第10話「なんで、お前だけ幸せみたいな顔をしてるのよ!」
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ヴィオラは駆けた。
修道服のスカートが脚にまとわりつくのをもどかしく感じながら、黒髪のシスター・ナンシーへ体をぶつける。
ナンシーの手が裁ちばさみから離れた隙に、そのまま彼女の腕を取り床へと組み伏せる。公爵令嬢として習った護身術の応用だった。
その時にようやく、裁縫部屋に数々の悲鳴が轟いた。
「シャーロット様!」
ルタの声を受け、シャーロットは視線を下げる。そして、腹に突き刺さった裁ちばさみを認め、
「あちゃあ……上手くやるなんて、言ったそばからか」
自嘲めいた呟きを残し、その場に崩折れた。
ヴィオラに取り押さえられたまま、ナンシーはその黒い髪を振り乱し、叫ぶ。
「許すもんか、許すもんか! シャーロット・オーウェン! お前の勝手な理屈で、私は心も体も犯されたの! 何が、何が上手くやるだ!」
ヴィオラは顔が苦々しく歪んでいるのを自覚しながらも、なんとかナンシーの足掻きをなだめようとする。
「シスター・ナンシー、今は、今はどうか落ち着いてくださいまし……!」
「お前もだ! シスター・ヴィオラ! エーデルシュタイン公爵令嬢だったというのなら、どうしてこいつを野放しにしたのよ! 指導役の、お前の役目じゃないかぁっ! それを、なんで、お前だけ幸せみたいな顔をしてるのよ!」
その言葉に、ヴィオラの力が緩みかけそうになる。小さく頭を振って迷いを払うと、再び力を入れた。
「シャーロット様、ああっ、今、抜きますから!」
倒れたシャーロットの側で修道女たちが右往左往する中、一人ルタがシャーロットに刺さった裁ちばさみを抜こうと手を伸ばした。
それを見て、ヴィオラはとっさに声を上げた。
「いけません! はさみはそのまま!」
「なんで!? お前はシャーロット様の敵だから、見殺しにする――」
「黙りなさい! 抜いたら出血が酷くなる!」
ルタの身体がビクリと跳ね、掴みかけた裁ちばさみの前で動きを固めた。
ヴィオラは周囲の修道女たちに、ナンシーの拘束を代わってもらうよう頼む。数人がかりで手足を押さえられたナンシーは、途端に不気味なほど静かになった。
ヴィオラがシャーロットの元へ駆けつけると、薔薇の香気に混じり、濃密な鉄の臭いがした。
黒い修道服は刃が突き立ったところを中心に、見て分かるほど色の濃さを増しており、ヴィオラに焦燥を与える。
――まずい。明らかに出血が多い! 私じゃ、出来て応急処置くらい。誰か、医者を……!
助けを求めて、周りを見る。
――エルザと目が合った。
その瞬間、エルザは一つ頷くと、扉へと走る。そして振り返ることなく叫ぶ。
「薬草婆を呼んでくる!」
「――お願いしますわ!」
薬草婆は薬師であるが、素人の自分よりは遥かに良い。そしてヴィオラは近くにいた修道女を指差し指示を出す。
「そこの貴女! なるべく清潔な布を持ってきてください! あるだけ、たくさん!」
「は、はい!」
持ってきたもらった布で、ヴィオラは突き立った刃の根元を強く圧迫する。じわじわと染みてくる血液が、奇妙な生暖かさと濡れた感触を伝えてきた。
――圧迫止血ってこれでよかったっけ……? ああっ、もう、免許取るときにやったのに、きちんと覚えてない!
