5.誤魔化せると思ったの?
周囲の貴族たちからは、まるで化物を見るかのような視線が子爵へと注がれる。イース夫人とプリムラだけが惨めな悲鳴を上げ続ける中、会場は死んだように静まり返った。
そして殴り飛ばされた床で、イース家の『汚点』と呼ばれた少女だけが、恐怖のあまりガタガタと震えながらひたすら土下座を繰り返していた。
(あいつは……あいつは、悪の象徴だから…殴りつけても、蹴り倒してもいいモノのはずなのに…)
長年積み重ねられたその異常で狂った思い込みのせいで、イース子爵は取り返しのつかない決定的な破滅を引き起こしたのだった。
「お父様!!」
王太子の指示で連れていかれる父親を見て、プリムラは頭が沸騰するような激しい怒りと焦燥に駆られていた。
本当なら今日この場で、自分は数多の貴族令息たちからちやほやされるはずだった。王太子殿下から直接お声がかかることだってあったかもしれないのに。
すべては、あの女が余計な真似をしたせいだ。そのせいで父親はこの場で厳格な躾をするしかなくなり、あまつさえ連れていかれてしまったのだ。
プリムラは、泣き崩れる母親の肩に置いていた手を離すと、騎士たちに支えられながら立ち上がろうとしているラヴェンナの元へと駆け寄った。
そのまま手にしていた扇子で、ラヴェンナの頬を思い切り叩きつける。
「こいつのッ!こいつのせいでぇッ!!」
騎士に腕を掴まれ止められると、うずくまるラヴェンナの体を今度はヒールで容赦なく蹴りつける。
「や、やめなさいプリムラ!」
「なんでよ!わたくしもお父様も躾をしてるだけよ!?お母様だってこいつが粗相した時は厳しく躾しなさいって言ってたじゃない!」
「プリムラ!」
騎士に後ろから両腕を羽交い締めにされ、ラヴェンナから引き離される。
ドレスの裾が捲れようがお構いなしに足をバタつかせるが、もうラヴェンナの体には届かなかった。
「あぁもうッ!帰ったら覚悟してなさい、執事に熱した棒を用意させるんだから!!今度は腹に押し当ててやるわ!ねぇお母様!」
興奮するプリムラは周囲の視線も見えないまま騎士に引きずられていき、娘の失態に顔を青くするイース夫人も、ふらつきながら謝罪を繰り返すラヴェンナも、それぞれ別の場所へと連れていかれた。
静まり返った大広間で、王太子の溜息と、見守っていた国王の冷ややかな呟きだけが虚しく響き渡る。
「とんでもないことになってしまったな……」
◇
その後、イース子爵は王太子の面前での公然たる暴力、および不敬罪により身柄を拘束された。爵位と領地は王家の命によって強制的に実弟へ譲らされることとなり、子爵本人はそのまま牢獄へと収監された。
そして夫人とプリムラは王都を追われ、領地の端にある田舎の屋敷へと移された。
そこにあったのは、かつてのような豪華なドレスも、かしづく使用人もない、ただの質素な田舎暮らしだった。しかし、きらびやかな貴族社会が忘れられない二人はあまりの格差に到底耐えきれず、毎日のように互いを責め立て、虚しい大喧嘩を繰り広げる惨めな日々へと転落していった。
一方、屋敷に残されたラヴェンナの引き取り手はどこにもなかった。
亡き母の実家である侯爵家からは「いまさら関わりたくない」と拒絶され、家を継いだ新子爵も彼女の存在を持て余し、腫れ物のように扱うばかりだった。
成人の十八歳になるまでは保護する、といった約束のもと、新子爵の屋敷の端の部屋で療養を受けていたが、お互いに歩み寄りもなく、ただ屋敷にいるだけの存在。
暴力がなくなったことで身体はゆっくりと回復を見せたものの、大人しい彼女はやがて屋敷の人々の意識から完全に忘れ去られていった。
――そしてある夜、ラヴェンナは静かに屋敷を抜け出した。
『ラヴェンナ・イース』という存在は、誰にも引き止められることなく社交界から姿を消したのだった。
あと1話+おまけでおしまいです。




