第3話「――すっごいものを見た!」
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修道女に不人気な勤めの一つに、夜の巡回がある。
手に持つ蝋燭の明かりだけを頼りに、暗い修道院を歩かなければならず、神の御下とはいえ不気味さゆえに嫌われていた。
だが、アリサはたまにしか回ってこないこの役目が大好きだった。
「狙い目なのはやっぱりセレンとナンシーの部屋かしら……。でもそれだと新鮮味に欠けるわねえ……」
揺れる手燭の灯で足元を照らしながら、アリサはブツブツと呟き、廊下を歩く。
歩を進めるたび軋んで鳴く床板も、アリサは意に介さない。
「ハラも新しいネタは持ってなかったし……。うーん、確率が高そうなところに行くか、冒険をするか。悩ましいわねえ」
考え事をしながらも、見回り自体はきちんとこなす。
地下貯蔵庫、異常無し。布物保管室、異常無し。礼拝堂、異常無し。祭具保管室、異常無し。薬草小屋、異常無し。農具倉庫、異常無し。
「誰も隠れてないわねえ……」
今のところどこにも異常がないことを確認し、思わず「ちぇ」と舌打ちが出る。
残りは居室棟。
アリサは長い廊下の端に立ち、諦めてセレンとナンシーの部屋を探ろうかなんて思った。
その時だった。
「お?」
微かな声が、アリサの耳に届いたのは。
息を殺し、出処を探った。自分の鼓動でさえ雑音に感じる。
――こっちかしら?
つま先から床に落とし、踵を沈める。それをゆっくり繰り返しながら、アリサは声へと近づいていく。
押し殺したようなくぐもったそれは、しかし確かに熱を帯びていて、アリサの期待を膨らませる。
そして、
「うっそお……」
思わず漏れたつぶやき。
アリサが立っているのは、ヴィオラとエルザの居室の前に他ならなかった。
耳をそばだて、神経を集中する。木の扉を隔て聞こえる、くぐもった悲鳴のような声。
――シスター・エルザ?
ドアノブに手をかけ、恐る恐る回す。カチャリと、小さいはずの音が酷く大きく聞こえた。
油の切れかかった蝶番が軋む。
――開いた。
咄嗟に手燭の明かりを消し、ドアの隙間から部屋を覗き見た。
狭い二人用の居室からは、アリサも使っているポプリの香りと、それでも上書きしきれない淫蕩な臭いが漂ってきた。
ぼんやりとした燭台の火に照らされ、エルザの顔が浮かぶ。それが紅く見えたのは、決して蝋燭のせいだけではないだろう。
「ひっ、ひぅ……!」
吃逆のような声には艶が乗り、エルザはシュミーズに包まれた肩を跳ねさせる。
しかし、見えたのはそこだけ。
――ああ、もうっ、角度が悪いっ!
アリサはわずかに逡巡し、神に「どうか気づかれませんように」と祈りながら、ドアをもう少しだけ開けた。
楽園があった。
まくり上げられたシュミーズ。むき出しになったエルザの腹部に、金糸の髪を持つ乙女が口づけを落とす。
「エルザ先輩、エルザ先輩……」
ヴィオラはエルザの名を繰り返し呼び、彼女の肌着に潜り込んだ手を動かした。
麻布の下着が手の形に盛り上がる。それが頂と思われる場所を通過する度、エルザはアリサが聴いたとおりの嬌声を上げた。
「ちょ、ちょっと、だめ、待って、声ぇ……声、出ちゃう……」
エルザがヴィオラに救いを求める。ヴィオラは手を止め、顔を上げた。
まるで聖女のような慈愛に満ちた笑みをエルザに向ける。その様は、隠れ見ているアリサをして、一枚の宗教画のようにも見えた。
「じゃあ、塞いじゃいますわね」
「えっ、ちょ……」
甘茶色の髪に金糸が混じる。
甘い水音。
――見てはいけないものを見ている。
アリサは知らず指先を唇に当てていた。形をなぞり、舌をつける。部屋の中でしている音が、アリサの口からもした。
ヴィオラの指がエルザと絡まる。しがみつくように握られた手。
かすかに震えるそれが、アリサにはどこか、怯えているようにも見えて――、
ギシと、ひときわ高く、ドアが軋んだ。
――やばっ。
背中に冷たい汗が噴き出る。隙間越しに、エルザの熱に浮かされた瞳と目が合った気がした。
アリサは開いたドアもそのままに、それでも物音は立てないようにだけして、その場から退散するのだった。
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「――すっごいものを見た!」
滑らせたペンは筆跡も荒々しく、跳ねたインクがページに染みを作る。
だが、手は止まらない。
「あのヴィオラさんが! あのシスター・エルザが!」
見たままを、感じたままを日記に記していく。
身体の奥底に熱がこもっている。下腹部が切なく疼いている。
だが、今はその欲情ですら紙へと叩きつけなければ収まりがつかない。
耳の奥で甘い水音がこだまする。エルザの嬌声が、強気なヴィオラの声が、リフレインして止まらない。
「――ふう……」
ようやく納得がいく日記が書けたとき、床にはいくつもの書き仕損じたページが、無造作に破り捨てられていた。
ひとり遊びを終えた時にも似た心地よい疲労。しかし、それ特有の虚しさはなく、むしろ充実さえ感じていた。
「あ、そうだわ」
冷えた頭で手紙を思い出す。アリサは文机の引き出しから便箋を取り出し、広げた。
「少し早いけど、気分が良いからやっちゃましょう」
父なら手紙が来れば来ただけ喜んでくれるだろう。それに、ヴィオラの話も伝えてあげたい。なにせ、
「親御様が気にしてるから、それとなく様子を伝えて欲しいだなんて、ヴィオラさんは良いご家族に恵まれたのね」
そう、父から頼まれているのだから。
「とはいえ、今回のことはそのまま書けないし……」
アリサは頭をひねりつつ、定型文じみた書き出しを記す。そして、
「お友達のヴィオラさんは、いつかのような指導を受けることもなく、今日も先輩のシスターととっても仲良しで――」
そう、ペンを走らせた。
了
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