「……いやあ、失敗しました。ナンシーさん、に、は、『令嬢殺し殺し殺し』の、称号を与え、ないと」
「ふざけた事を言わないでくださいまし! ナンシーさんに、そのような名を背負わせやしませんし! そもそも貴女にだって、私、落とされておりませんわ!」
血に染まった布に、新しい布を重ねヴィオラは体重をかけながら、何をするべきなのか懸命に記憶をたどった。
出てくるのは前世の漫画やドラマでの知識ばかりだったが、ほとんど使えそうなものがない。
「脚を上げたほうがいいんだっけ……いえ、出血があるときは上げちゃ駄目! あとは、あとは何をすれば……!」
「……なんで、そんな、助けようと、するんです? お姉様、と、やりあった、私を」
「指導役たる私の不始末だからです! 私のせいで、貴女が死ぬのも御免です! ナンシーさんを人殺しにしてしまうのだって御免ですわ!」
「……私が、たす、かっても、ナンシーは」
「死罪だって言いたいのでしょう! わかってますわよ、そんなの! でも!」
辺境伯家の令嬢を刺したのだ。もはや、そこにシャーロットの生死は関係ない。
それでも、
「――なんとかしますわ!」
ヴィオラは、自分に何ができるのかわからないまま、叫ぶ。
シャーロットは目を丸くすると、くすくすと笑った。
「変なの」
そう言って目を閉じ、音もなく顔が傾いだ。
「シャーロット様!」
ルタが涙をこぼして叫ぶ。それに、もはや返答はない。
ヴィオラはシャーロットの胸がゆっくりと上下しているのを見て、最悪の事態に至っていないことを知る。
「ルタさん、声をかけ続けて!」
「……っ、シャーロット様、お願い、目を覚ましてください。ひとりぼっちになったあたしを助けてくれたご恩を、まだ何も返してない!」
ヴィオラは、シャーロットとルタの間に何があったのかは知らない。だが、
「これ以上、女の子を泣かせるなんて許しませんわ! だから、生きなさい!」
新しい布を追加し、さらに力を込めて出血を抑え込む。そして、
「薬草婆、連れてきたわ!」
響いたエルザの声に、ヴィオラは安堵を覚えたのだった。
■
エルザに背負われてやってきた薬草婆は、
「やれやれ、年寄りを走らせるんじゃないよ」
などと、走ってもいないのにそんな事を言い、ヴィオラを押し退けるとシャーロットの容態を診る。
そして、さほど慌ててもいないような口ぶりで、
「女しかいないところだからねえ。ドロドロした刃傷沙汰なんて、たまにあるもんさ。まあ、ここ十年、二十年はなかったかもしれんが。
ほれ、そこのお前さんたち、ぼーっとしてないで、お湯を持っておいで。来るときに沸かしておくよう言っておいたから」
テキパキと周りの修道女たちに指示を出しつつ、処置を始めるのだった。
ヴィオラも薬草婆に「私も、何かできることは」と申し出る。
「今のお前さんにできることはないよ。見てご覧、自分の手を」
そこで初めて、ヴィオラは真っ赤に濡れた手が、大きく震え続けていることに気がついた。
「ずっと血を止めていたんだ、そうもなるさ。
まあ、あとは任せておきな。絶対に助けるとは約束できないが、お前さんのおかげで何が何でも死ぬというわけでもなさそうだよ」
薬草婆の皺くちゃな笑みに、ヴィオラはようやく身体の力が抜け、床にへたり込むことができた。
「そうだ、誰かカミユを呼んできておくれ。あれも刺し傷の処置は経験があった。何も知らないのよりは役に立つだろうさ」
そのままヴィオラは、薬草婆とあとから駆けつけてきたカミユらによる処置を見届け、運ばれていくシャーロットを見送った。
その時のシャーロットは意識を失ったままだったが、浅い呼吸をしているのが見て取れ、ひとまず安心できた。
ナンシーは、いつの間にか別の場所に移されていた。おそらくは、反省房だろう。
――どうにかナンシーさんの受ける罰を軽くしなきゃ……。
そうは思っても、今は頭が働かない。立ち上がる気力さえ、無い。
ヴィオラはそのまま、倒れるように体を傾け、優しく抱きとめられた。
「……お疲れ様」
「エルザ、先輩」
ヴィオラの体が、エルザに包まれる。エルザの石鹸の匂いに、安らぎを覚えた。
「私、エルザ先輩に、話したいことがあるのです」
「……そう、あたしも、あんたに話したいことがあるの」
「あら、おそろい。やっぱり相性抜群ですわね」
「はいはい」
エルザがヴィオラの髪を手櫛で梳く。その慣れた手つきに、ヴィオラは段々と眠気を覚えた。
「でも、ごめんなさい。いまは、少し休ませてくださいまし……」
「ええ、そうしましょう。あたしも、今日は疲れたわ」
そう言って、ヴィオラは血の臭いが残る裁縫部屋で、ゆっくりと目を閉じた。
ややもして、寝息をたてるヴィオラを起こす者は誰もいなかった。
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