。なら、いくつか聞いていいかな?」
「…………」
「おーい」
ワーナーが呼びかけるとサエナはハッとした顔になって、わたわたと慌て出す。
「……あ。ごめん。あまりに不可解なことが起きたから混乱してしまった。それで何かな?」
「いや、さっき君がどんな質問にでも喜んで答えるって言ってたでしょ。だから、知りたいことがあるから聞いてもいいかなって言ったんだよ」
「ああ、構わない。君が試練を乗り越えたのは紛れもない事実のようだからね。何でも聞いてくれ。そうだ。立ったままというのも辛いだろうから、よかったらそれにでも座ってくれ」
サエナが言うと同時に地面から高級そうな椅子が二つ出現する。サエナはそのうちの一つに座り、ワーナーは残った片方に座る。
「じゃあ、一つ目の質問。ここはどこ?」
「簡単に言えば、ここは異空間だ。『精霊空間』って呼ばれてるんだけどね。要するに私たちの居住空間だ」
私たちという言葉にワーナーは小さく首をかしげる。
「私たちって、君の他にも精霊がいるの?」
「その通りよ」
「!」
ワーナーの問いに答えたのはサエナとは違う声だった。ワーナーは突然声をかけられたことに吃驚し、跳ねるように左の方を見ると四人の少女が立っていた。
いずれもサエナに見劣りせぬ美貌を持つ少女たちだった。少女たちがワーナーに向ける目はさまざまだった。興味津々といった目。穏やかな目。感情の読めない目。警戒する目。それぞれが異なる目をしながら、ワーナーを注視してきた。
「君たちが他の精霊たち?」
「そうよ。見たら分かるでしょ? 年若いオーナーさん」
「オーナー……?」
ワーナーは今なお警戒する目を向けてくる赤髪の少女の言葉にわずかに眉をひそめた。




