6.ラヴェンナは何も知らない
――そして、現在。
国境門から一番近い町に到着し、ナカは世話になった荷馬車の主人にお礼として薬草を手渡した。
遠ざかっていく荷馬車に手を振り、姿が見えなくなったのを確認すると、丈夫さだけが取り柄の無骨なリュックサックを背負い直す。中には子爵家を出てから少しずつ買い集めていった、薬を煎じるための道具が詰まっていた。
「よぉし、目指すは薬学都市ラルフォーレだよ。ここからだと乗合馬車が出てるかねぇ…」
『――ねえ、ナカ』
「なんだい、ラビ?」
頭の中に響く幼い声に、ナカは驚く様子もなく歩調を合わせながら返事をする。一人言を呟いているように見える娘の姿も、活気溢れる市場の喧騒の中では誰も気にとめなかった。
『どうしてラルフォーレにいくの?』
「ラルフォーレに行けば、あたしの一番弟子がいるからね。そいつに可愛いラビの面倒をみてもらおうじゃないか」
かつて薬師だったナカが寿命で亡くなってから、もう数年は会っていない。今頃は三十歳くらいになっているはずだ。
露店に並ぶ真っ赤なトマトが、かつての弟子の鮮やかな髪色を思い出させた。愛想の良い店主から一つ買うと、そのまま歩きながら丸かじりする。
『ナカの、でし?こわくない?』
「ああ、いつも眉間にシワを寄せた不愛想な奴だけど、怖かないさ。顔の力を抜いてりゃなかなかイケメンなんだがねぇ」
『いけめんって、なに?』
「顔が良い、整ってる、カッコいいってことさ。若い女子ってのはイケメンが好きだろ?」
ナカがからからと笑うと、頭の中でラビが少し考えてから声を返してきた。
『………イケメンでも、なぐるひとは、こわい…』
「……そうだね。クソ親父みたいな男は、いくらイケメンだろうと論外だ」
身体の傷はそれなりに癒えたとはいえ、長年虐げられ続けてきたラヴェンナの心の傷はあまりにも深く、擦り切れている。人間としてどこか大切な部分が壊れてしまっているのだろうと、ナカは胸を痛めた。
――ナカがラヴェンナの中で目覚めたのは、ラヴェンナが七歳の頃だった。
弟子たちに見守られながら、自身のベッドの上で七十年の人生を閉じた、はずだった。だが次の瞬間、隙間風が入り込む汚い物置小屋で、高熱を出して息絶えようとしている幼いラヴェンナの体に憑依していたのだ。
そこから這うように外に出て、奇跡的に自生していた熱冷ましの薬草をむさぼり食い、それから栄養価の高い山菜に齧りつき、なんとか一命を取り留めた。
その後、意識を取り戻したラヴェンナに体の主導権を戻し、虐げられている哀れな令嬢と、彼女に憑依してしまった元薬師との、奇妙な共同生活が始まったのだ。
劣悪すぎる環境下でラヴェンナが十七歳まで生き延びられたのは、ひとえにナカの薬師としての知識と知恵のおかげだった。
「……あいつらを罠に嵌めるとはいえ、ラビには痛い思いをさせたね……」
ラヴェンナが戴冠式に出席すると知ったとき、この不快な家族から抜け出す絶好のチャンスだとナカは確信した。わざとラヴェンナのフォローをせず、屋敷での『教育』通りに振る舞わせれば、あっという間に子爵一家が自滅することは目に見えていたからだ。
野暮ったいドレスを着せられる前、首元にこっそり擦り込んでおいた、気持ちを高ぶりやすくさせる薬草も良い仕事をしたのだろう。
『ナカがつくってくれた、くすりのおかげで、いたいのすぐなくなったよ』
「……ああ、あたしがあんたの痛いのを全部無くしてやるからね」
王城で三日ほど看病された後、イース弟が引き継いだ子爵家へと送り返された。
確かにラヴェンナは王家に縁がある立場ではない。だが、あれほど目に見えて衰弱している人間に、数日分の薬だけを持たせ、まるで厄介払いのように追い返す王家の対応に、ナカは不満を募らせながら自作の薬をラヴェンナに与えていた。
『…ナカがいなかったら、ここまでこれなかったね』
「あぁ、享年七十のババアの活力を舐めるんじゃないよ」
『ずっと、あのかぞくと、いえにいたかもしれない』
「クソ家族は言うまでもなく、あんな冷たい弟家族も侯爵家のジジババも、こっちから捨ててやるのが一番さ!」
これ程までに不幸な身の上でありながら、無情にもたらい回しにされたラヴェンナの身柄。それこそが、この国を捨てる決定的な引き金となった。
「ラルフォーレで弟子に託したら、身体の主導権をラビに返すからね。今はあたしの中でゆっくり休んでな」
『ありがとう……』
身体のどこか奥底で、幼い魂が安心したように静かな眠りにつく気配を感じながら、ナカは町の案内看板を見上げた。
――学園にも通わせてもらえず、家庭教師すらつけてもらえなかったラヴェンナは、文字すら読めず、家族や使用人から浴びせられる罵倒を通じて言葉を、知識を覚えていった。そのため、今でも幼子のような喋り方をしており、ナカ以外の人間には怯え、震え、言葉に詰まる。
もちろん、貴族令嬢としてのマナーや振る舞いなど知るはずもない。そうして出来上がったのが、王太子の前で必死に土下座をする哀れな少女だったのだ。
(何も教えなかった癖に、後ろに隠れているだけで上手くいくわけがないだろう。全く……)
ラヴェンナは何も知らない。家族の温もりも、安心して眠れる家も、そして『幸せ』という言葉の意味さえも。
(……これからたくさんのことを教えてやらなきゃね)
目的地の薬学都市ラルフォーレまでは、まだまだ長い道のりだ。
子爵家からくすねてきた装飾品はまだ手元にあるが、ひとまずは道中で採取した薬草を煎じて売り、地道に路銀を稼ぐとしよう。だって自分は偉大なる薬師なのだから。
そう心に決めたナカは、無骨なバックパックを揺らしながら再び歩き出した。
精神年齢3歳くらいのヒロインと、魂年齢70オーバーのヒーロー(?)です。
あと一話は後日談!




