第三話「貴女のその黒い髪。すごく、そそります」
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「ところで、黒髪なんて珍しいですよね。東方の血が入っているんですか?」
ナンシーが農具小屋の整理をしていると、一緒に作業をしていた銀細工のような髪をした修道女――シャーロットから、そんな事を尋ねられた。
シャーロットが辺境伯の娘であることは周知の事実で、ナンシーもはじめこそ身構えていたが、身分差を感じさせない態度に、気がつけば気安く接するようになっていた。
「ええ、私も詳しくは知らないのだけれど、母方の血に混ざっているみたいなの」
ナンシーは手で髪を持ち上げ、はらりと流してみせる。
セレンに褒められてから、他者に黒髪の話をされても前より気にならなくなっていた。
――それも、今思えば緩みだったのだろう。
「ふうん」
と、シャーロットが呟く。その音に、ナンシーは何故かあの子爵《男》を連想した。
小屋の戸が閉まる。シャーロットが、そこにいた。
「シスター・シャーロット?」
ナンシーの声に応えず、シャーロットはゆっくりと歩を進めて、彼我の距離を縮める。
砂が擦れる音がした。ナンシーの木靴が、じわりと退く。
薔薇の香気が、迫ってくる。シャーロットの匂いだ。
「いいな、って思ってたんです」
「……な、なにを?」
「貴女のその黒い髪。すごく、そそります」
ナンシーの背が棚に当たった。シャーロットはクスクスと笑いながら、
「どうしてみんな後ろに下がってしまうんでしょうね。逃げ場がなくなるだけなのに」
「や、やめて……」
「はっきり言ってもらわないと、何をやめたらいいのかわかりませんね」
シャーロットが手を伸ばす。修道服の上から、ナンシーの双丘に触れ、その形を好き放題に変えた。
「……っ!」
噛み殺した悲鳴が歯の隙間から漏れる。
ナンシーはシャーロットを押し返そうと、彼女の肩に手を当て、
「ところで、私が誰か――忘れてたりしませんよね?」
――悪戯っぽい声色で、囁かれたその言葉に、ナンシーの動きは止まった。
「セレンさんでしたっけ? 恋人と離ればなれになると、きっと寂しいですよね」
「ど、どういう意味」
「別に? 深い意味はありませんよ。ただ、離ればなれには、なりたくないですよね? そう尋ねただけです」
シャーロットが、ナンシーの顔を覗き込むようにして言った。
ふわりと、薔薇の匂いがした。
「嫌なら、突き飛ばしたって良いですよ。どうなるかわからないけど」
ナンシーの身体がわずかに跳ね、硬直した。
シャーロットはうっとりとして、ナンシーの黒髪を一房手に取り、唇を落とす。
「素敵な濡羽色。艷やかで、枝毛一つない。良い香りもする。よく手入れされているんですね」
――髪の毛を褒められた。
セレンの顔が、言葉が泡のように浮かぶ。それは次の瞬間、シャーロットに唇を奪われたことで、弾けて消えた。
土床に落ちる涙だけが、ナンシーの抵抗だった。
□
「どうしたの? ナンシー」
居室に戻ってきたセレンが、寝台で頭から布団を被っていたナンシーに声をかけた。
「……ごめん、具合悪いの」
ナンシーは、布団の中から返答する。自分でも、あまりに力が無い声だと思った。
だからだろう、セレンが「大丈夫? ちょっと見せて」と、布団を剥いだのは。
「――なんで、そんな濡れてるの!?」
寝具に大部分が吸われていたが、ナンシーの頭は酷く濡れていた。
それを見たセレンは、無理やりにナンシーの体を起こすと、有無を言わさず布で頭を拭き始める。
ナンシーは、シャーロットから解放された後、直ぐに井戸水を浴びていた。
――汚れてしまった。
子爵や、ほかの男達に抱かれた後でさえ、これほど自分が穢らわしいと思ったことはない。
何度も、髪の毛に冷たい水を浴びせる。
――セレンが褒めてくれた髪が、汚された。
擦る。擦る。毛先が痛むのも構わず、艶が失われるのも厭わず、ナンシーは徹底的に黒髪を洗った。
そしてそのまま、ろくに乾かすこともせず、自室に戻った。
「ああ、もう。全身びしょ濡れじゃない。風邪? 熱は今のところなさそうっていうか、冷えているくらいだけど……」
セレンは汗だと思っているのか、ナンシーの服を脱がせ、体を拭いていく。
その優しい、気遣うような手つきに、ナンシーの目から、涙がこぼれる。
「どうしたの? なんで泣くの? そんなに辛い?」
初めて出会った日のようにうろたえるセレンに、ナンシーは「なんでもないの」と、涙声で返す。
泣いてばかりだと、自分自身が情けなくなった。
――忘れよう。こんなこと、犬に噛まれたようなもの。貴族にいいようにされるだなんて、今更だもの。
どうせこの黒髪が引き寄せた一度限りの気まぐれだと、己に言い聞かせる。
それでようやく、ナンシーは「ありがとう」と、微笑みをセレンに返せた。
――けれど、
「ナンシーさん。ちょっと、付き合っていただけます?」
シャーロットの誘いは、それから幾度となく繰り返された。
セレンに心配をかけてしまうから、水浴びはしなかった。
それでも、夜になると流れる涙は止められず、結局はどうしたのか尋ねてくるセレンに、「なんでもないの」と返すことしかできなかった。
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