2.イース子爵家の汚点
昼12:10・夕18:10の1日2回更新です。
――時は少し戻る。
愛する家族との優雅な朝食の時間だというのに、イース子爵はその端正な顔立ちを苦々しく歪めていた。
手の中にある招待状を今すぐ握りつぶしてしまいたい衝動に駆られるが、相手は王家だ。シワ一つ付けることすら許されない。
子爵は堪えきれない苛立ちをぶつけるように、激しくテーブルを叩いた。
「あなた、一体どうなさったの?」
夫の尋常でない様子に、イース夫人が怪訝な顔で尋ねる。
「…第一王子の戴冠式が行われるそうだ」
「あら、それはおめでたいことですわね」
「十五歳以上のすべての貴族が出席せよ、との仰せだ」
もちろん国境を守護する者や傷病者、移動が困難な者など、一定の例外は免除される。
「えっ!それじゃあわたくしも行けるってこと?王子様にお会いできるの?やったぁ!お父様、新しいドレスを買ってちょうだい!」
明るい声でおねだりを始めたのは、十五歳になったばかりの愛娘のプリムラだ。
その可憐な桃色の髪に映える愛らしいドレスを着せれば、会場中の貴族令息たちの視線を独り占めにするだろう――普段ならそう鼻を高くするところだが、今の子爵にそんな余裕はなかった。
「……あいつも出席させねばならんのだ」
重々しく告げられた言葉に、室内は一瞬で静まり返った。
『あいつ』とは、イース子爵家にとって消し去りたい汚点。イース子爵の前妻、クレメンティアとの間に生まれた憎き第一子、ラヴェンナのことだ。
――前妻クレメンティアは、気位の高い侯爵令嬢だった。
当時子爵令息だったイース子爵に一目惚れし、彼が愛していた恋人との仲を引き裂いて、無理やり妻の座に収まった。クレメンティア自身にも婚約者がいたが勝手に破棄した事で、生家の侯爵家からは絶縁されていた。
結婚後、義務として行われた閨の末にラヴェンナを出産したものの、子を産んでも夫の心が自分に向くことはなかった。絶望した彼女は、まだ赤子だったラヴェンナを残して自ら命を絶ったのだ。
その後、子爵はすぐさまかつての恋人を呼び寄せて再婚し、愛娘のプリムラを授かる。
つまりイース子爵にとってラヴェンナという存在は、愛する者との仲を引き裂いた悪の象徴そのものだったのだ。
実の娘とはいえ、そこに情が湧くはずもない。十七歳になった今でも学園に通わせるどころか、草木の管理もされていない屋敷の離れにある、小さな物置へ閉じ込め続けていた。
「……病気ということにするのはいかがかしら?」
「そんなことをしてみろ、王家から直々に医者が派遣され、全身を事細かに診察される。今のあいつの体を見られたら終わりだ」
「なら、あいつが勝手に欠席したことにすればいいじゃない。社交界じゃ『学園にも通わない、怠惰で身持ちの悪い悪女』って噂されてるくらいなんだし!」
プリムラが不満げに口を挟むが、子爵は首を横に振る。
「そんな真似をしてみろ、娘一人満足に管理できない無能だと、我が家が社交界で白い目で見られることになるんだぞ!」
子爵は深く額を揉みほぐすと、苦々しい声を絞り出した。
「……あいつを呼んでこい」
指示を受けた執事が一度退室し、数分後にひとりの少女を雑に引っ張ってきた。
連れられてきたのは、あまりにもガリガリに痩せこけた少女だった。
薄汚れた雑巾のような衣服を纏い、肌は垢に塗れ、伸ばし放題の髪はバサバサに傷んでいる。手足はまるで棒切れのようだ。
頬はこけ落ち、顔の中でただ異質なほど美しいルビー色の瞳だけが、怯えたようにぎょろりと動いていた。
「よ、よば……よばれ……まし、た……っ」
乞食よりも酷いその出で立ちに、子爵は露骨に舌打ちを鳴らす。
安心してください。ただのクソ共です。




