第9話「それが愛かどうか、わかんないけど」
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「……ごめんなさい、ヴィオラ。私、知っていたわ」
絞り出すようなエルザの声に、ヴィオラは自分の耳を疑った。
「そんな、何故。私は今、この瞬間まで家名を名乗っておりません! オーウェン院長だって、私がエーデルシュタインであることは自分しか知らないと……!」
「あらあら、ヴィオラお姉様には伝わっていなかったのかしら。エーデルシュタイン公爵家から、多額の寄付が修道院にあったこと。オーウェン本家にも、報告は上がっていたというのに」
ヴィオラはシャーロットへと振り返る。シャーロットは、可笑しそうに口元を指先で隠していた。
「家から、寄付? 何故。そんな話、聞いておりません」
「聞いてない理由までは知らないですけど、寄付の理由は知っていますよ。
ねえ、シスター・エルザ。ちょーっと、やり過ぎちゃったんですよね?」
シャーロットの言葉に、エルザはうつむいたまま自分の肩を強く抱いた。
「釘を刺されたんですよねえ? 公爵家を侮辱するような真似をするなと。まさか公衆の面前で公爵令嬢の頭を踏みにじったりするなんて!
そりゃ、叔母様だってシスター・エルザに事情を説明するくらいしますよ。我が子みたいに可愛がられてましたもんね!」
シャーロットが、嗤う。ケラケラと、楽しそうに。エルザは震え、その頬をしずくが一筋伝った。
周囲に広がるざわめきに混じって「シスター・エルザが……」「やっても不思議ではないわ」という声が聞こえる。その中で目の端で捉えたナンシーは、一人黙々と裁ちばさみを動かしていた。
そして、ヴィオラは、
「――侮辱……って、それが、ですの?」
そんな風に、小首をかしげてみせたのだ。
「は?」
と、シャーロットが思わずといった体で、口を開けた。
「だって、指導ってそんなものではありません?」
――この世界、優越的地位の濫用の概念はあるみたいだけど、まだ昭和的な体質は多く残ってるだろうし。
「え、は? お、お姉様、頭を踏みつけられて居るんですよ!?」
「ええ、あのときはおかげで石床の汚れがよく見えました。流石エルザ先輩ですわよね! 私、きちんと磨いたつもりだったんですが、まだ汚いところが残っていたんですの」
手を叩き、その時のことを思い出し、ヴィオラの顔がほころんだ。
「ただまあ、言われてみれば、外から見たら侮辱のように見えてしまうかもしれませんわね。今度、実家に文をしたためておきますわ。『ご心配なく、ヴィオラはエルザ先輩のご指導のもと、元気にやっております』と」
「……っ! い、いいえ、今の話の筋はそこではありません! シスター・エルザがヴィオラお姉様の正体を知って、その関係を結んだという事実です」
そう言って、シャーロットはエルザを睨んで、無理やりな笑顔を浮かべてみせた。
「ねえ、そうでしょう? 貴女は公爵家から圧力をかけられた。その上でヴィオラお姉様から体を求められれば――ねえ、どうなんですか?」
「……そう、なのですか? エルザ先輩」
エルザはヴィオラの問いにも、しばらくの間沈黙を守った。しかし、やがて何かを決意したかのように、顔を上げる。
「ええ、そうよ。あんたから愛の告白を受けたとき、あたしは確かに怖かった。断ったら私や院長がどうなるのかと思うと、恐ろしくて断ることができなかった。
だから流されるまま体も許したし、嫌だなんて言うことさえできなかった」
ヴィオラは、そのエルザの告白に、どうしてか何のショックもうけていなかった。
それは、
「でもね、今は少し違うわ。あんたと同じ部屋で暮らして、一緒に仕事をしてきてあんたがものすごく真面目で誠実だって知ってる。
夜は――ちょっと回数が多くてしんどいときもあるし、なんか気持ちよすぎてわけわかんなくて怖いときもあるけど!
あんたが悪意を持って、女に手を出すことなんてしないヤツだってことくらいわかる!
