第六話「――嬉しくて泣けるのは」
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その後のことを、ナンシーはよく覚えていない。
気がつけばナンシーは反省房に入れられて、いつの間にかやってきたカミユから、事情の聞き取りを受けていた。
それも、何と答えたか記憶にない。
シャーロットに受けた仕打ちを語った気もするし、何も話していないような気もする。
ただなんとなく、ぶら下がったポプリの袋を眺めて、
――あんなふうに首をつれたら。
なんて考える。だが、ポプリの紐はあまりに短く、細い。
ふと、自分の長く伸ばした黒髪が目に入る。手に取って、なんとなく撫でる。
――何本も抜いて結えば、ポプリの紐よりはましだろうか。
かつての艶はなく、枝毛も増えた。
この黒い髪はナンシーにとって呪いそのもの。
辺境伯の娘を刺したのだ。どうせ死罪は免れない。それなら自分の髪で首をくくれば、この髪に執着した連中への、ちょっとした意趣返しになるのではないか。
含み笑いが漏れ、一本、指で引き抜こうとし、
――優しい夜みたいな色。私、好きよ。
セレンの、屈託のない笑顔が浮かんで、手が止まる。
反省房の床に、一つ、また一つと弾けた染みが浮かんだ。
「……ごめんなさい、セレン。断れなくて、ごめんなさい。私が悪いのに、怒鳴ってごめんなさい。
セレン、会いたいよぉ……」
ナンシーは、己の黒髪に顔を埋めて、泣いた。
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セレンがナンシーに会えたのは、カミユに直談判をしてから一月以上経ってだった。
虫除けのポプリの清冽な香りに混じり、少しだけすえた臭いがする反省房へ、セレンは足を踏み入れる。
何をするでもなく寝台に腰掛けるナンシーが、錆びついた歯車のように顔を上げると、驚きに目を見開いた。
「……セレン、なの?」
「ナンシー!」
セレンは飛びつくように、ナンシーへ抱きつく。入室時に感じたすえた臭いが、強くなった。
ナンシーは、セレンが覚えていたときよりも、細く、やつれてしまっている。それを感触で理解した。
「馬鹿ね、ごはん、ちゃんと食べてないでしょう? 体もあまり拭いてないんじゃない?」
「え、うん……そうかも」
「髪だって、こんなにボサボサにしちゃって!」
「う、うん、ごめんなさい」
ナンシーの反応は鈍い。ただ、口をぽかんと開いたまま、セレンの言葉に応じている。
「私、夢を見ているの? セレンがこんなところにいるなんて」
「夢なわけないじゃない。私の感触、忘れた? ほら、ナンシーも」
言って、セレンは抱きしめる腕に力を込めた。ナンシーは恐る恐る、セレンの背に腕を回す。
「あ……セレンだ。本物の」
ぽろりと、ナンシーの瞳から雫がこぼれた。
「ごめんなさい、セレン。私、貴女を裏切った……。セレンに会えなくされても、きちんと断ればよかった……。そうしたら、こんなにセレンを傷つけなくてよかった」
「いいの、ナンシー。貴女は何も悪くないわ。私、貴女がどれだけ苦しんでいたのか、考えてあげられなかった。本当にごめんなさい」
セレンの頬にも、熱いものが伝う。二人はそのまま抱き合い、しばらくの時間、互いの嗚咽を聞き続けた。
やがて、ナンシーが泣き腫らした顔に、笑みを浮かべて言う。
「ありがとう、セレン。会いに来てくれて。
死罪になる前に、貴女に謝ることができて、仲直りすることができて、本当に良かった」
そのナンシーの言葉に、セレンははっと顔を上げる。肝心な話をし忘れていた。
「いいえ、ナンシー。貴女は死罪になんてならないわ。私と一緒に、この修道院を出ましょう」
セレンの諸々をすっ飛ばした説明に、ナンシーはまたも口をぽかんと開けるのだった。
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風に、生臭い香りがのっている。
「潮の臭いがするわね」
セレンが髪をかき上げると、亜麻色がハラリと流されて、舞う。
ナンシーはセレンを見て、申し訳なさを感じた。
「……ねえ、本当にこんなところまで一緒で良かったの?」
初めて来た港町の馬車宿。
ナンシーたちと同じく乗合馬車から降りた人や、それを待ち構える客引きの声で賑わっている。
――本当なら、セレンは私に付き合う必要なんてなかった。
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ナンシーがセレンと再会したあの日――、
「ナンシーの処分は還俗することで落ち着いたんですって。ここからだいぶ離れた港町になるけど、仕事も紹介してくれるって、院長が言っていたわ!
薬師のお仕事なんですって。さすが、薬草婆に見込まれていただけあるわね」
セレンのその言葉に、ナンシーは耳を疑った。
「でも、私、あの女……辺境伯の娘を刺したのよ。」
「悪いのはシャーロットじゃない! 院長の話だと、辺境伯様からもそうおっしゃったそうよ」
「辺境伯様が?」
さらに驚く。実の親がそんな事を言うなんて。
「簡単に言えば、シャーロットが悪いんだけど、かと言ってナンシーをお咎めなしにもできない。だから、ナンシーを還俗という形で追放することになったんですって。
シャーロットが死ななかったことと、修道院の中だけで話をおさめることができたのが、幸いだったようよ」
セレンは明らかにカミユからの受け売りをそのまま伝えていた。
でも、それなら、
「どうして、セレンも一緒に修道院を出ていくって話になるの?」
「どうしてって……」
セレンはキョトンとした顔でナンシーを見つめ、
「好きな人と一緒にいたいって思うのは、そんなに変なこと?」
当たり前のことかのように、そう言ってのけた。
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――私は、もしかしたらセレンの人生を狂わせてしまったのかもしれない。
そう考えながら、ナンシーが恐る恐るセレンの顔を覗き込んだ。
自分より少しだけ背の低いセレンにそうするには、だいぶ首を傾げなくてはならない。その様が可笑しかったのか、セレンは小さく吹き出した。
「一緒でよかったかですって? 馬鹿ね、嫌なら来ないわよ」
言って、セレンがナンシーの背中を叩く。思わず「あっ」と声が上がった。
「さあ、行きましょう。新しい職場が私たちを待っているわ!」
「ちょっとセレン、引っ張らないでよっ」
セレンに手を引かれながら、ナンシーはつい微笑んだ。
黒髪が潮風に吹かれて、そよぐ。まるでその髪に乗るかのようにして、目尻から雫が落ちた。
悲しいわけではない。ただ、幸せだった。
「相変わらず泣き虫ね、ナンシー」
セレンがからかう様に笑う。
「――嬉しくて泣けるのは、貴女といる時だけよ、セレン」
ナンシーは微笑み、自慢の黒髪をかき上げてみせるのだった。
了
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