第7話「鼻っ柱をへし折ってやるんですの」
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ヴィオラは、呆けながら廊下を歩いていた。
今はただ、早くエルザに会いたい。
そう思う心とは裏腹に、歩みはひどく重いものだった。
「シスター・ヴィオラ」
ふと、目の前に落ちる影に気がついた。
顔を上げると、そこには亜麻色の髪をした――、
「シスター・セレン」
「ごめんなさい。これ、八つ当たりだから」
え? と言いかけた、その瞬間。
――破裂音が、静寂の廊下に響く。
頬に熱、そして衝撃を受けて噛んだ舌から鉄の味が染み出す。
荒い息遣いは、セレンのものだろうか。
ぼんやりとした思考が、だんだんと鮮明になっていき、セレンに頬を張られたのだと気づいた時には、ヴィオラはセレンに胸ぐらをつかまれて、その頭を揺さぶられていた。
「貴女が、貴女がもっとちゃんと! あの女を指導していたら! ナンシーは、ナンシーはっ!」
セレンの目端からは、真珠のような雫がいくつもこぼれ、床に弾けていく。
「シャーロットさんが、シスター・ナンシーに手を出したのですか」
声に出し、いつか見たセレンとナンシーの喧嘩を思い出し、――つながった。
セレンがヴィオラの言葉に眼尻をつり上げ、再び手を振りかざし、――うなだれるように、下げる。
「……構いませんわ、シスター・セレン。八つ当たりでもなんでも、私を叩いて少しでも気が晴れるのなら、そうしてくださいまし」
「ごめんなさい……シスター・ヴィオラ」
「謝罪は、最初にいただきましたので不要ですわ」
セレンはその場にうずくまり、しゃくりあげた。
「ごめんなさい、ごめんなさい。指導役のシスター・ヴィオラだって、辺境伯のご令嬢には逆らえない。そんなことはわかっているの。でも、でもね」
――ナンシーが、毎日泣いているのよ。
その言葉が、ヴィオラから息の仕方を忘れさせた。
「シスター・ナンシーが、泣いて? 合意があったのでは、ないのですか?」
「合意? 嫌だという相手に、拒めばどうなるか分かっているのか、なんて尋ねることが合意なの? そうやって、何度も何度も身体を弄ばれることを喜ぶ女がいるとでもいうの?」
それは、ヴィオラ・エーデルシュタインという存在に、数多の令嬢たちが「嫌だ」と言えなかったことと、まるきり同じ構図だった。
「申し訳ありません、シスター・セレン。これは、私の怠慢です」
セレンとナンシーの喧嘩を見たとき、どちらかとでも話をすることができていたら、もっと早くにシャーロットの暗躍に気づけただろう。
ヴィオラが地下室で迫られたとき、シャーロットが言うとおりに突き飛ばして拒否をすればよかった。そうすれば、シャーロットに拒む人間もいるのだと示すことができた。
後悔はいくらでも浮かんでくる。しかし、時間はもう戻らない。
だからせめて、と、ヴィオラはセレンの目線に合わせて屈んだ。
「どうか、お気の済むまで頬を張ってくださいませ」
今、目の前にいるセレンには、できることを。
「もう、そんな気分じゃないわ……。貴女を痛めつけたところで、何が変わるわけでもないもの」
しかし、セレンは無気力に首を振る。
「そう、ですか。それでは、私はシスター・シャーロットの指導に戻ります。誰かを苦しめ泣かせることを、愛などとは呼ばせません」
ヴィオラは、やおら立ち上がり、指の関節を鳴らした。ヴィオラになって初めてした行為だった。
「どうやって? 私の話を聞いて義憤に燃えたとか、責任を感じたというのならば、どうかやめて。相手は辺境伯令嬢よ。その辺の貴族の家が敵う相手では……」
「ご心配なく。故あって名乗りは上げておりませんが、その辺の貴族ではありませんので」
ヴィオラは、修道服の裾をつまみ上げ、洗練されたカーテシーをセレンに披露する。
セレンが小さく口を開けたまま、
「貴女は、一体……」
と、ヴィオラが何者かを誰何したが、ヴィオラはそれには笑みだけを浮かべ、答えない。
「それに、エルザ先輩が教えてくださいましたわ。貴族相手に指導するには――」
そしてヴィオラは、握り拳を固めてみせる。
「鼻っ柱をへし折ってやるんですの」
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