――だから、ヴィオラのこと、嫌だなんて、もう思ってない」
――涙に濡れたエルザの顔が、ヴィオラの好きな笑みを浮かべていたから。
「まあ、それが愛かどうか、わかんないけど」
「ええー……エルザ先輩、それはないんじゃありませんこと。今は愛になったとかいう場面じゃありません?」
「うっさい。くっつくな。神に仕える身として、これ以上嘘はつけないわ」
エルザの言葉にヴィオラは口を尖らせてすり寄ってみせるが、エルザはあしらうようにして、シッシッと手を振り、目元をぬぐった。
「ちょ、ちょっと。何かいい話みたいにまとめようときてますけど、ヴィオラお姉様だって、シスター・エルザを権力で手籠めにしているんじゃないですか!」
「そうですわね。私は過ちを贖うつもりで、ここに来ましたが、結局は同じ過ちを繰り返しておりました」
修道院に来たときの、カミユの忠告を思い出す。
――貴女はエーデルシュタインの名を名乗ることはなくとも、エーデルシュタインの名を背負っていることを忘れてはなりません。
そのことを理解しているつもりで、まるでできていなかった。だから、ヴィオラはエルザを泣かせてしまった。
――だけど、過ちだけではなかった。
「でも、見ててくださいまし」
ヴィオラはエルザを抱き寄せると、シャーロットに見せつけるように、その唇を奪った。
裁縫部屋に多くの黄色い声が反響する。
エルザは咄嗟のことに身を固くしたが、すぐに力を抜き、もたれかかるかのようにヴィオラの背に腕を回す。
ヴィオラの舌がエルザの唇を割り、口内に入る。エルザはそれを迎え、自分の舌を絡ませることで応えた。
水音が、響く。そのたびにエルザの身体が小刻みに跳ねる。
そしてしばらくの後、ヴィオラがエルザから離れると、得意げにシャーロットへ言った。
「――とまあ、ご覧の通り、今は私たち愛し合ってますので! 結果よければすべてよし!」
「だから、嫌じゃないだけで、愛かどうかはわかんないんだってば」
「それじゃあ、これから愛に育てていきますわ」
真っ赤な顔をヴィオラの胸に埋めながら、エルザが「バカ」と文句を言う。
「……今が良ければ、それでいい? なんだ、やっぱりヴィオラお姉様も、私と同じじゃないですか!」
シャーロットが叫ぶ。
「だってそうでしょう。過程を無視して、最終的に受け入れたという結果に行き着けばいいのですから!」
「いいえ、違います。エルザ先輩は、今、笑ってくれていますわ。でも、貴女が手を出した人の中には、まだ泣いている方がいます」
その時、ルタがシャーロットをかばうように前へ出た。褐色の肌に涙を浮かべ、引きつる口角を無理やり上げて、笑みを形作っていた。
「あ、あたしは笑ってます! あたしは、シャーロット様を愛している! あたしは――」
「やめなさい、ルタ。……お願い、やめて」
シャーロットが、呟く。ルタは、歪んだ笑みのまま、シャーロットを見あげた。
「多数の中の例外一つ提示したところで、それは何の証明にもならない。貴女の気持ちは嬉しい、けど、今は意味がありません」
「シャーロット様……」
ルタの頭に手を乗せ、シャーロットは淡々と認めた。
そして、ヴィオラへと向き直る。
「ヴィオラお姉様、私、自分のやり方を変えるつもりはありませんから」
銀細工のような髪を手で後ろに流し、シャーロットは不敵に笑う。
「そうですか」
「ええ。前にも言いましたが、辺境伯令嬢という立場も込みで私の魅力です。それで断れないのなら、それは私の魅力が勝ったということ。断れないほうが悪いのです」
「改めなければ、私のようにあとから後悔することになるかもしれませんわ」
「ご心配なく。上手くやってみせますので」
とはいえ、とシャーロットは周りを見渡し、ため息をつく。
「今、この場は、お姉様方に呑まれてしまいました。少し居心地が悪いので、今日は早退させていただきますね」
ルタと呼びかけ、シャーロットは踵を返した。ルタも慌ててその後を追う。
「それでは、ごきげんよう」
そう一歩を踏み出し、その行く手を、黒い影が遮った。
黒い髪がたなびくのが、視界の端に映ってーーふと、はさみの音が聞こえなくなっていることに気がついた。
――鈍い音が、ひとつ。
「――え?」
と、それは誰が上げた声だったのか。
ヴィオラがシャーロットを見ると、ちょうどその腹部のあたりから、裁ちばさみが生えていて――、
「シスター・ナンシー!」
憎悪の光を瞳に宿した女の名を、ヴィオラは叫んだ。




